きっと“特別な国”になる-協力隊×世界を変える力になる?×迷っているならGO!-

2022年10月31日

木村 明日美(2017年度2次隊 青少年活動)

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いつも使っているプロフィール写真。大自然の中での乗馬体験は大きな魅力です!

今月(2022年10月)、3年ぶりにキルギスに“里帰り“してきました!
隊員時代のキルギス人の友人から結婚式への招待を受けたのは8月、世界中で往来が再開し始めており、行こうと決心してチケットを買った時からワクワクが止まりませんでした。そして、あっという間に渡航の日が来て、キルギスに着いたのは真夜中でしたが、飛行機が着陸した瞬間からいろんな思い出がよみがえってきて涙が溢れそうになりました。

皆さん、改めましてこんにちは。
2017年10月から「青少年活動」という職種でキルギスに派遣されていた木村明日美(きむらあすみ)です。現在は、JICA千葉デスクで仕事をしています。皆さんにとって特別な国、何か思い入れのある国と言われるとどの国が思い浮かびますか?私にとってそれはキルギス。協力隊員として派遣されていた国だからですが、子供のころから志した国際協力に携わるには紆余曲折ありました。今回は、アカデミックあるいは職業的専門性以外の特技を生かして応募、協力隊員として活動した私の経験と、途上国の人々の暮らしを良くする・変化を起こすと意気込んで参加した私が学んだことを共有させてください。

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大学時代の私、ガーナで

きっかけは私が小学校4年生の時、フィリピンのゴミ山で生活している子どもたちの日常について写真家の方の講演を聞いたことでした。自分の生きている世界とは全く違う世界があることにショックを受け、これを何とかしなきゃと思い開発途上国で働くことを夢見るようになりました。大学では法学を学びつつ、夏休みに短期ボランティアとしてフィリピンのスラムやゴミ山、ガーナの児童養護施設に行っています。その時は現地の子どもたちへの支援活動をしようと行ったのですが、貧困の連鎖から抜け出せない子供たちの想像以上の現実を目の当たりにし、自分の無力さに打ちひしがれました。この子どもたちの将来の選択肢を増やすには何ができるのだろう?と考えたとき、ボロボロの日本車が沢山走っているのが目に入り、「自動車整備士になれば、どこの国に行っても自動車整備学校や工場を作って、現地の方々に知識や技術、仕事を与えられる!」と思いつきました。

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自動車整備時代

そうして、大学卒業後は石油企業に入社、ガソリンスタンドで仕事をしながら3年半かけて自動車整備士3級の資格を取得しました。まずは協力隊で現場を知ってそれから自分で起業!と思い協力隊の応募説明会に行ったのですが、私の持っていた3級資格では応募条件に届かないことがわかりました。法学部出身で自動車整備以外にアピールできる実務経験や専門性もない、そんな私に何ができる?と考え、ずっと趣味で続けていたハンドクラフトが活かせるかもと思いつきました。小学校の時から図工が好きで、大人になってからも続けていたスタンプ作りやDIY。また、子どもと関わる活動(子どもキャンプNPOや塾講師)をしていたこともアピールできると考え、「青少年活動」の中でも図工を教える案件に応募、第3希望に入れていたキルギスで合格を頂きました。私は自動車整備士の次に、途上国の教育に携わりたいとも思っていましたので、その時出来ることと将来の方向性から青少年活動という職種に落ち着きました。皆さんの中にも、その時の職業以外のスキルで世界への扉が開く方もおられるのではないでしょうか。

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3年ぶりのキルギス、友人の結婚式で伝統楽器コムズを演奏

さて、はじめに“里帰り”と表現しましたが、私にとってキルギスはまさに第二の故郷、派遣されていた村でホームステイしていた家族は第二の家族と呼べるほど“特別な国“になりました。協力隊員としての2年間のキルギス生活は、想定外から始まり想像以上のものを私に見せてくれました。予定されていた職場には育休のため同僚がおらず、また授業の時間割も不安定な中、仕事は自分一人でほぼゼロから手探りで始めるという、この業界の人に言わせれば途上国あるある。一方で、そんな困難を吹き飛ばすほどのキルギスの美しい景色と遊牧民にルーツを持つ彼らの家族や親族とのつながり、消えつつある伝統的な暮らしや価値観の変化、毎日の何気ない出来事や旅で見た景色や感じたもの、そのすべてが私の中にかけがえのないものして刻まれています。

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隊員として活動中、子供たちと図工の授業の様子

私が現地に残すことができたもの、貢献できたものは今振り返るとどれほどあるかわかりません。大きな変化を起こせると思ってやってきたのにそんなこともなく、しかも生活では現地の方々に助けてもらって、私が提供できたことより、支えてもらったことの方が多かったと感じます。しかし、「草の根の外交官」という別名の通り、「日本人・木村明日美」として草の根レベルで深い関係を築き、なかなか外国人と接する機会のない村の人々に別の価値観や文化を示すことができたことで、来た甲斐があったと感じることが多かったです。また、お金がない中で同僚の先生と取り組んだ試行錯誤の日々、テレビ放映もされた子供たちのコンサートの様子、生徒たちの作品コンクール入賞や商品化にまでつなげられたことは、一つの成果だったと思います。

今やっていることや好きなことが、いつか世界の誰かの、何かの役に立つことがあるかもしれません、誰かを笑顔にすることができるかもしれません。協力隊に参加して、私の世界と可能性は大きく広がりました。
迷っているならGO!です。
素敵な想い出だけじゃない、強さや、自分で企画して物事を前に進める力を身に付けるタフな経験と成長の機会、それが私にとってのJICA海外協力隊でした。

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大好きで4回も行ったソンクルというところ

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感動した大自然、派遣されていた村の近くのカラコル渓谷