【ペルーJICA海外協力隊派遣40周年記念インタビュー】vol.5 池田 直 隊員

2020年10月21日

ペルーJICA海外協力隊派遣40周年を記念し、歴代隊員にインタビューを実施しました。

氏名:池田 直
配属先:バランカ市役所
隊次:平成20年度4次隊
任地:リマ州バランカ郡バランカ市
職種:村落開発普及員
派遣時期:2009年3月~2011年3月

1.ペルーの印象について教えてください

冬の駒ヶ根から夏の終わりかけのカジャオに、少しの緊張とともに早朝降り立った際は、湿度と温度、それから少しの「ラテンの香り」を感じた覚えがあります。あれから早いこと、12年が経ちます。自然一つとっても“Ricas montaña hermosas tierras...”とmúsica criolla(ペルーの民謡)にもあるように、「ペルー」と言うものは、豊かな自然、それを形作る地理、様々な人種、色々な世界が交じり合った歴史・文化、それを象徴する多彩で絶妙な食、心地の良い深みのある多種多様な音楽…と、いろいろな要素が絡み合って成り立っていると思います。

また、歴史的に隣国へのジレンマを抱えながら、そんな「ペルー」に誇りを高らかに持つ、経済的成長と合わせて勢いを伴う多種多様な「ペルー人」も、「ペルー」の魅力の一つでした。

そんな「ペルー」と「ペルー人」は、計4年間の滞在で私を魅せるのに十分でした。また、変化し続ける「ペルー」と「ペルー人」は私にとって今もなお、大きな関心ごとであり続けています。

2.活動について教えてください

【画像】

肥料の講習会を開始したころの写真

市役所の人間開発部で、主に有機肥料であるボカシ肥を広める活動を行っていました。市内・郊外、老若男女、様々な職業の人たちを相手に100人以上のインタビューを行い、現状分析を行った末に、実施プロジェクトを定めましたが、最初の1年は何をやってもうまくいかず自信を無くす日々でした。「協力隊あるある」ですが、協力隊を要請した本人が異動になっていたことも少なからず影響があったと思います。しかし、当時の市長が活動に興味を持ち、協力してくれるようになってからは、ひたすら郊外に出て行っては講習会を行える日々を過ごせました。本当は、カラル遺跡の観光開発をはじめ、もっともっといろいろなことに携わりたかったという欲はありましたが、2年間でできる範囲と考えると、ある意味仕方なかったのかなとも思います。

3.当時の隊員の経験が今現在の自分に与えている影響はなんですか

【画像】

講習会を企画するも、人が来ずに道で途方に暮れている時の様子

「国際」や「ラテン」というテーマに今もなお関わり続けさせてもたっているのは、間違いなく協力隊での2年間があったからです。

また、“Yo no sé mañana”(Luis Enrique), “Vivir mi vida”(Marc Anthony、ただし、原曲はモロッコ人であるKhaled)と音楽にもあるような、「今を、自分の人生を生きよう」といういわゆるラテン的な生き方を学んだのもこの2年間であったと思います。もう一つ加えると、国内でのおいしいペルー料理屋さんを探し続けてしまうのも、この罪深い2年間のせいだと思います。

4.現在ペルーで活動している隊員たちへのメッセージをお願いします

コロナ禍で社会や生活が大きく変わろうとしています。これまでの常識は非常識になっていくかもしれません。でも、人として、協力隊として大切なことは不変であると思います。どれだけ社会が変化しても、大切なことは見失わずにいたいですね(自分への戒めでもあります)。

活動期間中は、苦しいこともあるかもしれませんが、2年間活動をしきった先に見える世界は、違ったものがあると思います。焦らずがんばれ!

5.最後にペルーの皆様へのメッセージもお願いします

ペルー海外協力隊派遣40周年おめでとうございます。ペルー国の元隊員として、日本とペルーの友好関係が今後もずっと続いていくことを願っています。

このような非常に大変な状況の中、今こそ同じ目標に向かって協力し合うことが大切だと思います。いつの日か必ず、感染におびえることなく、セビーチェを食べにカヤオのあの空港に戻れる日が来ることを信じています。