【ペルーJICA海外協力隊派遣40周年記念インタビュー】vol.4 椿原 孝典 隊員

2020年9月25日

ペルーJICA海外協力隊派遣40周年を記念し、歴代隊員にインタビューを実施しました。

氏名:椿原 孝典
配属先:ペルー陸上競技連盟
隊次:昭和57年度3次隊(平成27年度2次隊/SV)
任地:リマ市
職種:陸上競技
派遣時期:1983年1月~1988年9月(2015年10月~2018年10月)

1.ペルーの印象について教えてください

1月の真冬の日本から、真夜中の真夏のペルーに到着。肌にまとわりついてくるネットリとした湿度たっぷりの空気と一緒に、何とも言えない(注)生臭い匂いを感じながら、随分遠くに来たのだと実感させられた。
(注)当時ペルーは世界有数の魚粉生産国で、空港側の工場からの匂いだと知らされた

空港出国ゲートの出口付近には、深夜でもタクシーの客引き等の人だかりで騒然としており、その人込みをかき分けながら迎えの事務所職員の車まで一目散に移動した記憶が蘇る。

空港から事務所(当時隊員連絡所完備)までの道中、驚いたのは明かりが少なく、走っている車はボロボロで、殆どフォルクスワーゲン(通称カブトムシ)が濁音を轟かせながら走っていた。高い建物が少なく、道の両脇に壁の様な家がずっと続いている感じで、その屋根(!?)屋上から犬がやたらと吠えていて驚かされた。何で犬が上から吠える!?

到着した夜、そのまま職員に連れられペルー料理店へ。そして「アンティクーチョ」と「ポージョアラブラサ」を試食。とても美味しく、時を忘れて朝方まで飲み食いした事を思い出す。

人々の印象は、ちょっと暗い感じでシャイ。しかし話してみると好意的で親切という感じがした。

2.活動について教えてください

配属先はペルー陸上競技連盟。着任したペルーの長い夏季休暇中は連日一人でトレーニングを開始。その期間に知り合った数名の選手達が休み明けに記録を伸ばした事で、何とか認められ(笑)、初めて当時の会長から「何か出来るようだが、スペイン語が話せないので地方へ行ってこい」と告げられ、ペルー南部(タクナ、アレキパ、イカ)を中心に約1年間、数週間毎にリマと地方の往復を行った。そんな折、前任者がペルーへ専門家(国際交流基金)として再赴任された事で、大きく活動が変わった。とにかく強い選手を育成する事を目標に活動をすると決め、クラブチームを設立し、集中的に選手育成が行える環境を整えた。

ある地方のコーチから、足が速く、はだしで野山を走り回って羊追いをしている少年と、競技、練習に熱心な少女の2名の指導を依頼され、前任者と相談し、その家庭で受入れて頂いたのだが、後に、両名共に様々な国際大会でメダル獲得、ペルー記録の更新を続け、我々が帰国後、共に海外留学を行い、博士号まで取得し、現在もペルーでコーチとして活躍している。

カウンターパートに拘るより、将来を見据えた、人材(選手)育成が功を奏した形となったと感じている。

3.当時の隊員の経験が今現在の自分に与えている影響はなんですか

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無我夢中の講習会。ペルー国立競技場で行われた陸上競技講習会での実技指導中の写真(中央)

交通手段も未発達で、連絡手段も殆どなかったペルーでの地方巡回指導や合宿、遠征等で、人々との付き合い方、接し方には国境は無く、全ては自分の行動から物事は始まるものだと実感しました。帰国後の就職は、一旦は教師に戻ったものの、今度は自分が体験した協力隊事業の後方支援をする事の選択でした。その間、支援するはずが、巡り合った様々な隊員を通じ、逆に色々な発見、気付きを頂きました。この世界は如何に知らない物、知らない事が多い事か!そしてそれは、自身の思考に柔軟さや発想の逆転現象を引き起こしてくれました。「足りないものに気を取られ悩む」事から、「足りているものの中でそれを工夫、利用し喜びに変える」ようになれた事だし、知らない物に対しては年齢性別に関係なく、素直に質問し、教えて頂くと言う姿勢が自然に身に着いた事だと言えます。この術を持つ事で、今の日本社会は何と恵まれているのだと感じられます。勿論、様々な面で100%満たされる事は無いですが、精神的には余裕を持てる様にもなり、仕事上においても人の話もよく聞けるし、その場面に応じたアドバイス等の引き出しも増え、充実した生活に繋がっていると感じています。

4.現在ペルーで活動している隊員たちへのメッセージをお願いします

【画像】

ペルー陸上界の新たな幕開け。ペルー南部都市から首都リマへ、トレーニング留学の為にやって来た2人の選手(後ろ2人)と受入れ人となって頂いた前任者の綿谷氏(前面)この二人は後にペルー記録の更新を重ね、海外留学からコーチへと繋がった。

現在は様々な選択肢に溢れ、あらゆる情報も瞬時に手に入れる事が出来ます。そんな中でも「本物」を見極め、惑わされない様にするには何が必要なのか?それは実体験に優るものは無いと思います。自身に経験、体験が無い場合は躊躇せず実行してみる事です。その体験の積み重ねが本物へと導いてくれるはずです。そして分からない事、知らない事については、素直に聞く姿勢も大切だと思います。日本人だから何でも知っているのではなく、敢えて相手に投げかけ、その答えを受け入れる事も大切だと考えます。幸い、私が知る多くの友人は親切で、思い遣りがあり、家族想いの人が多く、色んな相談相手にもなってくれています。今回、奇跡の様な私自身の活動は、数十年前のインターネットが無い時代からコツコツと続いていた人間関係から端を発し、新たなペルーとの関係へと発展しました。当時の教え子から、今ではその子供たちへと関係が繋がったと言う事は、当時、無我夢中に活動を行っていた事の答えの様に感じています。どうか皆さん、限られたとても貴重で贅沢な時間を我武者羅に過ごして下さい。そして10年、20年と繋がって行ける友人が持てる事を願っています。

5.最後にペルーの皆様へのメッセージもお願いします

1980年代半ばから90年にかけ治安の問題が激化し、戒厳令や外出禁止令の発動、そしてJICAボランティアの引き揚げ等が起こり、そして今回、40年の時を経て、世界を覆ったコロナの問題で同じような境遇を経て、再びJICA関係者が引き揚げると言う事態となり、本当に残念な思いです。引き揚げる(避難)事が出来る者たちと、そこに残らざるを得ない者たちとの思いとは、どんな違いがあるのかと考えた時、常に頭を過るのは、残る(ペルー)人々から頂く、まるで家族の様に相手を思い、気遣い、心配してくれる言葉が溢れている事、そしてその言葉、態度には、全くと言って悲壮感が無く、本当に頭が下がる思いがした事です。今回SVとして、32年振りに再会の機会を得て、様変わりした選手達の生活環境、そして経済や文化、スポーツ界の発展の様子にとても驚かされました。その時、皆さんが持つそれらの要素は、国の発展にも大きく貢献し得る、とても大切な要因だと実感させられました。これからのウィズコロナ時代と呼ばれる社会、経済の再建に於いても、皆さんが持つ、これらのホスピタリティー的な慣習効果は、形を変えつつも大きく役立てられて行くものと考えています。

Hasta la vista amigos!Arriva Peru!

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母校訪問と交流。2015年、32年振りのペルーSV派遣の際、昔の選手(現コーチ)とその選手たちを、外務省スポーツ招聘制度を活用し、日本遠征を実現。国際大会への出場や母校(国士舘大学)での交流を実施(ペルー国旗内5名)