思い出の一枚「世界とつながり続ける場所」

2021年8月5日

名前:伊藤 正芳
隊次:2010年度1次隊(2010年6月20日~2012年6月19日)
職種:行政サービス
配属先:ムジンバ県南部病院
出身地:千葉県八千代市

「思い出の一枚」…とは言うものの、もう10年以上も経って隊員時代の思い出はどんどん薄れていきます。当時の仲間と話しても、もう覚えてないよ、と。昔の写真をようやく探り当て、見返しながら、かすかな記憶を手繰り寄せます…

【画像】

当時、任地で唯一の「インターネットカフェ」(左にいるのは筆者本人ですが、いまの姿とは別人!)

あぁ、ここでインターネットにつないだなぁ。当時、任地ムジンバで唯一のインターネットカフェ。とはいえ、日本から来た私の目からは、とても日本のそれとは似ても似つかない別の場所に感じました。何台かのパソコンがネットにつないであるものの、そのスピードはとても遅い。動画などとても視ることはできず、写真ですらままならない。そんな代物でした。それは、配属先の病院でも同様で、通信環境はとても脆弱でした。

離任間近になって、当時、住居の警備員をしてくれていたジェレマーヤさんとは、このインターネットカフェで電子メールを書く練習をしました。パソコンが使えれば、新しい仕事も見つけやすいかもしれないし、メールを打てれば私が日本に帰国しても連絡できるから、と。でも、そのときはあまり上達もせず、これは難しいかなと思っていました。

ところが帰国後、彼からFacebookの友達申請が来てつながり、いまでもメッセージのやり取りをしています。すっかりスマホを使いこなし、ご家族の写真もよく送ってくれます。しばらく前には故郷に家を建てたと写真を送ってくれたこともありました。私もマラウイを再訪したときに、彼の家に連れて行ってもらいました。ゆくゆくは、ここでビジネスをするのだと言っています。

私は協力隊に参加してからアフリカに関わるようになり、離任後もマラウイにも何度か帰ってきました。任地の病院を訪れれば当時の同僚もまだ残っていて、温かく迎えてくれました。隊員時代の思い出は薄れていっても、会えば思い出して懐かしむ。そんな関係です。

私はいま、アフリカから日本の大学・大学院への留学生を増やす仕事に携わり、アフリカとつながり続けています。10年前の写真は散逸し、思い出は薄れてしまうこともありますが、このつながりは消えません。

そうやって協力隊員ひとりひとりがマラウイとつながり続けて50年経つことを祝うとともに、これからもますますつながり続けるだろうことを期待しています。そして、アフリカ側からも日本に、世界にますますつながっていく時代を夢想しています。

次回は、2009年3次隊(幼児教育)の田村美津子隊員です。彼女も10年以上マラウイとつながり続けているひとりです。