シニア海外ボランティアとしての2度の活動から学んだこと。(前編)

2021年10月12日

第8回:川並 浩司さん
(体育、2012年度3次隊 2018年度2次隊、任地:ワキソ県キラ、カンパラ)

20周年企画 隊員OVインタビュー

【画像】

【川並 浩司さん プロフィール】
神戸市立中学校体育教員として36年勤務し退職。退職後にネパールでのボランティア活動に参加。その後、シニア海外ボランティアに応募し合格。2013年1月よりワキソ県キラのシモニPTCで2年間活動。2018年10月から2020年3月までカンパラのチブリPTCで活動。現在は神戸市公立中学校で活動中。

現在は神戸市の公立中学校で活動されている川並さん。実はシニア海外ボランティア(現名称:シニア海外協力隊)として2度、協力隊活動に参加されました。合計3年半に渡り、ウガンダでの協力隊活動についてインタビューしました。

(JICA)2度シニアボランティアに参加されていますが、最初に協力隊に参加したきっかけは何でしたか?

(川並さん)前職を退職後に、新聞で知ったネパール・ムスタンのチベット難民の方々に衣服や学用品を届けるNGOの方々の手伝いをしていました。以前からボランティア活動には興味はあったのですが、長期で日本を離れる海外でのボランティアは難しいと思っていました。その後、青年海外協力隊(ホンジュラス)に参加したことのある家族の勧めで、シニアボランティアにチャレンジしてみました。

(JICA)青年海外協力隊に参加したことのあるご家族の勧め、ですか?それは、もしかして、お子さんも協力隊経験者ということですか?

(川並さん)私の娘は青年海外協力隊員として、2009年、ホンジュラスで2年間、その後2011年にも2か月間、インドで活動していました。色々と苦労もあったようですが、活動を通して隊員仲間や現地の方々ととても素晴らしい体験や交流ができたとの話を聞いていました。私のJICAボランティアへのチャレンジも娘の強い勧めがあったからです。JICAの試験を受けるときにも派遣されるときにも色々なアドバイスをしてくれました。

(JICA)派遣国は違いますが、娘さんが隊員の先輩としていろいろとアドバイスしてくださったとは、心強いですね。実際、選考に合格されてウガンダ行きが決まった時のご家族の反応はいかがでしたか?

(川並さん)試験に合格したときに家族(妻と娘)は大変喜んでくれました。特に妻は、アフリカでのボランティア活動という経験は誰もができることではないので、与えられた機会を生かしてぜひ頑張ってほしいと応援してくれました。(妻は…もしかしたら「亭主元気で留守がいい」だったのかも…)

(JICA)ご家族の応援は、任国にいても心の支えになりますよね。ウガンダに派遣されることが決まった時は、ウガンダにどんな印象を抱いていましたか?実際に来てみた時の印象はどうでしたか?

(川並さん)派遣前は、ウガンダは貧しいためにスリや強盗などの犯罪が多く、またエイズやエボラなどの伝染病も蔓延している非常に貧しく危険な国だと思っていました。派遣中に、首都やその周辺部ではそういった犯罪が行われたというニュースを聞いたこともありましたが、地方では、確かに生活面ではかなり厳しいようでしたが、みんなで互いに助け合い楽しく生活しているように見えました。一般的なルールを守り犯罪リスクを回避する行動をしっかりとっていれば、安全は確保できる国だと思いました。

(JICA)2度、ウガンダで活動されていますが、ウガンダではどのような活動をされていましたか?

(川並さん)ワキソ県キラと首都カンパラにある小学校教員養成学校に派遣され体育授業の指導法を教授しました。体育授業に使えるような備品や用具が全くない状態だったので、現地で手に入る空のペットボトルや新聞紙などで手作りマーカーやリレー用のバトンを作り、できるだけ用具を使わずにできる体操や陸上競技を中心に指導していました。特に、現地の小学校は一クラスの生徒数が多い(60~80名)ことから、できるだけたくさんの人数で実施できる集団ゲームを数多く指導しました。

(JICA)36年間の日本での教員生活とウガンダでの活動では異なることも多く、それにより苦労されたことも多いのではないでしょうか?

(川並さん)私の要請内容は教員養成学校卒業後に小学校の教師になる学生の体育指導でした。しかし、日本で実施しているような体育授業はウガンダでは実施できませんでした。ウガンダでは日本で実施しているような体育を行うのに必要なものは全くと言っていいほど何もなかったからです。学校にはグラウンドはありますが体育倉庫はありません。もちろん体育館やプールは言うまでもありません。生徒の人数は一クラス60名から多い時は80名ほどです。これだけの人数に対して、授業でサッカーやボールゲームをするのに使えるボールは現地教師が保管しているサッカーボール1個だけしかなかったのです。

(JICA)全く設備環境も異なるウガンダでボランティア活動を始めることになった川並さん。スタートから苦労が多そうな予感がしますが…日本の経験を生かしてどのように活動されたのでしょうか?(インタビュー後半に続く)

【画像】

体育授業で「小学生のための集団ゲーム学習」を指導しました。

【画像】

学生と一緒に日本文化紹介の資料を作成しました。