【ボランティア通信】タンザニアでの協力隊活動を終えて

2021年2月18日

1.はじめに

元JICA海外協力隊タンザニア派遣の中平賢です。
私はモロゴロ州トゥリアニという地域にある中等学校で、数学教育隊員として活動をしていました。
2019年1月にタンザニアに赴任して活動を始めましたが、その後新型コロナウイルスの影響を受け、2020年3月に日本に帰国をしました。タンザニアで活動できたのは1年2ヶ月間で、その後10ヶ月間は日本で活動を継続することになりましたが、非常に多くのことを学ぶことができました。
今回は、タンザニアや日本で行った活動、そしてタンザニアの文化について少し紹介させていただきたいと思います。

2.赴任先の中等学校

タンザニアでは中等学校に4年間通います。2年生と4年生の終わりにそれぞれ国家試験が設けられており、3年生に進級するために、そして卒業後に希望の進路に進むために、生徒は国家試験の合格を目指して勉強に励んでいます。

赴任した学校には生徒が約1000人、教員が約30人いました。しかし、教科によって教員数にばらつきがあり、私が関わることになった数学科には2人しかいません。そのため、私が赴任するまでは1人で2学年の生徒(約500人)を担当しなければなりません。学年も違うためにまとめて授業をすることもできず、授業をしたくてもできないという深刻な教師不足に悩んでいました。

それもあってか、数学を教えられる人が来たことは教員、生徒ともに大歓迎だったようで、赴任して早々に授業をやって欲しいと依頼を受けました。生徒と顔を合わせて2日目、まだスワヒリ語もろくに話せない中で、がむしゃらに授業をしたことは良い思い出です。教え方も拙かったと思いますが、一生懸命に取り組んでいた生徒の顔を今でも思い出します。

3.中等学校での活動

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机を椅子の代わりにして勉強する生徒たち

学校に赴任した後は、タンザニア人の同僚と分担して授業を受け持ったり、定期試験の作成や採点、評価の管理を一緒に行いました。また、教師不足による生徒の学習機会の減少を改善するために、「放課後の質問対応や補講の実施」と「生徒が自己学習で利用できる問題集や模擬テストの作成」の2つを追加して行うこととしました。

日が沈むくらいまで学校に残って、質問に来た生徒に応えたり、時には雑談をしながら日本の文化について紹介する毎日を過ごしました。一緒に学習をする中で語学の面も少しずつ上達していったように感じます。嬉しいことに、多くの生徒が質問に来てくれ、私1人では対応しきれないことが何回もありました。最初のうちは、学年が上の生徒や同学年の中で比較的理解度が高い生徒に協力を依頼し、質問への対応を手伝ってもらっていました。しかし、そういったことが何回か続いた後、気づけば私が何もお願いせずとも、先輩が後輩に、また同学年の中でも互いに教えあう姿が見られました。その光景を見た時は、今でも忘れられないほどに嬉しく、私自身がタンザニアを去った後もぜひ続いて欲しい行動だと強く思いました。

4.日本への退避帰国中の活動

2020年3月に帰国した後には、次の2つを活動として実施しました。
1.タンザニアを支援するNGO団体でのボランティア活動
2.生徒が自己学習で利用できる問題集や模擬テストの作成と送付

一つ目は、タンザニアのキリマンジャロ地域の植林支援を実施している団体で週に1回ほどボランティア活動を行いました。団体に寄せられた寄付の整理や案内資料の送付など事務作業が中心でしたが、タンザニアでの経験談を話すことも多く、自分自身の経験や学んだことを振り返る機会となり、とても有意義な体験でした。JICA海外協力隊として任期が終了した後も継続して活動に参加し、タンザニアと関わりを持ち続けたいと考えています。

