“外国人”になってみて -JICA海外協力隊×きっかけ×日本語教師-

2023年11月13日

板倉 佑真(愛知県出身 2022年度2次隊 日本語教育)

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いよいよこれからキルギスへ出発という日、羽田空港で

 きっかけは大学の時に参加した、地域に暮らす外国人を対象にした日本語支援のボランティア活動でした。私が育った愛知県岩倉市にはブラジルやペルーから来た外国人やその家族が多く、通っていた学校にも多くの外国ルーツの子供たちがいて、外国人への日本語教育が身近にある環境でした。大学生になって日本語教育を専攻し地域の外国人への日本語支援をする中で、言葉がわからないとただ生活するだけなのにいろいろと困難があることや不利益を被ることがあることを知りました。日本語教師としてこれから仕事をしていくのに、自分が外国人として生活して様々な困難や問題を一度経験してみることが必要だと考え、教師経験も積めるJICA海外協力隊に応募しました。


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首都ビシュケクの中心部、アラトー広場にて隊員仲間と

 改めまして、皆さんこんにちは!私は今キルギスの首都、ビシュケク市内の大学で日本語を教えています。ここで外国人として生活して1年が経ちました。今まで全く知らなかった国で、新たにその国の言葉を学びながらの生活と仕事は、想像以上に大変です。私が、日本語ボランティアをしていた時に出会った彼らの苦労や気持ちがやっと実感できた気がします。でも、私が感じているのは苦労だけではありません。言葉がわかるようになればなるほど、現地の人とあきらめずにロシア語で会話しようとすればするほどここに私の居場所が少しずつできていく楽しさや安心も感じられるようになってきました。


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現地の方の自宅で開かれたトイ(パーティー)にお呼ばれ

 私の職場の同僚は日本語が上手な方ばかり、仕事に関しては日本語だけでもやっていこうと思えばできてしまいます。一方、先生方の雑談はロシア語やキルギス語で行われており、日本語の先生として派遣されている私は現地語だけで生活している他の協力隊員たちと比べて、キルギス社会に入り込めているのか自信がありませんでした。そんな中、ふと隣にいた先生方のロシア語の雑談内容が理解できた時があり、思い切ってロシア語で会話に加わってみたところ、先生たちが一気に心を開いてくれたのを感じました。


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職場で開催された日本語弁論大会で審査員をしました

 職場の同僚との雑談や、現地で知り合いになった方々、その家族との何気ない交流をロシア語で行うことでキルギスの日常を体験しています。言語の教師をしていて、いま改めて外国語が通じる相手でも現地の言葉を使ってコミュニケーションをとったほうが心を開いてくれるということ、言語というのは情報伝達をするためだけのツールではなく、人間関係を作るため自分の人となりを互いに伝え合えることができるものだと実感しています。


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田舎の草原で

 今、大学の時に日本語ボランティアをしていた時のことを振り返って、日本で暮らす外国人の方に『日本語を学べる場』と『地域の人々と交流する場』があったらいいなと思っています。地域の日本語教室での関係は、ボランティアと参加者である外国人が「教える⇒教わる」という必ずしも対等とは言えない関係になってしまい、同じ地域の住民として関わったり交流したりすることの妨げになっている面もあるのではないでしょうか。言葉はしっかりと教師から学び、それとは別に地域に自分の居場所や安心して生活できる関係を作る交流の機会を提供できれば、もっとお互いのことを知ることができて外国人も地元の人も暮らしやすくなるのではと思っています。

 私は職場とそれ以外にも自分の居場所ができてきたことで、どちらかが一方的に教えるという関係ではなく、お互いに助け合う・与え合うことができてやっと、自分が外国から来たお客さんではなくコミュニティの一員になれたような気がしました。日本語教師として、どうしても言語面でのサポートのことばかり考えてしまいますが、私が作ってもらったように、日本で暮らす外国人の方にも「ここにいていいんだ」と思ってもらえるような居場所を作れたらな、と帰国後のことを想っています。


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キルギスらしい景色!ナリン州の田舎で

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イシククリ州にあるスカスカというところで