協力隊の任期が終わってからも続く挑戦。(前編)

2021年11月24日

第12回:鰐渕 元貴さん
(食用作物・稲作栽培、2015年度1次隊、任地:セレレ県セレレ)

20周年企画 隊員OVインタビュー

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【鰐渕 元貴さん プロフィール】
1993年生まれ。奈良県出身。大阪府立大学で農学を専攻し、卒業後同大学院に進学。在学中の2015年から2年間、大学院を休学して青年海外協力隊に参加。ウガンダ東部セレレ県の国立半乾燥資源研究所に配属され、稲作栽培隊員として活動。大学院を修了後、現在は群馬県南牧村の地域おこし協力隊として活動中。

群馬県南牧村の地域おこし協力隊として活動されている鰐淵さん。インタビュー前半では協力隊に参加したきっかけや、ウガンダでの思い出のエピソードをお聞きしました!

(JICA)現在は地域おこし協力隊として活動されていらっしゃるんですね。同じ「協力隊」の名前ですが、まずは青年海外協力隊に参加されたきっかけを教えてください。

(鰐淵さん)高校生の頃から、国際協力の仕事に漠然とした憧れを抱いていました。大学生になって、実際に様々な国を旅してみたり、大学OBで「ブータン農業の父」と呼ばれる故西岡京治さんの功績を知る中で、自分も発展途上国で農業支援の活動をしてみたいという気持ちが強くなり、青年海外協力隊への挑戦を決意しました。

(JICA)参加された職種は「食用作物・稲作栽培」ですが、大学では農学を学ばれたということ、専門性を生かして協力隊に参加されたんですね。ウガンダでは協力隊員により稲作支援を実施していますが、ウガンダを希望されていたんでしょうか?実際、ウガンダに派遣されたウガンダの印象はいかがでしたか?

(鰐淵さん)私の場合、当時大学で学んでいた稲作に関する分野で活動をしたいという思いが強く、どこの国へ行くかというこだわりはほとんどなかったので、実際に派遣が決まるまで、ウガンダがアフリカ大陸のどのあたりにある国なのかさえよく知りませんでした。実際にウガンダに派遣されての印象はいくつかありますが、生活してみて一番感じたのは、ウガンダって地図上でみるよりもずっと大きい国だなということです。私の任地は首都のカンパラからバスとタクシーを乗り継いでだいたい8~10時間かかる場所にあったので、用事があって首都まで上京するたびにけっこう大変な思いをしていたのですが、同じウガンダ国内でも場所が変われば民族も変わり、言葉や生活習慣も異なる部分が結構たくさんあったので、そういう側面を知ることができたのは、遠方隊員ならではだったと思っています。

(JICA)「食用作物・稲作栽培」という職種名からすると、お米に関わる活動なのかなと想像できますが、なんだか難しそうな感じがしますが…実際、配属先では、どのような活動をされていましたか?

(鰐淵さん)配属先は、ウガンダ国内に2つある国立の農業研究所のひとつで、私は同僚と一緒にイネの栽培試験や、所内にある稲作圃場の管理を行いながら、近隣の村に出向いて、農家さんに対して稲作の普及活動に取り組んでいました。研究所で働く同僚たちと、村の農家さんたちのどちらともフラットな関係性で話せる立場にあったので、そういった関係性を上手く活かしながら、研究所と農家さんを結びつけるような形で研修会などを企画できたことは、ひとつ有意義な活動だったのではないかなと思っています。

(JICA)研究所の一員として、近隣の農家さんとも活動されていたんですね。なかなかフラットな関係で農家さんと接することは研究所の所員では難しいのかもしれませんが、ボランティアという立場で橋渡しするような活動だったんですね。思い出に残っているエピソードはありますか?

(鰐淵さん)普及活動で近隣の村を周るために、バイクで移動することが多かったのですが、その道中にバイクの不具合で立ち往生することがしばしばありました。そんな際、どんなに田舎の道路端で止まっていても、必ず通りがかりのウガンダ人が声をかけてくれて、彼らの優しさに助けられたことが幾度となくありました。あるとき、村から帰る道中でバイクのエンジンがかからなくなって、これはもうダメかもしれないとなったときに、カピカピに乾燥したトウモロコシの芯をどこからか持ってきた村のおじさんが、それでプラグを一生懸命磨いてエンジンをかけてくれたことがあって、心の底から感謝するとともに、この人たちは本当にたくましいなと敬服しました。そういった、「あるものでなんとかする」生活の知恵と生命力は、本当に見習いたいと今でも思っています。

(JICA)「あるものでなんとかする」という精神は、震災などの非常時には日本でも必要とされている重要なスキルですよね。ウガンダでいろんな方にお世話になったのかと思いますが、任地で会いたい方はいらっしゃいますか?

(鰐淵さん)任地で暮らす友人や農家さん、食堂のおばちゃんなど、会いたい人は大勢いますが、彼らとはSNSを通じてコミュニケーションが取れたり、また私がウガンダを訪れた時に会って話をすることができると思うので、特に思いつきません。人ではないですが、任地で生活をする中で、いつも一番近くにいて心の支えになってくれたのは、一緒の家に暮らしていたネコの小梅だったので、次に任地を訪れた際には彼女の元気な姿も見ることができれば嬉しいなと思います。

(JICA)任地では多くの方、そしてネコの小梅ちゃんに支えられて活動されていた鰐淵さん。インタビューの後半では、協力隊の参加で考えたこと、感じたこと、そして現在のキャリアについてお聞きします!(後半に続く)

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配属先での農家さん研修

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活動で使用していたバイク

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机の上で眠る小梅