【ペルーJICA海外協力隊派遣40周年記念インタビュー】vol.2 石橋 匡 隊員

2020年8月25日

ペルーJICA海外協力隊派遣40周年を記念し、歴代隊員にインタビューを実施しました。

氏名:石橋 匡
配属先:グラウ州開発公社
隊次:昭和63年3次隊
任地:ツンベス
職種:農業機械
派遣時期:1989年4月~1991年4月

1.ペルーの印象について教えてください

リマの空港に着いたのは夜。暗い街の中を延々とヘススマリアの日秘診療所の近くにあった隊員連絡所まで。翌日、先輩隊員に連れて行ってもらった近所のレストランでセビチェ(魚介類マリネ)にのっていたロコト(唐辛子)の洗礼を受けました。いやあ辛かった。

任地ツンベスは首都リマから北に1200KM。近くにピサロが上陸したとされるプエルト・ピサロがあります。とにかく暑く日射しも強かったです。エアコンなど無いので窓開けっぱなし。停電は当たり前、時間給水なので洗濯したければ早起き。夜になると何処かの路上フィエスタ(パーティ)の大音量の音楽で寝付けない。朝は隣家のニワトリとロバの鳴き声で起こされる。日中のココナッツジュース、週末の贅沢だったセビチェとアンティクーチョ(串焼き料理)で元気を取り戻していました。

そうはいっても、ペルーは土地土地で名物料理があり音楽や踊りがあり、遺跡があり、山もアマゾンも。海は冷たいですが、南米で最初にサーフィンが行われたそうですし、釣りも楽しめる。本当に多様性のある国だと思います。

協力隊で2年間、JICAに就職したのち事務所員として3年間、計5年間生活しましたが、知っているのはほんの一部です。

2.活動について教えてください

水田が広がる地域で、日本政府の無償資金協力で農業機械が配備されたグラウ州開発公社の農業機械作業サービス部門に配属となりました。当時、日本製農業機械は珍しく、メンテナンスが十分でなかったため、機械の稼働状況が良くありませんでした。道具も、資金も無い中で、カウンターパートと共に配属先の中を文字通り駆け回って資金を工面してメンテナンスを行い、サービスを続けることが出来ました。スペアパーツ購入代金の配属先からの支払いが滞るようになると、今度は農業機械作業サービスを受けたい受益者である農家にスペアパーツを購入してもらい、レンタル料から差し引くことで間に合わせるようにしました。

隊員支援経費(今でいう現地業務費)を使わずに活動をやりくりしたことで自己満足していました。炎天下での修理があるたびに寝込んでいましたが、今から思えば熱中症ですね。

3.当時の隊員の経験が今現在の自分に与えている影響はなんですか

自分の住居費は配属先が払ってくれていたのですが、毎月の支払いが遅れないように、書類をもってあちらこちらと関係部署を持ちまわっていました。どうしても進まなくなって、トップに直談判したことも。そうした経験が、官公庁での仕事の仕組みを感覚的に身に着けることにつながり、またJICAへの就職に繋がったのだと思います。

4.現在ペルーで活動している隊員たちへのメッセージをお願いします

【画像】

1996年 CURICHにて。協力隊時代に良く通ったツンベス市アルマス広場のレストラン「CURICH(クーリッシュ)」で協力隊当時の同僚、友人たちと。JICA就職後、ペルー事務所勤務当時。

活動を工夫していくことはもちろんですが、ペルーの多様性と文化も満喫してください。コンチャネグラ(アカガイ)の産地、ツンベスのセビチェはペルー随一だと思いますよ。

5.最後にペルーの皆様へのメッセージもお願いします

【画像】

1989年 CORDEにてコンバインの前で。日本政府の食糧増産援助で配備された日本製コンバインの前で。一年中大活躍してくれました。

大変な状況ですが、必ずや克服してペルー国民の力強い姿を見せていただける日を楽しみにしています。