思い出の一枚「砂糖と文明の利器」

2022年3月3日

名前:西村 典子(旧姓 深谷)
隊次:平成5年度2次隊(1993年12月~1995年12月)
職種:薬剤師
配属先:国営中央薬品倉庫 南部(Central Medical Stores(CMS), South)
出身地:千葉県千葉市

1993年12月。マラウイで直前に起きた騒動で派遣が約2週間延び、やっとの思いでカムズ国際空港に降り立った。街中キラキラ、クリスマスモード全開の経由地ロンドンから一面茶色の世界へ。ドミトリーに向かう車の中で見た、地平線にかかる雲から雨が大地に降りそそいでいる光景を、今も鮮明に覚えている。

配属先は南部の商業都市ブランタイアにある国営の薬品卸の製造部門で、責任者という立場だった。簡単な処方の製品を製造して小分けにし、隣のバルクストア(倉庫)に払い出す。きちんとした手順書もあり、現地スタッフだけで十分業務は回せていた。正直何のために派遣されたのか、よくわからなかった。代々の前任者が残していった機械類は故障したまま床に転がっている。カウンターパートは2人。ベテランの男性Cと新人に近い若い女の子チフンド。業務に必要な知識もあるし、私がすることはないなあ…という時に事件は起きた。

製品製造に使う砂糖が盗まれている、という密告だった。被疑者はベテランのカウンターパートC。砂糖工場から商品を運んでくる途中で、自身の店に何袋もの砂糖を下ろしているということだった(1袋は50キログラムほど)。現地スタッフたちはずいぶん前から彼の悪行を知っていたが、仕返しが怖いので黙っていたそうだ。やすやすと物品が盗まれるなんて管理者として失格である。前任者から「鍵と物品の管理」に気をつけるように言われたのだが、こういう事だったのか!私の最大の任務は盗難防止業務だったのだ。ことは裁判へと発展し、私は裁判所で証言台に立つ羽目になった。心身ともボロボロの私を支えてくれたのがチフンドだった。年も近かったせいか、愚痴を言いあったりガールズトークで盛り上がったり、何気ない日常をともに過ごすことで救われたことは多かった。その後私は製造責任者からCMSのトップに配置転換され、製造部門は新しく来たベテランのカウンターパートKとチフンドで管理してもらった。砂糖事件のことを踏まえ、2年ごとにやって来る外国人に管理や監視を頼るのではなく、マラウイアン自身でベストな管理、監視を行ってほしいという私の意向を、ミスターKとチフンドは理解してくれた。彼らは誇りを持って業務にあたり、本当によく頑張ってくれた。どこにいても肌の色が違っても、分かり合える人はいるし悪い奴もいるのだ。そんな当たり前を実感した2年間だった。年度末まではいてほしいという要望を断り帰国したが、その後のCMSやチフンドのことはずっと心のどこかに引っかかっていた。

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愛すべきチフンドファミリー

時は過ぎ、文明の利器は私たちを再び結び付けてくれた。SNSで連絡が取れ、互いの近況も報告できた。毎週のように誰かのお葬式が開かれていたあの国で、生きて家族を持ち、スマホを操る彼女と十数年後、画面上でだがまた会えたことは奇跡だろう。今はコロナ禍で海外へ行くこともままならないが、いつの日か家族でマラウイへ行き、チフンド家族とガールズトークならぬおばさんトークで盛り上がりたい。

次回は、北の都ムズズで活動し、帰国後はTVチャンピオンに出場したり日本工芸会総裁賞を受賞したりと今なお大活躍中の平成5年度1次隊 丸山浩明隊員(木工)の思い出の一枚です。