思い出の一枚「日本の非日常的なマラウイの私の日常」

2021年5月13日

名前:Msukwa(徳竹)野原
隊次:2016年3次隊(2017年1月~2019年1月)
職種:コミュニティ開発
配属先:チカンガワ農業普及所
出身地:長野県長野市

チカンガワは北部のムジンバとムズズの間にあり、標高が高く、雨と霧が多いのが特徴です。そこでの暮らしは電気と水は「ある」という環境ではありましたが、雨が多いはずの地域なのに家の外にある蛇口からは2年間数える程しか水は出てこず、豊富な天水で生活用水は賄い、それも無くなると、共同蛇口にて井戸端会議、それも止まると、谷におりて水を汲み、頭に担いで崖を登りました。

電化製品は「2年間だけだし」というのと「壊れた時に処理できない」(日本も最後は埋め立てしかないのかもしれませんが、マラウイにはゴミ処理場がない、という意識から)、ほぼ購入せず、電灯、携帯、パソコンの充電器のみだったと思います。今思えばマラウイの方が修理や部品まで細かく再利用しているよなぁとも感じます。調理はバウラー(日本の七輪のようなもの)を使い、炭で料理と暖をとりました(夜は一年中毛布を使っていました!)。

庭には小さな畑を作り、少しですが野菜が採れました。鶏を飼って卵を頂き、最後には自分で捌きました。ゴミは自分で燃やし、料理はその都度食材をマーケットに買いに行き、お肉は近所で捌きたてのヤギの量り売り。

2011年の東日本大震災から特に「自然と共に生きる暮らし」に憧れていた私には、チカンガワでの暮らしが、日本の私の日常とはかけ離れた非日常であり、でもそれがマラウイの私の日常として2年間暮らすことができたことは、今思い返すと貴重で大事な思い出と感じられます。

協力隊の後、活動の一環として立ち上げたマラウイ産にこだわるおみやげ屋さんを向上・存続すべく戻ってきたマラウイでご縁があり、昨年結婚、出産をし、私はまたマラウイで暮らしています。

期限付きの2年ではないマラウイでの生活は、日本の日常も時に恋しくなり、マラウイの日常も心地よく感じることもあり、両方を捨てきれず中途半端かもしれませんが、やはり私はその両方を大事にして生きていきたいと改めて感じております。

次は、私と同じく隊員が終わった後マラウイに戻られた2016年度1次隊の清水良介隊員(コミュニティ開発)にリレー投稿のバトンを繋ぎます。

【画像】

チカンガワで子供たちと薪を取りに行った日