【ペルーJICA海外協力隊派遣40周年記念インタビュー】vol.10 林 麻里子 隊員

2020年12月15日

ペルーJICA海外協力隊派遣40周年を記念し、歴代隊員にインタビューを実施しました。

氏名:林 麻里子
配属先:エンマヌエル児童養護施設
隊次:平成19年4次隊
任地:リマ市
職種:青少年活動
派遣時期:2008年3月~2010年3月

1.ペルーの印象について教えてください

リマ到着後、JICAの車に乗り込み空港の外に出ると、信号待ちで赤ちゃんをおんぶした10歳くらいの少女が窓ガラスを外からコンコン。日本で生活していては見る事のない物乞いの姿を目の当たりにし、「明らかに日本とは違う国にやって来た」と実感。

首都リマ市内は緑が多く整備されており富裕層も多く、スーパーやショッピングモール、お洒落なレストランも充実。一方、配属先のあるリマ郊外は一面砂漠の街で、屋根すら無い家が立ち並ぶ「貧困街」そのものであった。車で一時間走るだけで貧富の格差が感じられた。

語学訓練中のホームステイ先やリマ市内のレストランで頂く食事は非常に美味しく、日本人好み。(但し、配属先での食事は「質より量」であり、ジャガイモの煮込みをおかずにお米を食すような日々。成長過程の子供達と連日食べ続けた半年後には体重が爆増…)

配属先が日系人・日系人協会が設立した施設であった事もあり、日系人の方々との交流も多かった。その中で、日系人である事に対する誇りや、日本文化継承に対する強い思いが感じられた。また、皆さん非常に面倒見が良く、休みの日に自宅に招いてまるで家族の一員のように接して下さった。

施設スタッフや近隣のペルー人は、例え裕福でなくとも「vamos a compartir」と言って、少ないお菓子でもみんなでシェアしようと声をかけてくれ、本当に心が優しいと感じる事が多かった。一方、本当に貧しい生活を強いられている人々も施設周辺には多く、自身の不注意のせいでもあるとは言え、スリやひったくりに遭ったり、金銭をだまし取ろうとされたり、なんて事も何度かありショックを受けたのも事実。

2.活動について教えてください

【画像】

施設からの眺め。リマ中心部とは全くの別世界、一面砂漠に覆われた「砂の惑星」。赴任当初は面食らったものの、数か月もすれば完全にここが「自分のホーム」になっていました。

配属先は、エンマヌエル協会が運営するエンマヌエル児童養護施設。2歳から19歳の40名程の子どもが生活していた。施設の創設は日系人協会によるものだったが、現場の運営はペルー人の修道女らをはじめ児童教育や養護についてはあまり見識のない民間人によるものであった。そこで、子ども達の生活・学習の支援を通して、誠実・勤勉である事の大切さを伝えて欲しいとの要請に基づいて派遣された。施設では年齢・性別毎に子ども達を4つのグループに分け、それぞれのお世話係スタッフと連携し活動を行う予定だった。しかし、実際にはそのスタッフ達には新しい事に取り組む余裕があまりなく、私自身が直接子ども達と接する中で必要だと感じた事を自発的に進めていくケースが多かった。

大切な思い出の一つとなった活動は、日本語の歌(世界に一つだけの花)の歌詞を子ども達と一緒にスペイン語に訳し、2か国語で歌った事。日本からのお客様をお迎えした際はもちろん、子ども達自身が学校のイベントでステージに立ち全校生徒の前で披露した事もあった。また、私の帰任後にも子ども達がずっとこの歌を覚えていてくれて、2代後の後任隊員の滞在時にも日本から皇室関係者が来られた式典で披露してくれたときき、大変嬉しかった事を覚えている。

私は、配属先に用意して頂いた施設外の個室に寝泊まりするのではなく、子ども達との関係を深めたい一心で児童養護施設内の部屋に住み込む事を決め、2年間の活動期間中、文字通り寝食を共に家族として生活することを選んだ。結果として心の繋がりはもちろん、文化や宗教、価値観の違いといった「異質なもの」を敬う事の大切さ等を理解してもらえるきっかけを作れたように思う。また、普通の家庭環境であれば親兄妹の背中を見て学ぶであろう当たり前の事(嘘をつかない事や、「ありがとう」「ごめんなさい」を言葉にする、勤勉である事など)を、日々の生活の中で少しでも伝えられたのではと自負している。

