所長あいさつ

【画像】

アクワバ!(事務所のウェブサイトへようこそ!)

コートジボワール…。日本人からはちょっと遠く感じるアフリカの国。世界一の生産量を誇る、カカオやカシューナッツなどの豊富な農産品で知られた国。また2014年のサッカーワールドカップでは、わが日本代表が初戦で対戦した国(負けちゃったんですが)。そんなことでご存じの方もいるかもしれません。

この国は当地西アフリカでは圧倒的な存在感がある国です。かつて70年代には、「象牙の奇跡」と謳われる経済成長を達成、地域経済の核となりました。最大都市のアビジャンは、現在人口が500万人から600万人に向かって拡大中。西アフリカ、特にフランス語圏のアフリカにおける首都のような機能を果たしており、かつてのアフリカの流行歌にも「憧れの大都会アビジャン、モントリオールのよう」と謳われました(注)。

進んだ都市文化が芽生える一方、人口2400万人を数えるこの国には、60を超える部族が、多様な文化と伝統、地域性を色濃く継承しています。さらに600万人を超える域内からの「移民」も共存。人々の「モザイク」はこの国のダイナミズムを象徴しています。

そんな背景をもつこの国の歴史は、光の部分だけではありませんでした。1993年、建国の父ウフェ・ボワニ大統領の逝去すると、次第に内政が混乱。2002年から2011年に至るまで、国家は事実上南北に分断され、紛争と分断、和平の道のりをたどる「コートジボワール危機」を迎えました。特に2010年11月、和平プロセスの最終段階と考えられてきた大統領選挙結果を巡り、二人の大統領が当選を主張。翌年には「選挙後危機」といわれる内戦が再び発生し、事態は軍事的に収束を見ることになります。

2011年、アラサン・ワタラ大統領が正式に就任すると、豊富な農産品とアグロインダストリーの活況により、経済はV字回復。以降、8-10%という世界でも最も高い経済成長を遂げる国の一つに数えられるようになりました。現在、ヨーロッパから毎日、二階建ての大型旅客機が満席の旅客を載せて日々飛来。欧米や新興国からの投資家、ビジネス関係者、開発機関関係者、国際会議参加者などがごったがえす、大変な活況を呈しています。

その一方で、同国には紛争がいまだに癒えない古傷として残ることに加え、貧富、都市・地方、南北などの格差、国民和解や社会的再統合の問題にも直面している現実があります。

私は紛争さなかの2005年、日本人関係者が退避したあと、この地に残された事務所を整理するためにアビジャンを訪れました。薄汚れた暗い街並みは、湿気とともに紛争の重たい空気をため込んでいました。再びこの地に平和が来ることはあるのか。自問したことを思い出します。

2011年の紛争終結後、私は再びこの地に帰ってきました。今度は再びこの国への支援の扉を開けるためのミッションでした。高い経済成長の陰で、紛争の傷跡が時折牙を剥いてくる。この国の人たちのために何ができるのだろうか?…私たちにできることは少なくないと思っています。

当事務所は、ギニア湾に面する国、トーゴをあわせて兼轄しています。歴史的経緯から、細長い国土が特徴的な小さな国ですが、自然環境に恵まれたロメ自治港、内陸につながるロジシティック回廊などをバックボーンに、特徴のある国造りにまい進しています。

そのほか、当事務所は「地域事務所」として、西アフリカの地域統合に関する協力のとりまとめ、当地アビジャンに本部を置くアフリカ開発銀行との窓口業務、支所が存在するベナン関連事業についても所管しています。

アフリカとともに歩む日本。アフリカとともに成長するパートナーをめざして、私たちはきょうも奮闘を続けています。

(注)「Bel Abidjan」(タブレイ・ロシュリュー/アフリザ・アンテルナショナル、1969年、ザイール)

コートジボワール事務所所長
飯村 学

【画像】

2016年11月無償資金協力「日本・コートジボワール友好交差点建設計画」起工式、左よりアビジャン市長、川村在コートジボワール日本大使、小職(鍬入れ)、ダンカン首相(現副大統領)、アシ経済インフラ大臣(現大統領府事務総長)、ウェヤ在京コートジボワール大使