インターンレポート6「マラウイ事務所の現地職員」

2020年4月20日

JICAの在外事務所は日本人職員と現地職員で成り立っています。そしてマラウイ事務所の現地職員は多様なバックグラウンドを持った人がいます。例えば博士号や修士号を取得し専門性を持つ職員、数回の転職を経てJICAにいる職員、25年以上マラウイ事務所で働く職員、秘書等多岐に渡ります。彼らは日本文化を尊重しています。例えば名前を呼ぶ時やメールで名前を記す時は“さん“付けをし、挨拶も日本人のパーソナルスペースを守ってくれるように握手やキスをしません(私が過去にケニアに滞在していた時、毎回の挨拶に強めの握手とキスが日常だったので、個人的にはさみしかったりするのですが…)。一方で、私のデスクは前、横、後全て現地職員の席なのでマラウイで働いていると実感しながらインターン期間を過ごしています。

さて今回のレポートでは、現地職員であるマクスウェルさんを紹介します。彼は、私のデスクの前におり、私の下らない話を聞いてくれ、即席チェワ語講師にもなってくれています。なお業務では教育、PR、企画を担当しています。特に教育について、彼は教育学の博士号(と修士号)をアメリカの大学で取得しているため、その知見を大いに活かしています。JICAに入構する以前はマラウイの教育省に在籍し、その時に政府のプログラムを使ってアメリカの大学に留学したそうです。その前にもフランス・パリでUNESCOが主催した1年間の研修に参加しており、グローバルな視野を持っている人だと思いました。私は以上の経験を聞いて、将来はマラウイの教育省の大臣になるようなエリート街道を進んでいたように思えました。留学後、家庭の事情で教育省を退職し、在宅ワークが可能なコンサルティング会社に転職しました。この会社の業務の関係で、彼はJICAを知り、教育の知見を活かし、マラウイに多大な貢献をしたいという思いから2014年にJICAに入構しました。

さてこのレポートを書く上で、マクスウェルさんに色んな話を聞きました。その中で最も印象に残ったのが、子供のころの将来の夢の話です。私の子供のころの夢は、ぞうさんからパイロット、プロ野球選手みたいに変わっていきました。日本では一般的だと思います(ぞうさんは一般的ではないかもしれません)。一方で彼の子供のころの夢が「貧困と農村部からの脱却」だったそうです。そのために劣悪な環境にいても長い間努力をし、脱却できたと言っていました。なお劣悪な環境という言葉を使ったことに意味があります。日本以上に、さらには他のアフリカ諸国以上にマラウイでは生まれながらの環境でおおよその人生が決まってしまいます。つまり貧困層からの逆転が少ないです。例えば学校教育は私立と公立、都市部と農村部でクオリティが大きく違います。例えば裕福な家庭かつ私立の学校に子供が通える場合、14歳には高校のカリキュラムが終了し、大学への入学資格が得られるぐらい、密な教育を受けられます。一方で農村部の学校はどの学年にも机と椅子がなく、一つの教室に100人以上生徒がおり、教育の質が高い環境とは言えません。このような貧困からの脱却が難しい環境にいたマクスウェルさんの努力は、日本人の我々からしたら想像できないものだと思います。(ちなみに裕福な家庭の子供は、マクスウェルさんの娘の例です。マクスウェルさんは、年齢を考慮せずどんどん学べる制度に正常に心が育つのかと疑問を持っています。)

このレポートを書く際に、デスクが近く気軽にお話が聞けそうだと思ってマクスウェルさんにお話を聞きました。最初は気軽な気持ちでしたのが、インタビュー終了後は一本の映画を見たぐらいに感情が揺さぶられました。マクスウェルさんのような人と仕事ができるのはJICAを超えて国際協力業界で働く醍醐味だと思います。

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マクスウェルさん

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マラウイの公立の小学校(この教室には机と椅子がなく、100人以上の生徒がいます)

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マクスウェルさんと筆者