思い出の一枚「私のウォームハートプロジェクト」

2022年3月31日

名前:吉田 均
隊次:昭和52年度1次隊後期組(1977年10月~1982年11月)
職種:上水道
配属先:工業補給省上水道部
出身地:山形県

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今日もバイクの音を聞いて子供たちが集まってきた。ほとんどが私の宿舎の近所に住むハウスボーイの子供たちである。宿舎はリロングウェ市内エリア11の二階建てのフラット(集合住宅)で、1階は子供たちに開放している。子供たちは5~7歳である。
「さぁ、みんな集まったかな?じぁ、いつものように音楽と読み書きのサンドウィッチ授業を始めるよ!」目がキラキラしてきれいな瞳を一人ひとり確認する。
「あれ?!ザキーヨ君はどうした?」子供の一人が「お父さんの仕事が変わって、遠くに行っちゃった」「そう、残念ね。あんなに一生懸命読み書きしていたのにね」
ハウスボーイの子供の父親は、仕事が終わればまた新しい仕事を探して家族を養わなければならない。
子供たちの音楽のリズム感は抜群で、大抵身体で表現できる。音楽はリズムだけでなく、音階があることを子供たちに伝えるべく、日本から持ってきたピアニカで「ドミソ」「ドファラ」「シレソ」「ドレミファ…ド」に合わせた発声練習を行う。その音階を色々な音でやってみる。ある時は子供たちに歌ってもらい、私からは日本の歌を聴いてもらう。
後半の30分は、読み書きの時間。壁にスノコを立てかけ、そこに図面の裏にマジックで大きく書いたアルファベットを音楽でやった節をつけて歌うのである。図面は職場であまった図面裏側を使い、子供たちが使う紙も図面を切ったものを使っている。
鉛筆を初めて持つ子供が多い中、皆、興味を持ってアルファベットを書いている。書けない子には、後ろから子供の手をとって一緒に書いてみる。
「ほらね、書けた。大丈夫だいじょうぶ」と毎日繰り返と少しずつ自信を持ってくる。書けた時の子供の笑顔を糧に毎日続けてみる。
また、ある時は、子供たちと「シマを食べる会」を行い、もちろん私も車座になって子供たちとンディオ(青菜、豆などの副菜)をつまみシマを一緒に食べて、楽しいひと時を過ごしている。
40数年後、この子供たちはそれぞれの家庭を持って幸せに暮らしているだろうか。その頃私は、孫の顔を見ながら至福の時を持ちつつ、まだ仕事を続けているだろうかとふと思う。
24歳だった私は1977年Water Department(マラウイ上水道部門)に赴任し、マラウイ全土の地方公共水道プロジェクトの推進で5年1カ月いることになる。子供たちと過ごした時間は、私の大切なウォームハートプロジェクトである。日本マラウイ協会にウォームハートプロジェクトが生まれる23年前の出来事だ。

Water Departmentには当時アフリカ開発基金(ADF)支援のもと、全国に24の地方公共水道プロジェクトがあった。私は主にマラウイ北部を担当したが、全国の浄水場に出向いた。水源調査、パイプラインの縦断測量、浄水設備設計、水管橋設計と多岐にわたった。マラウイ全土の浄水場を管轄するうえで中央庁としての問題があることに気が付いた。各浄水場の原水状態の把握、浄水能力、給水能力、設備の能力等の問題点が把握されていないのである。これらの問題を解決するために各浄水場を調査し、問題点を洗い出す「データブックプロジェクト」を推進することを提案した。浄水場を管理するスタッフから問題点を聴取することも行い、施設、機器類、劣化状況は写真撮影も加えた。それがマラウイの将来の水道計画・維持管理に大いに役立つことを力説した。そして、始めに数か所のパイロットスキームを実施し、それを報告するとこれを全国展開する許可を得た。これを私のマラウイでの最終年に費やすることになる。マラウイの北部から中部、南部と運転手付きのランドローバーでスタッフを二名入れ、私と三名でマラウイ全土を回って調べ上げた。
最後の一カ月で最終報告書に仕上げ、第13回協力隊報告書にも「データプロジェクト報告書」を入れた。その冒頭に「もし、小生に再び24歳という年齢が与えられるならば、躊躇なくわが半身を捜す思いで協力隊を求め、マラウイに赴任することを願う」と記した。

1982年に帰国してからは日本の北から南まで浄水場の水処理設計・施工に従事し、マラウイの延長線上にいることは変わりない。また、1983年日本マラウイ協会創設当時から仕事を離れたときに仲間たちと、理事として協会活動に勤しんでマラウイとつながっている。
7年前から現在にかけては、福島復興再生に尽力する機会を与えられ、奮闘の日々を送っている。明日3月11日(2022年3月10日執筆)は東日本大震災から11年、マラウイで学んだ「ウォームハート」を私の日々の仕事の中で活かすこと、それが今の私のウォームハートプロジェクトなのだ。
(注)日本マラウイ協会は、1983年にマラウイOV会を発展解消し設立された団体です。)

協力隊マラウイ派遣50周年企画「思い出の一枚」は、今回が最終回となります。一年にわたり41名の隊員OVの思い出を掲載してきましたが、最後は一気に昭和隊員まで辿り着くことができました。投稿くださったOVの皆様、ご愛読いただいた読者の皆様、本当にありがとうございました。今後も変わらぬご支援、よろしくお願いいたします。