【タイJICA海外協力隊派遣40周年記念OV+配属先リレーメッセージ】vol.8 奥井 利幸 隊員

2021年10月20日

今回メッセージをくれたのは、奥井 利幸 隊員です。

氏名:奥井 利幸
派遣隊次:
1)1987年8月~1989年8月(1987年1次隊)
2)1989年9月~1990年8月(1989年緊急短期(1年間))
配属先名:
1)文部省スコタイ工業高等専門学校
2)総理府技術経済協力局(DTEC:当時(現在はTICA))
職種:コンピューター技術

タイ国JICA海外協力隊40周年に寄せて「何もわかっていない若造を育ててくれたタイの上司」

「日本に帰る、もうタイにはいたくない」
着任して1年くらいたったある日、配属先の上司にそんな捨て台詞をはいて家に戻った。
配属先と合意していた(と思っていた)スケジュールが全然進んでいないことに私が腹をたてたことが原因だった。もちろん、それまでにもいろんなことがあってのことだった。
一生懸命頑張って仕事をしよう、しようと思っても、思い通り動いてくれない配属先の人たち…。ストレスが最高潮に達していたころだった。最初は上司に腹をたてたのだが、落ち着いてくると、だんだん自分自身に腹が立ってきた、というより情けなくなってきた。自分は何をしにタイに来たのだとの自問自答で、涙がでてきた。
それでも、日本に帰る支度をしていると、しばらくして上司が微笑みながら家にきた。
「まあ、飯でも喰いにいこう」
「こんな時に何を言っているんだ、行かない」
と拒否したが、何度も誘われるうちに、最後に飯くらい喰ってもいいかと思いなおした。
一緒に飯を喰いながら、その上司は「自分の力不足で申し訳ない」と謝罪の言葉があった。
いろんな組織の事情があることを話してくれた。そして、「予定通りいかないこともあるだろうが、俺は一生懸命お前をささえる、一緒に頑張らないか」との言葉があった。
私が「もう帰る」という前言を翻がえすための「理由」をつくってくれた。
その後、タイとのかかわりは30年以上になる。多くの友人に恵まれ、様々なプロジェクトをタイの人と一緒にさせていただいた。
現在は私が設立したNGO(NOGEZAKA-GLOCAL)としてタイに関わっている。
その活動の原点は、そのときの上司をはじめとする多くのタイの人の優しさだったと思う。

【画像】

タマサート大学、ブンイトー市と野毛坂グローカルとの高齢者ケアに関する協力協定(2019年7月16日)

【画像】

日本でタイの自治体向けに実施している高齢者ケア研修

【画像】

協力隊員たちと1988年(奥井左端)