【スポーツが未来をひらく! Vol.5】 箱根駅伝を走った海外協力隊員がキルギスの陸上選手をオリンピックへ

2020年5月12日

「キルギス陸上選手団は、女子が5,000m、10,000m、マラソン、男子が1,500mで、4種目3名が東京でのオリンピックの出場を決めています。私も選手団の一員としてオリンピックに帯同する予定です」と語るのは、学生時代に箱根駅伝にも出場した経験がある髙橋賢人さん。

JICAの海外協力隊員として2019年12月まで、キルギスで陸上選手の指導、育成、若手選手の発掘などを行ったほか、自らスポーツメーカーと交渉して代表選手のユニフォームを調達するなど、キルギス陸上界の発展に貢献しました。その功績が認められ、日本人では初となる個人への勲章をキルギス政府より授与されました。

【画像】

リオ五輪にマラソンで出場したイリヤ・チャプキン選手と髙橋さん(左)。選手が着用するユニフォームは、髙橋さんが自らスポーツメーカーと交渉して調達しました

自ら考え、自ら取り組む姿勢を伝える

2018年1月にキルギスへ赴任した髙橋さんは、主にトップアスリートの指導と、次世代を担うU18選手(18歳以下)の発掘と育成に携わりました。なかでも、若い選手たちの姿勢には手を焼くこともあったと言います。

「私が最初に覚えたロシア語が『怠けるな』だったぐらい、諦めやすく、のどかな選手が多かったんです。私に言われたから仕方なく練習するのではなく、選手自身が納得して練習しなければ記録は伸びません。若い選手の意識を変えていくため毎日のように『何のためにここ(練習場)に来ているの?』と選手に問い続けました」と赴任当初の苦労を振り返ります。

U18の全国大会にて優勝したザミル選手とレース前の様子 

「やらされるのではなく、自ら考え、自ら取り組む姿勢」は、箱根駅伝出場に向け、厳しい練習を重ねるなど、髙橋さん自身の陸上競技人生において学んだ大切なことでした。キルギスでも選手たちに繰り返し話すうちに、半年を過ぎる頃には自主的に練習に打ち込む選手も増えていきました。

ユニフォームを用意するため日本のスポーツメーカーと交渉

「2019年にウズベキスタンで開催された中央アジア大会に帯同したとき、キルギスだけが国のウェアやジャージがなく、選手が自分で用意したバラバラでボロボロのものを着て出場していました。陸上協会の会長に聞くと『遠征するのが精一杯でユニフォームまでの資金がない』と。私は自分の力不足を痛感すると同時に、この環境を変えることが選手のモチベーション向上につながるかもしれないと思いました」

そこで、髙橋さんは日本のスポーツメーカーのアシックスに相談し、代表チームのユニフォーム提供を掛け合い、快承を得ます。

髙橋さんと現地の同僚がキルギスの国旗に合わせて赤色と黄色でデザインし、胸元に国旗を描きました。ユニフォームは日本で製作され、髙橋さんが日本へ帰国する直前にキルギスへ到着し、授与式は現地メディアにも取り上げられました。東京で開催されるオリンピックに、キルギス陸上選手団はこのユニフォームを着て臨みます。髙橋さんは選手たちが来日した際、母校である大東文化大学で練習ができるよう調整中です。

【画像】

ユニフォーム授与式で記念撮影をするキルギスの陸上選手団と髙橋さん(中央)

赴任を終えた後も、用具類を送るなどキルギスに向け個人的な支援を続けている髙橋さん。「キルギスの人たちは、物を大切にします。シューズはボロボロになるまで履きつぶし、周囲の人々に感謝の気持ちを忘れません。そんな彼らから多くの大切なことを教えてもらった気がします」とキルギス生活を振り返ります。海外協力隊員としての活動を通して結ばれた髙橋さんとキルギスの強い絆は、これからも続いていきます。