ウガンダでの協力隊経験が開発を志すきっかけに(前編)

2021年8月15日

第1回:鷹觜 悠史さん(小学校教育、2017年度1次隊、任地:ジンジャ県ムシマ)

20周年企画 隊員OVインタビュー

ウガンダ青年海外協力隊派遣開始から20年、かつて青年海外協力隊員としてウガンダで活躍された方々が、現在も様々な分野でご活躍されています。協力隊に参加したことをきっかけに、進路が大きく変わった方もいらっしゃるようです。そんな元協力隊員の皆さんに参加した当時の印象に残る経験や思い出、現在のキャリアや今後のキャリアプランについてインタビューさせていただきました。

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【鷹觜 悠史さん プロフィール】
1987年生まれ。大学在学中にヨーロッパを自転車で一周。その経験から大学卒業後、小学校教諭を目指す。小学校教諭免許を取得後、東京都の公立小学校に約3年間勤務。2017年6月より2年間、青年海外協力隊の「小学校教育」としてウガンダ共和国・ジンジャ県の小学校に派遣。現在は英国の大学院で「教育と国際開発」を勉強中。

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クラブ活動で鶴が折れたよ!

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日本からお手紙が届いたよ!(交流プログラム)

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初めて絵具を使って橋の絵を描いたよ!

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夢の橋を描いたよ!(コンテストに応募)

(JICA)はじめに、協力隊に参加したきっかけを教えてください。

(鷹觜さん)協力隊に参加した理由はいくつかあります。一番の理由は、開発途上国で教育活動に携わってみたかったことです。アフリカや途上国の話はテレビや経験から知っていることもありましたが、実際に自分で行って体験してみたかったです。また、日本で教員として働いた経験を生かして自分の持てる技術や知識を途上国の子供たちに伝えたかったこと、言い換えれば、自分なら貢献できると思っていたことです。二つ目の理由は、開発途上国についてより深く知りたいと思ったことです。大学で開発途上国について勉強する中で途上国の「貧困問題」について聞いてきましたが、実際にその「貧困」がどういう問題なのか知りたいと思いました。指標で貧困は定義されているけれど、それだけではわからない貧困の実態や直面している課題について知り、その後、自分自身が貧困問題について、どのように貢献ができるのか考えたいと思いました。

(JICA)派遣前にイメージしていたウガンダの印象や派遣後の印象を教えてください。

(鷹觜さん)派遣される10年ほど前に隣国のタンザニアへ行ったことがあり、当時のポジティブな印象は何となく頭の中に残っていました。それでも日本に入ってくるアフリカの情報はネガティブなものが多く、テロ、犯罪、自然災害、感染症等の危険が多いというイメージも確かにありました。

実際に派遣されてみると、首都のカンパラは想像以上に発展しており、首都で貧困について考えるきっかけはほとんどありませんでした。日中であれば外を歩くこともでき、治安も悪くない。そして何より、ウガンダ人は人懐っこく明るかった。また村では収入は低くても農業で生計を立てている家庭がほとんどで、一概に現金収入が低いので貧困というわけではなく、家族やコミュニティで助け合いながら生活していることもわかりました。資本主義ではなく社会主義、一人で生きていくのではなく、みんなで助け合いながら生活しているのがウガンダの村社会でした。都市と農村の格差に気が付いたのは首都のカンパラと村を行き来するようになってからでした。

(JICA)隊員時代、どのような活動をされていましたか?配属先や活動について教えてください。

(鷹觜さん)配属先は全校児童300名程度の小さな村の小学校でした。主な活動は、算数、体育、図工の授業を行いました。授業は主に高学年を担当し、算数では学力向上に向けて日々の授業に取り組みました。公式を暗記するのではなく、なぜ公式が使われているのか、子供たち自身が考えて問題を解けるように指導をしました。また、子供たちが算数に興味を持てるように掲示物を工夫したり、フラッシュカードを作成したり、掛け算九九を覚えられるように取り組みました。それから、体育ではウガンダのカリキュラムに沿って、陸上競技や球技に取り組みました。陸上は主に短距離と長距離、球技はネットボール(ウガンダの学校で女子生徒に人気の、バスケットボールに似た球技)、バレーボールとサッカーを教えました。授業を行うための教具が不足しており、ボールを作ったりゴールを作ったりと試行錯誤の中で授業を進めました。図工の授業はJICAが主催した絵画コンテストへの応募に向けて取り組みました。初めて絵具を用いて絵を描く子供たちもおり、一緒に描きながら指導にあたりました(詳細はクロスロード2019年の3月号に掲載済)。授業を通して次第に子供たちの成長が見られるようになったのは嬉しかったことの一つです。また、私自身も子供たちから日々学ぶことが多く、次第に子供たちのペースに合わせて授業を進めることができるようになりました。授業以外では、クラブ活動を行い日本の文化や歌、ダンスなどを指導したり、日本の小学校との交流活動も行いました。

(JICA)ウガンダでの隊員活動や生活での一番の思い出はなんですか?

(鷹觜さん)振り返ってみると、スポーツ大会や絵画コンテストで子供たちが1等賞を取ったこと、同期や任地の近い隊員と一緒にウガンダの生活や活動について意見交換したこと、ウガンダ人とルームシャアをしていたこと(ご飯の支度から生活全般について一緒にやっていたこと)、町に買い物に行って値段交渉したこと、ウガンダ人と冗談を言い合ったことも良い思い出です。それでも、一番思い出に残っているのは授業です。自信をもってうまくいった授業といわれるとほとんどありませんが、毎日いろいろなハプニング(子供が学校に来ない、時間割通りに授業が進まない、他の行事が突然入り授業が中断等)が起こる中で、どうにか子供たちに学習へ興味を持たせ、最後まで授業を行うことができたことは2年間の中での1つの成果でした。授業を通さないと伝えられないことはたくさんあり、協力隊の活動を通して子供たちの学力や社会性を育むことに少しでも貢献できたかなと振り返りました。

(JICA)ウガンダの小学校で小学校教員として教育に関わる中で、将来の方向性も次第に定まってきた鷹觜さん、後編では現在のキャリアについてもお伺いしました。(後編へ続く)