思い出の一枚「マラウイでの生活」

2021年8月26日

名前:唐澤 理恵
隊次:2008年度2次隊(2008年9月24日~2010年9月23日)
職種:村落開発普及員
配属先:ウトンダ地域病院
出身地:長野県駒ヶ根市

農業にかかわる活動ができればどこでもいい。そんな気持ちで応募し、仕事を辞め、派遣された国はマラウイ共和国でした。当初、名前を聞いたこともなかったマラウイ共和国。その国のこと、国際協力について、すべてが1から始まることばかり。しかし不安を感じる暇もなく、必死で新しいことを吸収し、いざマラウイへ…。なんて穏やかな国なんでしょう。流れる時間も、歩く速度も、みんなゆっくり感じたのが第一印象です。

私の配属先は教会系の病院で、医療のみならず地域の生活向上のため、様々な農業プロジェクトを行っていました。私にできることは何か探しながら、畑に使うボカシ堆肥をみんなで作ったり、モリンガを植えてみたり、できそうなことはいろいろ試してみる日々。アフリカのための新しいコメNERICAを手に入れることができたので、試しに畑に蒔いていると「リエ、何しているの?」「コメを蒔いてるの」「コメは湖の近くじゃないと育たないんだよ。HAHAHA!」ここから地域にコメ栽培を普及させる活動が始まりました。従来の品種は栽培に水が多く必要なため、マラウイ湖周辺での栽培が主でしたが、新しい品種NERICAなら低湿地帯で栽培可能だということを知ってもらうことと、当時トウモロコシの10倍ほどの値段で売られていたコメを栽培して生活向上に役立てるためです(もちろんシマもおいしいですが)。地域の人を集めて青空教室を始め、種まきから収穫まで一通り終えた頃、種を配った人から「収穫できたよ」と見せてくれたボウル一杯のコメが何よりうれしかったことを覚えています。

そんな活動も、電気も水道もないこの地域での生活も、カウンターパートや地域の人々の協力がなければできなかった事だとつくづく思います。赴任初日、マッチ1箱使っても炭に火が付かず、近所の子供たちに助けてもらったのはいい思い出です。帰国後10年以上経ち、記憶が薄れていく中でも、ときどき思い出すマラウイの自然豊かな景色や人々の笑顔に今でも癒されています。

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青空教室でコメ栽培について勉強中

次回は、現在は脱サラして農家に転身。マラウイ中を飛び回って活動していた2008年度1次隊風折政幸さん(コンピューター技術)です。