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新年随想 幻の名古屋国際研修会館と揚輝荘

2022年1月4日

JICA中部
所長 村上裕道

前年から続いたコロナ禍の混迷もまだ終わりに至らぬまま年は2021年から22年へとあらたまった次第ですが、振り返ると21年というこの年はJICA中部に勤務する筆者にとって感慨深い発見の年でありました。

社団法人アジア協会 名古屋国際研修会館 (写真:「アジア協会 その7年の歩み」(1961年、JICA図書館収蔵)より)

JICA中部が、現在の所在地である名古屋市中村区のささしまライブ地区に新たに施設を構え、名東区亀の井(2丁目73番地)にあった旧施設から移転してきたのが2009年3月。早いもので13年近くになり来館者も100万人達成目前となっています。

ところで名古屋におけるJICAの研修施設の歴史を紐解いてみると、今となってはJICAの中にさえ知る人は殆どいませんが、遡ること60余年の昔、社団法人アジア協会が1961年(昭和36年)3月10日に千種区にある覚王山日泰寺東隣の閑静な住宅地(法王町2丁目4番)に開設した「名古屋国際研修会館」に始まります。

16代伊藤次郎左衛門祐茲(1902年から1984年)
(写真:名古屋商工会議所ホームページより)

15代伊藤次郎左衛門祐民(1878年から1940年)
(写真:名古屋商工会議所ホームページより)

この施設は完成後の翌1962年度から研修員の受入れを開始したものの、1971年4月に亀の井に完成したばかりの海外技術協力事業団(略称OTCA:JICAの前身の一つ)の新施設へと移転したので稼働期間が10年しかなかった「幻の」研修センターです。当時の様子を語る資料も殆ど残っていません。

この施設の由来に触れている数少ない資料である「名古屋国際研修センター30年の歩み」(1992年3月、JICA図書館収蔵)によると、「名古屋国際研修会館」は、
「当時の名古屋商工会議所相談役松坂屋社長伊藤次郎左衛門氏の御厚志により、土地200坪の提供を受け、建設は日建設計工務株式会社、公示は入札により大林組が担当、二階建一部半地下267坪(883平米)鉄筋コンクリート建で、45宿泊室、教室、食堂をそなえた施設で、愛知県、名古屋市、名古屋商工会議所等の援助により開設された」
とあります。ここに登場する「伊藤次郎左衛門」とは、松坂屋百貨店の創業家、伊藤家16代当主で、松坂屋社長・会長、名古屋商工会議所会頭を歴任した伊藤次郎左衛門祐茲(すけしげ)(1902-1984)と思われます。

ここでは「土地200坪の提供を受け」としか書かれていませんが、伊藤家と「名古屋国際研修会館」には不思議な縁があります。伊藤家のお屋敷は、「名古屋国際研修会館」があった場所の南側の広大な土地にあり、現在は伊藤家から寄贈を受けた名古屋市が当時敷地内にあった建物「揚輝荘(ようきそう)」の名称を冠し公開・管理していますが、元々は祐茲の父15代伊藤次郎左衛門祐民(すけたみ)(1878-1940)が、別邸として大正から昭和初期に約20年の歳月をかけ築造した建物三十棟以上、敷地面積1万坪の威容を誇る池泉回遊式庭園の屋敷だったのです。

祐民は江戸時代から続いた「いとう呉服店」をデパートメント・ストア形式の「松坂屋」へと発展させたほか、伊藤銀行(現三菱UFJ銀行)を設立し、名古屋商工会議所会頭を務めるなど地域経済の発展に尽力した名古屋の近代産業史を語るうえで欠かすことのできない人物です。また1909年には渋沢栄一を団長とする渡米実業団にも参加しています。

(写真:会館跡地近況(2021年5月筆者撮影)大きな木の向こうに現在の「揚輝荘」敷地がある。)

経営者・財界人として活躍した祐民でしたが、1933年になると自ら設けた55才定年制により職を退き、以後は留学生の受け入れなどの国際交流活動をはじめ文化・社会活動に専念します。お屋敷の敷地内にあった揚輝荘を寄宿寮とし、1936年から1945年までにタイ(当時シャム)、中国、ミャンマー(当時ビルマ)、モンゴル(当時蒙古)、インドネシアなど8か国の留学生を含む内外の学生計60名を受け入れました。ここに寄宿し旧制第八高等学校や名古屋帝国大学などへ通った留学生の中には、後にタイの官界・財界で活躍した人物もおり、留学生と当時の関係者それぞれのご子孫の間での交流は近年も続いているそうです。

話は冒頭に戻って2021年の5月、新型コロナ感染症拡大が落ち着き始めた頃、筆者は現在の「揚輝荘」を訪問し、管理にあたっておられる関係者の方に話を伺いました。遠い昔のことでもあり「名古屋国際研修会館」について情報は得られませんでしたが、別の機会に見せていただいた「名古屋市全住宅案内図帳 千種区」(1959年)の法王町の頁には、1961年に「名古屋国際研修会館」があったであろうその場所に「揚輝荘 伊藤次郎左衛門」名の建物の記載がありました。

今から86年前、名古屋を代表する財界人であり社会事業家・文化人の15代伊藤次郎左衛門祐民によって揚輝荘の地で始まったアジア留学生の受け入れと国際交流。それから25年後、16代伊藤次郎左衛門祐茲の厚意で往時の舞台の一角に登場したアジア協会の海外研修員の受け入れ施設。

2021年のコロナ禍の間隙に覚王山の地で、JICA中部の源流を辿り奇縁に出会えたことを感謝しつつ心新たに22年を迎えることとなりました。                                (2021年12月執筆)

謝  辞     
本稿執筆に際しご協力いただいたお二人に心から感謝を申し上げます。
  江添 洋一 様 NPO法人 揚輝荘の会
  山田 義之 様 元JICA職員(名古屋国際研修会館 勤務経験者)

参考資料等
・国際協力事業団 名古屋国際研修センター(1992年3月)
『名古屋国際研修センター30年の歩み』 JICA図書館収蔵
・社団法人アジア協会(1961年)
『アジア協会 その7年の歩み』 JICA図書館収蔵
・NPO法人 揚輝荘の会(2017年)
『伊藤祐民対留学生育成80周年記念』資料  名古屋市鶴舞中央図書館収蔵
・上坂冬子(1998年)
『揚輝荘 アジアに開いた窓』 講談社

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