配属当時、子ども達は施設内では宿題をする他は掃除や洗濯等に時間を費やす事が多い生活を送っていた。将来の為に彼らに何らかのスキルを…と思い、施設内のスタッフ合意のうえ時間割を組んで英語クラスやダンスクラスの計画を立てスタートしたものの、時間にルーズな彼ら(子ども達だけでなく大人たちも…)がきちんと時間通りに集まったのは最初の2~3回程度で、その後はクラス開催自体が自然と消滅してしまった。後から気付いた事だが、これは全スタッフが同意していた訳ではなく、本心からではないまま同意してくれていただけの様だったと気づく。自分が現場の状況を冷静に見極められる前に、とにかく活動らしい活動を開始したいという焦りもあったのだと反省した出来事。

3.当時の隊員の経験が今現在の自分に与えている影響はなんですか

現職参加をさせて頂いた為、帰国一週間後には元の職場に復帰した。復帰半年後、赴任前の宣伝・広報担当の部門から海外営業部へ異動し南米や東南アジア等、新興国エリアの営業を担当する事になった。ブラジル長期出張に向けてポルトガル語の習得が必要となったが、JICA訓練所での派遣前訓練で「2ヶ月で日常会話が習得できる」事は実証済みだった為、躊躇する事も無く前向き取り組む事が出来た。ポルトガル語でコミュニケーションを取ろうとする本社からの出張者が初めてだったせいか、ブラジル支社の現地社員との信頼関係を築くのに非常に役立った。

また、一見「自分には到底無理…」と思えるようなタスクであっても、辛い事の多かったペルーでの2年間を思えば自分に乗り越えられない事は無い!と、どんなチャレンジングな事であっても挑戦してみようと思えるようになった。(養護施設の子ども達は、親が居ないだけでなく、親が生きていても見放された境遇の少年少女も多数。お世辞にも「幸せ」とは言えない生活を送っている彼らとの共同生活では、正直こちらとしても非常に辛い事が多かった。)

仕事面においては、南米各国を訪問し新規顧客開拓をするにあたり、日本人(或いは先進国でのビジネス)とは異なる南米の商習慣・生活習慣を肌で理解している事が非常に役立った。日本のやり方を押し付けるのではなく、彼らの納得のいく方法で説明し理解を得る事に重点を置くなど、ペルーでの経験がなければ成功しえなかった案件が多数あったように思う。

4.現在ペルーで活動している隊員たちへのメッセージをお願いします

【画像】

施設の園庭で、子ども達と。歌を歌ったりバレーボールをしたり、皆で過ごす園庭にて。笑顔で過ごしていても、心の中では複雑な思いを抱えている子が多い環境…。

コロナウィルスの影響により、帰国を余儀なくされ、思い通りに活動が出来ない方もいらっしゃる事とお察しします。ですが、現地での協力隊任期中も、「思い通りに行かない」事は毎日のように起きている(いた)のではないでしょうか。

逆境に負けず、いかなる状況・環境の変化にも臨機応変に対応し、前を向けるのが協力隊員の強みであり、その経験が必ず今後の生き方に活かされるものだと信じています。今は非常に苦しい/もどかしい思いを抱えていらっしゃると存じますが、ご自身の目標や信念を見失わずにどうか堪えてみてください。

(辛い時こそ、真面目に悩みすぎず「なんとかなる!」といつも楽観的なペルー人の姿勢を見習うのも、私たち日本人には必要な事かと感じています)

5.最後にペルーの皆様へのメッセージもお願いします

【画像】

施設創設者の加藤神父を囲んで。今は亡き加藤神父を囲んでの思い出の一枚。親と暮らす事ができない少年少女達のより良い未来の為に…と、強い想いをもってこの施設を創設して下さいました。

ペルーの方の中には、「日本は豊か/ペルーは貧しい」と言われる方がいらっしゃいます。私は、「本当の豊かさ」とは「選択肢がたくさんある事」だと考えており、協力隊の経験やその後のビジネスを通じてペルーという国や文化、そして人こそが非常に「豊か」だと実感させられました。そしてこの実体験が、私の人生に彩を添えてくれているのだと思い感謝しています。

今は子育てと仕事に追われる日々ですが、いつの日か必ず私の家族と共に第二の故郷である愛するペルーを訪れて、その魅力を感じて欲しいと願います。