ブルンジについて

事業の紹介

1.開発の概況

ブルンジはアフリカ中央部の内陸に位置し、南西には世界第6位(アフリカ第2位)の面積と、世界第2位の最大水深(1,400m)を誇るタンガニーカ湖に面しています。タンガニーカ湖は大地溝帯(西リフト・バレー)の一部を成し、この大地溝帯に含まれる崖や高地がブルンジの地形を特徴づけています。面積は約2.8万平方キロメートル、日本の14分の1、北海道の3分の1ほどに当ります。その中に人口1040万人(2014年)の人々が住み、人口密度は374人/平方キロメートル(日本337人/平方キロメートル、アフリアフリカ全体30人/平方キロメートル強)と、北に隣接するルワンダとともにアフリカの中では珍しく人口が集中する地域です。

海岸から遠く離れ、地下資源に恵まれず(南部にニッケル等埋蔵資源あり)、そのため一人当たりGNI240USドル(世銀2012年)、人間開発指数は180位/187ヵ国中(UNDP2013年)と、世界の中で低い開発レベルにありますが、温暖な気候と適度の雨量に恵まれ、農業生産に適しています。この自然条件と、高い人口密度とが、この国の開発資源とも言えるのではないでしょうか(人口増加率3%、世銀2013年)。主要輸出産品はコーヒー、綿花、紅茶で、特にコーヒー豆は外貨収入の8割を占めているとのことです。

16世紀頃に王国が成立し、19世紀の終わりに北のルワンダとともにドイツ植民地、第1次世界大戦後はベルギー委任統治領となり、1962年にルワンダと分かれてブルンジ王国としてベルギーから独立、1966年にクーデターにより共和国となりました。住民構成はフツ85%、ツチ14%、トゥワ1%といわれており、フツとツチの2大集団の間の対立による暗殺・クーデター・内戦・虐殺が独立直後から頻発しました。特に1993年10月の大統領等暗殺を含むクーデター、1994年4月のルワンダでの両国大統領暗殺(同乗機撃墜)を契機に内戦と住民相互の殺戮が勃発し、双方合わせて20〜30万人が殺害され、約50万人が国内外での難民生活を余儀なくされたといわれています(2014年7月時点で、依然約8万人の国内避難民と、7万人のブルンジ出身難民が存在(UNHCR))。2000年にブルンジ和平会合(於:アルーシャ)が開催され、8月に大部分の勢力の間で和平合意(アルーシャ合意)がなされました。アルーシャ合意に当初署名せず戦闘を継続していた最大のフツ系武装勢力FDDも、2003年11月に暫定政府との間で停戦合意に署名し、この停戦合意により2005年に地方議会選挙、上院・下院選挙が実施され、上院・下院の総会による間接選挙でCNDD-FDDの指導者ンクルンジザ氏が大統領に選出されました。これによりブルンジは国際社会に復帰し、国内は落ち着きを取り戻して各国からの支援により開発が再開しました。2010年に大統領選挙が実施されて与党が勝利し、ンクルンジザ氏が再選されましたが、政治的な安定さは十分とはいえない状況です。2015年5月に国民議会・地方議会選挙、6月に大統領選挙が予定されており、現大統領の三選問題が争点となっています。

公用語はルンジ語とフランス語ですが、タンザニアやコンゴ東部の商人が使うスワヒリ語も普及しています。宗教は、カトリック60〜65%、プロテスタント15〜25%、イスラム教5%程度、伝統宗教20%程度です。

2.日本の援助方針

日本政府は、アルーシャ合意を受けて実施された選挙により民主的な政府が樹立された後、ブルンジの復興・開発努力を支援し、ブルンジおよび周辺の大湖地域の安定に寄与するため、2006年6月政府調査団を派遣して経済協力政策協議を実施し、平和の定着及び基礎生活環境の改善を対ブルンジ支援の2つの柱とすることに合意して、本格的な二国間ODAを再開しました。

その後平和の定着は順調に進み、2014年度からは以下の3分野を援助重点分野に定めて協力を継続しています。

  • 運輸インフラ・通関能力改善
  • 農業開発支援
  • 基礎的社会サービスの向上

3.協力内容

ブルンジで行われている代表的なプロジェクトや事業別協力実績をご覧頂けます。