【ペルーJICA海外協力隊派遣40周年記念インタビュー】vol.11 大森 雅人 隊員

2020年12月22日

ペルーJICA海外協力隊派遣40周年を記念し、歴代隊員にインタビューを実施しました。

氏名:大森 雅人
配属先:ペルー野球連盟
隊次:昭和58年度3次隊
任地:リマ市
職種:野球
派遣時期:1984年1月~1987年7月

1.ペルーの印象について教えてください

全てが日本と真逆のペルーに移住するとは知らず私は、夢と希望に胸膨らませ36年前に真夏のホルへチャべス空港に降り立った。埼玉県の田舎に生まれ育った私にとってリマ市は想像以上の大都会で多種多様な民族や文化が共存する刺激的な町であったが、リマ市民のほとんどが貧民街に暮らし政治的な対立、ハイパーインフレ、麻薬とゲリラなど問題は山ほどある事に気づくにも時間はかからなかった。またペルー時間(時間にルーズ)には悩まされたが、野球指導の面では、子供たちの素直さと飛びっきりの笑顔の虜になり協力隊任期終了後も再び舞い戻り指導を続けた事が、移住決断の大きな理由となった。

2.活動について教えてください

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ペルーで最初の指導をしたカヤオとリマックの子供たち。この一年後にリマ大会で、リマックチームが優勝、カヤオチームが3位となる。

ペルーは、日本人が南米に最初に移民した国であり現在は、4世、5世の時代となり約8万人の日系社会が存在する。戦前より日系人を中心に野球が根付き私が、赴任した時の野球連盟の役員の殆どが、日系人の有力者であった。後にペルー文部省、体育庁官となるヘラルド丸井会長の要請で、リマ市郊外の港町カヤオ市と貧しいリマック地域への野球普及が始まった。ペルーの子供達にとって野球は、マイナースポーツで、サッカーで落ちこぼれた靴も履いてない貧しい子への野球指導は苦労も多かったが、スポンジに水がしみる様に異国の言葉も出来ない私の指導を喜んで受け入れてくれた。一年後にそのチームが、リマ市の大会で優勝しその内4人が世界大会への出場選手に選ばれた感激が後の7年に及ぶ野球指導のきっかけとなってしまった。

3.当時の隊員の経験が今現在の自分に与えている影響はなんですか

【画像】

1987年。協力隊任期終了と同時にペルーチームと日本世界大会に出場し、世界4位となる。

ペルー女子バレーボールを初めてメキシコオリンピックに導きペルー中を熱狂させた伝説の日本人コーチ、アキラ・カトウ氏の生き様に大きな影響を受け大好きなペルーの人々と共に生きたいと漠然と考えていました。彼が亡くなった翌日の新聞の一面には、【ペルーが泣いている】と国中が悲しみ当事の大統領をして《私の名前は、忘れられても彼の名前を忘れるペルー国民はいないだろう》と言わしめた人です。彼はカリスマ的な指導者であると同時に偉大な教育者でした。ペルーで第二のスタートに体育教師であった自分と幼児教育を学んでいた家内2人で幼稚園を始めた事も偶然ではなく彼の存在が背中を押してくれた気がする。加藤さんの足元にも及びませんが、今年で31年目を迎えた幼稚園の現場は今も楽しく2000人以上の卒園生を生み出せた事に日々感謝しています。

4.現在ペルーで活動している隊員たちへのメッセージをお願いします

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世界のホームラン王、王貞治さん主催の世界ベースボールフェスティバルに参加したときの様子。(アメリカ、サンデイエゴにて)

日本の常識は、世界の常識ではない事、固定観念を持つ事は、自分の個性と可能性を小さくしてしまう事を知り心がけて活動してみてはいかがでしょうか。私は、この事を学び理解するのに随分と時間がかかってしまいました。現在、世界の情報は簡単に得ることが出来ますが、そこに住む人々には、固有の歴史や文化、習慣があります。それら全てを理解し受け入れる事は、簡単でありませんが自分の周りにいる外国人や縁あって訪問したり、住む国があったなら比べるより先に、受け取り観察して下さい。必ず輝く良いものが見え始め、お互いを理解し尊重し合えます。これこそ協力隊が世界と40年以上積み上げてきた偉大な実績と宝です。ペルーを訪れる多くの若者や友人達が、私同様にこの国を好きになるのは、《共に生きる事》《共に喜び悲しみを分かち合う》大切さを思い出させてくれる国だからだと感じます。どうぞペルーのみならず世界中の人々と友情を育み平和の種をたくさん生み出してください。

5.最後にペルーの皆様へのメッセージもお願いします

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リマ市で経営するムンド・アミーゴ(世界は友達)幼稚園の子供たちと。

先ずは、《グラシアス、ペルー》と言いたいです。私は、ペルーに住み36年、嫌な思いや寂しい思いをした事が、ただの一度もありません。それは、ペルーの人々がいつも《アミーゴ》《エルマーノ兄弟》と私を受け入れてくれたからです。また120年にも及ぶ勤勉と嘘をつかない日本人先駆者が努力で作り上げた信頼のおかげです。それはペルーが、常に異国の人々を温かく受け入れ各民族が持つ輝く個性と多様性を大切にしてきたからです。これこそ分断に向いつつある世界が見習う大切なペルーの魅力だと思います。