YUは何しに協力隊へ? -人生の点と点がつながる-

2022年7月26日

ビーバーズ 侑(2021年度2次隊 デザイン)

【画像】

YU(私)です

キルギスの首都ビシュケク市内の職業訓練校でグラフィックデザインを教えているユウ(YU)です。

「キルギスってどこ?デザインでボランティア??」というのが、日本の方から一番多くいただく反応です(笑)隊員になってから、「ボランティアには興味があるけど、特別な技術は持ってないし…」という相談をよく受けます。皆さんが思っているよりも、JICAボランティアの職種は多様です。皆さんも、職種リストを調べてみると、自分では思いもしなかった特技でボランティアの道が開けるかもしれません。今日は、私がボランティアになるまでの道のりや、希少職種と言われているデザインでの活動についてお話しします。

【画像】

大学では日本画を専攻していました!

今思い起こすと始まりは高校時代。中学まで得意だった英語を学ぼうと英語学科に進学しましたが、英語を話すことにはあまり興味が湧かず、授業中は落書きばかりしていました。周りから褒めてもらうこともあり、私は『このまま絵を描いてご飯を食べていければ、無理な人付き合いもせず、のんびり暮らせるな』と芸術系の大学へ。しかし、入学早々落書きをしていただけの私には特に表現したいものもなく、「このまま絵を描いて何になるのか」と自問自答するように。そんな時、大学の新聞で「インドでボランティアをしませんか?」という文字が目に入り、ピンときた私はその夏休みをインドで過ごしました。そこで、強姦や人身売買が原因で精神に障害を負った女性や、身体的な障害を持っていたり、HIVに感染している親のいない子供たちに出会いました。世間知らずだった私は、ただただショックを受けた記憶しかありません。帰国後、この時の体験を周りに聞かれてもどう話していいのか分からず、ただ漠然と、私はあの人たちのために何ができるのだろうと考えることが増えていきました。これが、私の目が海外とボランティアに向いて行ったきっかけです。

【画像】

広告代理店時代の私

大学卒業後は幾度か留学したり、ひきこもりの若者の就労支援や、絵画教室の講師をしたり…。しかし、絵を教えるうち、楽しい時間を提供できることに喜びは感じましたが、いつも社会の外側にいるような、自分の教えていることの実用性の低さに疑問が募っていきました。そうするうち、職場でイラストやポスター制作を任されることが増え、デザインの実用性に気が付きました。そこで一念発起し、専門学校で半年間グラフィックデザインを学び、その後は広告代理店に勤務。いつか海外の若者たちに自分の知識を共有するということを目標にしながら、実務経験と勉強を重ねていきました。そして、小学校の頃からボランティア=協力隊というイメージがあったこと、海外で隊員に出会った時のことが理由で協力隊に応募、選考試験に合格後コロナのせいで訓練が始まらず、一度辞めた会社に退職から一週間後に戻るという奇跡の出戻り体験を経て、今私はキルギスにいます。

【画像】

今の私(デッサンの授業風景です)

さて、話は戻り、私の生徒は16歳~18歳の若者たち。日本にとても興味があり、ほとんどが日本のアニメファン。協力隊に応募当初は、ボランティアといえばアフリカ、大自然とキラキラした笑顔の子供たちに囲まれて…と想像していましたが、私は近代的な街で現代っ子たちに囲まれています。よくできる生徒もいれば、ゲームに夢中で勉強しない子、授業中にインスタライブする子、コミュニケーションが苦手な子etc. なんだか日本とさほど変わりません。生徒たちには、デザインの専門知識だけではなく、できるだけ広範な創作活動に触れてもらうおうと、広告をはじめパッケージやキャラクターデザイン、ファッション、イラスト、鉛筆デッサン等、これまでの私の人生経験をフル活用して対応中です。美大時代の絵画技法や、若者の就労支援で学んだ心理学等、点と点がつながり今一本の線になったように感じています。

【画像】

今の私(マスクをしているのが私)

今の私の課題は、いかに生徒のモチベーション、自主性や想像力を育てられる授業を行うか。そのためにまずやってみたことは、一人ひとりの生徒に向き合い一緒に考えることでした。キルギスでは、教師が一方的に教える講義形式の授業が一般的らしく、生徒の横について一緒に考えるというアプローチの仕方に同僚は驚いたようでした。まだまだ試行錯誤の途中ですが、これは私が考えついたことではなく、人生のどこかで経験したことです。日本人にとって当たり前に思えることでも、場合によっては全く新しい知識になり得るのです。「誰ともしゃべりたくないから絵描きになりたい」と言っていたような当時の私には、想像もできないような今をキルギスで過ごしています。インドで「何もできない、でもしたい」と自覚してからの人生は、それ以前とは比べものにならないほど、イキイキとしたものになりました。

【画像】

今の私(キルギスで仲良くなった協力隊仲間の里見さんとJICA事務所の前で)

ただ漠然とでも誰かの役に立ちたい、海外に出てみたいという思いがあるなら、ここは一歩踏み出す価値のある場所だと私は思っています。