思い続けた国で -大切なものを未来へつなぐ-

2023年5月19日

園中 秋葉(2023年度9次隊 青少年活動)

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キルギスの大自然を味わうならココ!ソンクル湖畔での乗馬

マナス空港へ3年ぶりに降り立ち、アイヌラさん(JICA事務所の現地職員)の懐かしい顔や一緒に迎えてくれたコーディネーターさんの顔を見て本当に嬉しくて、キルギスへ戻ってきて良かったと心から思いました。
2023年度9次隊としてキルギスへ再赴任をした、園中秋葉です。もともと、コロナ前の2018年10月から派遣されていましたが、2020年3月に活動を中断して日本に帰国していました。キルギスの首都ビシュケクからミニバスで7時間東にあるカラコルという町で英語教師として働き、外国人として生活する中で出会ったたくさんの現地の人々との想い出、突然の帰国から3年間ずっと思い続けた国。私のキルギスでの協力隊員としての日々と今回の再派遣への期待についてお話しします。

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カナダでワーホリ中の私

これをお読みの皆さんが、JICA海外協力隊について知ったのはいつの頃のことですか?私は中学生の頃、ポスターで青年海外協力隊を知り、憧れを抱いたのを覚えています。子供の頃から英語が好きで、高校は英語科へ進み、大学では英語英米文学、英語コミュニケーションを専攻。大学卒業後は、地元鹿児島の中学校で英語科教員をしたり、もっと英語がうまくなりたいと語学留学やワーキングホリデーで海外生活をしたり、ずっと英語に関わってきました。カナダでのワーホリ中、職場へ通う電車に揺られながら、流暢に話すことを目標にするのではなく、私の英語の知識や経験を必要としてくれる国で、もっと人々のために役立てられないだろうかと思い、ワーホリを切り上げて帰国。ちょうどその時募集していた憧れの協力隊に応募、2018年に青少年活動という職種でキルギスへ派遣されることが決まりました。

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カラコルの学校での授業中

私の派遣された学校は、街で一番大きな小中高一貫校。学校の英語科には10名の女性教員がいて、彼女たちと共に英語の授業を行いながら子どもたちに習字や折り紙で日本文化に親しんでもらうことも期待されていました。いざ活動が始まり、英語クラブをお願いされて計画を立ててみたら使える空き教室がなかったり、私としては授業の組み立てから一緒にやりたいのに、忙しいのか全部丸投げされたりしてしまうことも。
「一緒に」の思いがなかなか伝わらず歯痒さを感じることも多々ありました。授業がうまくいって嬉しい日もあれば、何か結果を残さなければと焦って空回りしてしまう日も。昨日は何でもできる気がしたのに、今日は何もできないような気がする、そんな日々の連続。凹むこともたくさんありましたが、廊下ですれ違うと抱きついてくる子どもたち、休み時間にお茶へ誘ってくれる同僚、行きつけのバザールでおまけをしてくれるおじさん、町の人たちの温かい気さくな人柄に何度も助けられもしました。
お互いの考えを共有し学び合いながら共に時間を過ごす中で、彼らの日常の中に自分の役割やできることが少しずつ増えていったことが嬉しかったです。キルギス語でうまく伝えられない時は、英語も交えながらより深い話をしました。自分がずっと大切にしてきた世界共通語の英語が、言葉の通り世界共通語なのだと本当の意味で実感できたことも嬉しかったことの一つです。

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学校の子供たちと教室で

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派遣中にハマったキルギスの伝統楽器コムズ、隊員仲間みんなで

キルギスのことをもっと知りたくて、週末はカラコルのNPO団体の活動へ参加し、夏休みはイシククル湖で泳ぎあちこちの山へ登り、キルギスの大自然を満喫。お正月は村で過ごし、祝日を同僚とお祝いし、伝統楽器のコムズにもどっぷりとハマり色々な曲に挑戦しました。はっきり“これ”と言える活動成果があるわけでもなく、目に見えて子どもたちの英語力がついたわけでもありません。それでも毎日学校へ行き、子供たちのいる教室で過ごし、置かれた環境で自分の役割を考え続け、できることを探し続けた1年半でした。その国の人々と共に生き、自分の信念に支えられながら時にはそれを曲げ、目の前にある何でもない日常を積み重ねる日々が、いつかどこかでより良い何かにつながると信じた1年半。私にとって何物にも代えられない尊い経験でした。

新型コロナウイルスの拡大で急な帰国が決まった時は、同僚の先生たちと築き上げてきた人間関係やコツコツ積み上げてきた活動がちょうどうまくつながりかけていた、そんな頃でした。大好きなカラコルの町、学校の先生や子供たちにさよならも言えないままの帰国。マナス空港で、JICAスタッフの方に見送られながら、きっとまたこの国へ戻って来ようと、涙を堪えながら飛行機へ乗ったことを今でも鮮明に覚えています。

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鹿児島の学校で、キルギスにいた時の隊員仲間とオンライン通信中

日本に帰国してからは、鹿児島の小学校で外国語専科教員として働く機会をいただき、私にしかできない、世界共通語としての英語と国際協力を絡めた授業ができればと思いながら教壇に立ちました。授業の中で、キルギスに先に戻った隊員仲間とオンラインで繋ぎ話を聞く機会を作ったり、県内の学校で協力隊経験を話す機会をもらったり、私の思いを大事にしてくれる理解のある職場だったことがとても有り難かったです。外国のことを楽しそうに話す大人に憧れて、私が海外へ興味を持ち、やがて協力隊を目指したように、私が関わった子供達の中から、一人でも多くの子が日本の外へ興味を持つきっかけを作れたらという思いでした。そして何より、キルギスでの経験を誰かに繋ぐことで、お世話になったキルギスの人たちへ恩返しがしたいとの気持ちが一番強かったです。

キルギスへ戻ってきてから、2週間が経ちました。3年ぶりのビシュケクは、にぎやかなバザールや凸凹な道はそのままで、お気に入りだった民族衣装のお店は無くなっていたけど新しいレストランができていて。街を歩くのが楽しくて、新しい職場から遠回りする帰り道。急な帰国を経験したからこそ、キルギスで過ごす1日1日を大切に過ごせています。
前回の派遣は、英語教師という自分の知識や経験を直接活かせる仕事内容でした。今回の派遣では、違う立場・仕事内容で国際協力へ携わることができ、英語、ロシア語、キルギス語が飛び交うワクワクする職場での活動です。新たな環境と出会いの中で、私の大切な国キルギスと私が生まれた国日本をつなぐ仕事をするにあたって、どんな形であっても、今よりも何かが少し良い方向へ、また未来へつながる半年にしたいです。

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3年ぶりのブラナの塔(世界遺産からの景色がすごいんです!!)

『世界日記』執筆していました!キルギスでの生活の様子はこちら