協力隊参加から20年:記念投稿の機会をありがとうございます

2021年7月1日

隊員氏名:遠藤律子(名嶋律子)
現在の所属先:JICAタイ事務所
2001(平成13)年度1次隊 職種:看護師 配属先 国立ムラゴ病院 ICU
ウガンダ派遣時期:2001年7月~2003年7月

看護師として病院内での支援ではなく、社会で働く人の日常から健康支援の仕事をしたいという思いをもち始めたとき、現職である在外健康管理員(旧医療調整員)の仕事に出会いました。通学時に季節になると張り出される電車内広告を見て事業のことは知っており、在外健康管理員には途上国での医療経験を好ましいとする条件があり、いつか協力隊に参加してみたいなという気持ちも後押しし、何の躊躇もなく決断、ウガンダという初めて見る国の名前に戸惑うことなく要請内容と経験の一致で応募し派遣され、図らずもウガンダ第一号隊員として赴任となりました。

第一号隊員としての苦労話のようなことを聞きたいという人もおられるかと思うのですが、20年経った今、苦労したこととして思い出されるのは入居した部屋のゴキブリ糞掃除と入居から半年の就寝時の殺虫剤撒きと起床時のゴキブリ死骸集めといった日課くらいしか思いだせません。これも苦労話でしょうか…。

活動面では語学では大変苦労したのですが、言葉の壁を超える温かいスタッフとの関係でとても充実して楽しく温かい気持ちになれた、そして、看護師として人としての気づき、驚き、つらい経験の詰まった2年間でした。今、人生のいつの時点に戻りたいかと聞かれたら協力隊の2年間の時期に戻りたいと思えるほどです。

同僚とは活動期間が終わってからもメールでのやり取りは続いていましたが、時とともに疎遠になり、カウンターパートが3年前に亡くなっていたことを知ったのは、つい最近のことです。今は多くの同僚は病院を去り、亡くなってしまった同僚、そして住んでいた寮も取り壊しとなり新病院が建っていると聞きました。20年前のことは昨日のように思い出せる自分がいるのに時は流れていることを実感します。もう、戻っても自らの思い出をたどるものは何もないのかなと思うと寂しい思いはありますが、ウガンダの懐かしい空気感に触れられる訪問がいつか叶えばと思います。

節目の20年の年に振り返りの機会を設けさせていただき、感謝いたします。
最後になりましたが、このページにたどり着いた皆さんのご健康とご活躍を祈念し終わりにさせていただきます。

【画像】

前列左が遠藤さん、前列中央が津川調整員、後列左が岩間駐ウガンダ日本大使館書記官(当時。現ケニア事務所長)