協力隊経験は人生を深める旅。この旅をしないのはもったいない。(前編)

2021年9月1日

第3回:室根 由寛さん(村落開発普及員、2008年度2次隊、任地:ムバレ県)

20周年企画 隊員OVインタビュー

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【室根 由寛さん プロフィール】
2008年、村落開発普及員としてウガンダの青年海外協力隊に現職参加制度を利用して参加。日本福祉大学にて国際開発学の修士課程を履修後、JICAパプアニューギニア事務所、JICAマラウイ事務所を経て、現在はJICAモンゴル事務所にて企画調査員(ボランティア事業)に従事。青年海外協力隊事業に従事する傍ら、自らもボランティアとして活動を続けている。直近では2019年台風19号で被災した長野県長沼地区で災害ボランティア活動に参加して被災地を支援した。今後もJICA海外協力隊事業に携わりながら、自らも“ボランティア”として被災地支援等の活動を続けていきたい。

(JICA)はじめに、協力隊に参加したきっかけを教えてください。

(室根さん)沢木耕太郎先生の書籍『深夜特急』を愛読したことがきっかけです。
この小説を読んだことで、人生を一つの大きな「旅」として考えるようになりました。そしてその「旅」の切符を与えてくれたのが青年海外協力隊への参加となります。当時、青年期のど真ん中にいた私にとって、その切符はあまりに魅力的であり、当時、勤めていた会社に無理を言って、現職参加制度を利用して参加することを決意しました。

(JICA)派遣前にイメージしていたウガンダの印象や派遣後の印象はどうでしたか?

(室根さん)当時29歳のわたしにとって、アフリカ大陸に渡るというのは大きな決断を迫られる「旅」でした。その理由として、会社の総合職に追われていたわたしにとって、目の前の仕事をどうやりきるか、そのことに相当の時間を費やしていました。正直、派遣スケジュールが具体的になるまで、「旅」の重さをしっかりと考えていなかったと思います。加えてウガンダに関する知識も乏しく、アフリカに関連する知見も人並み以下だったことは間違いありませんでした。しかし、若さゆえに不安よりも好奇心が勝っていたように思います。
派遣後のウガンダの印象に関しては好奇心が増したように感じています。それまでアフリカに関連する報道も“対岸の火事”のように飲み込まずにいたわけですが、一瞬映し出される映像からその周辺に広がるアフリカの大地が頭をよぎるようになり、ウガンダの人たちの顔が浮かび上がるようになったと思います。

(JICA)隊員時代、どのような活動をされていましたか?配属先や活動について教えてください。

(室根さん)ムバレ県のFDNCというNGOに配属し、土嚢、ネリカ米、養殖等を通じて地域の現金収入向上活動に従事していました。このように書くと聞こえがよいのですが、実際は鳴かず飛ばずのハイライトが乏しい隊員時代でした。人様に声高に誇れる活動とは呼べないまでも、たどたどしくも現地語を覚え、村の中で多くの学びと気づきをもらうことができたと思っています。

(JICA)ウガンダでの隊員活動や生活での一番の思い出はなんですか?

(室根さん)一番、二番というように順番(優劣)をつけることが難しいですが、一番苦しかったのははじめてマラリア罹患した夜のことはとてもよく覚えています。無知で愚かだったわたしはマラリアとは気づくまで、頭痛と寒気がそれから来ているものとしらずに活動に取り組んでいました。それというのも、一日中、体調が悪いわけではなく、日中は身体に力を感じていましたので、活動に行き、夜は頭痛と寒さと戦うような日々を数日続けたように思います。
事務所、HAに連絡を入れたときはこっぴどく、叱られてたようですが、その時は意識がもうろうとしていてどのように上京したのかはあまり覚えていません。身体の芯から来るあの寒さは生涯忘れることはなく、思い出の一つとなっています。余談ですが、そのマラリアは卵形タイプであり、派遣終了から1年ほど経った折、日本でも再発するという事態になったことを付しておきます。

ウガンダでの一番の思い出がマラリア…という室根さん。辛い思いでばかりかと思いきや、協力隊員としてのウガンダでの活動は、その後の室根さんに大きな影響を与え、今後の進路を変えることになったそうです。(後編に続く)

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任地では、村の子供たちに週末サッカーを教えていました。ムバレ県サンセットアカデミーというNGO団体が母体になっています。