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教室の壁に掲示された問題をメモする生徒たち

二つ目の資料作成に関しては、タンザニアで活動をしている時から実施していたものです。帰国してからは毎月、模擬テストや問題集を作成しタンザニアの同僚に送ることにしました。タンザニアで活動をしていた時に特に困ったことは、「解説がしっかりと書いてある教科書や問題集がほとんど無い」ということでした。自己学習をしようと教科書の問題に挑戦しても、いざ答えを確認してみると解説がありません。そうすると、なぜ間違えたのか・どのように解くかが分からず、一人で学習を進めることが難しくなります。先生に聞きたいけれど、先生の数も十分では無いので対応してもらえないことも多々あります。その結果、わからないまま放置してしまうという現象が起きていました。

そこで、解説を丁寧に書いた問題集や模擬テストを作成することとしました。問題を解いた後には、生徒が自分で解説を見て答え合わせをします。一人で見て分かるように図をたくさん書いたり、式の展開を丁寧に書くことを意識しました。

ある日、生徒から「今日サトシの作ったテストをやった!テスト見た時に、サトシが作ったやつだとわかったよ。作ってくれてありがとう。」というメールが届きました。日本に帰国してからは、メール等でやりとりをすることはありましたが、生徒や同僚の顔があまり見えない中で活動を続けて来ました。そのため、取り組んだことが生徒に届いていたことがとても嬉しく、モチベーションを上げて取り組み続けることができました。

5.おしゃれなタンザニア人たち

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おやつタイム!売店のお母さんはいつもおしゃれ。

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先生達

街を歩いていると、仕立屋を数多く見かけます。タンザニアの人々はおしゃれが大好きで、カンガやキテンゲと呼ばれる色あざやかで派手な柄の布を使って、自分に合ったシャツやドレスを仕立てたり、腰や頭に巻いたりして楽しんでいます。教えていた学校でも、学校の先生や通学路で会う生徒のお母さんたちが着ているのをよく目にしました。また、そのような服装は正装としても認められていて、毎週末の教会での礼拝や結婚式などには多くの方が着て行きます。色や柄は多種多様で、自分好みの布を選ぶところから楽しむことができ、自分だけの一品を作ることができます。

いずれ好きな柄の布で自分の体にあったシャツを作ってみたいと思っていた私は、お気に入りの布を買い、家の近くで作業場を構えている仕立て屋さんの元を訪ねてみました。スワヒリ語とジェスチャーで拙いながらも自分の要望を伝え、体のサイズを測り、オーダーメイドのシャツを仕立ててもらいました。完成を待つ間はドキドキしていましたが、いざ完成したシャツを手に取り、着た時のフィット感がとても心地よく、嬉しさのあまり仕立て屋さんとハグをしたことを覚えています。

ある日、仕立てたシャツを着て学校に行くと、「似合っているよ、かっこいいね」と生徒や同僚が朝から夕方までずっと褒めてくれ、とても良い思い出になっています。

とても派手で目立つため、日本ではあまり着る機会がないですが、またタンザニアの地に立つ時に着たいなと思っています。

6.タンザニアでの生活を振り返って

今でも時折、タンザニアでの生活を思い出します。照りつける太陽の中で炭酸を飲んだ時の幸せな気持ちは今でも忘れられません。毎日元気いっぱいな生徒、生活を気にかけてくれる大家さん、素敵な服を仕立ててくれる仕立屋のお兄さん。日本と比べると生活圏は広くありませんでしたが、毎日の生活の中で多くの人と関わり、様々な話をしました。タンザニアを去る日まで、流暢にスワヒリ語を話すことはできませんでしたが、相手の言っていることを汲み取ろうとしたり、少しでも伝わるように創意工夫をしながら向き合ったことで、分かり合えることも多くありました。日本での生活では日本語で会話することが大半で簡単に通じ合うことができてしまいます。そのこともあり、コミュニケーションを取ることに少し胡坐をかいて、ないがしろにしていた部分があったように感じました。

コロナ禍で人と会うことに制限がかかることの多くなった今、オンラインや文面上でのコミュニケーションの機会がどんどん増えています。改めて、自分自身の他者との関係性の築き方や対応する姿勢を見直したいと思いました。これはほんの一例ですが、タンザニアでの生活は私に数多くの学びを与えてくれました。

JICA海外協力隊の経験を糧に、新たな道を歩みたいと思います。