思い出の一枚「チェワ語を少し話せても」

2021年7月21日

名前:小島 由
隊次:2012年度1次隊(2012年6月25日~2014年6月24日)
職種:野菜栽培
配属先:ムランジェ職業訓練盲学校
出身地:千葉県千葉市

活動の対象である生徒たちに視覚障害があるため、私にとってチェワ語を話すことは彼らへのリスペクトであった。意欲的に学習した甲斐は大いにあったと思っている。

一方で、赴任して一年経った頃、留守中泥棒に入られた。鉢合せよりはましだったが、もしも入られた場合、何が狙われるかまで想像して対策できていなかった。荷物軽減のために置いていったパソコンと外付けハードディスクは、いつも通りテーブルの上に出しっ放しだったのだ。

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生徒のフィールドトリップ記念写真。カメラを奪われそうになったお気に入りスポットにて

そうしてほとんど失ってしまった写真データを取り戻そうと、日々一層カメラを持ち歩いた。傲慢さの極み、まるで懲りていなかった。茶畑とムランジェ山を望むお気に入りスポットに出かけた。チェワ語を少し話せても、チテンジを巻いていても、首からカメラをぶら下げていてはマナー違反も同然だっただろう。通りがかりの人のおかげで大事には至らなかったが、カメラを奪われそうになった。

当時は、何より任地のムランジェでそんなことがあってショックだった。今となってそれは思い上がった考えだったと恥じているし、そもそも危険な目に遭ったとき、困ったとき、無条件で助けてくれたのもマラウィアンだったことを忘れない。

それはリロングウェからデッザへ向かうミニバスでのこと。
普段は乗り合わせた人との会話を楽しむことも好きだが、その日は省エネモード、‘そっとしておいてねオーラ’を出して、後方、列の真ん中あたりに座っていた。出発してほどなく、車内がそれまで体験したことのない異様な雰囲気に包まれた。と次の瞬間、乗客がわっ、と振り返り一斉に押し寄せてきたのだ。え何?襲われる?いや違う、みんな逃げている。バス乗っ取りか?と思っているうちに次々と窓から外へ出ていく。
向かってくる人の波が終わるとそこには誰もおらず、運転席あたりで火が上がっているのが見えてようやく状況が理解できた。あと二人、左の窓から出ようとする人がいる。空いている右へとは体が動かず、順番を待った。今日の私は助けてもらえないかな、窓から落ちてケガするのかなと考えている間に外から手が伸びてきた。心中少し躊躇はあったが抱えていたリュックを先に預けて身を乗り出すと、見事に救出してくれた。リュックもすぐに返却され、そのずっしりした重さを確かに受け取って、徐々に一連の出来事を実感した。「ありがとう」

本当に救われたとき、Zikomo(注:チェワ語でありがとう)は出なかった。生意気な外国人でも助けてくれる人はいる。私なりにWarm Heart of Africaを体感する日々であった。

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引き上げ当日、パッキングを手伝ってくれた同僚

次回は、このバトンも二つ返事で受け取ってくださった相変わらず頼もしい先輩、23年度4次隊 須田修輔さん(薬剤師)です。