緊急援助がつなぐ世界と日本

#3 すべての人に健康と福祉を
SDGs
#13 気候変動に具体的な対策を
SDGs

2024.08.15

サムネイル
国際緊急援助隊事務局長 飯村 学

出動 国際緊急援助隊!

 「国際緊急援助隊」って、聞いたことありますか?空港から出動していくシーンを、テレビのニュースなどでご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。海外で大規模な災害が発生した際に、国境を越えて、いち早く援助に駆けつけることを使命とした、わが国政府による支援チーム。いわば「日の丸救援隊」です。

国際緊急援助隊救助チーム(2023年2月 トルコ南東部地震)

 国際緊急援助隊、通称「JDR」(Japan Disaster Relief Team)。レスキュー活動を行う「救助チーム」や、被災地での医療活動を行う「医療チーム」など5つの派遣類型があり(注1)、これまで169回の展開実績があります(注2)。これらのチームのメンバーは、普段は各自、それぞれの所属先で本来の業務に従事していますが、ひとたび国際緊急援助隊派遣の招集がかかると、急遽持ち場を離れ、海外に派遣されることとなります。その人々の派遣から現場活動の支援、撤収までの業務全般を担っているのがJICAの国際緊急援助隊事務局です。

 最近では、2023年2月に発生したトルコのカフラマンマラシュ県を震源とする地震被害への支援のため派遣されました。救助チームの第一陣は、地震発生からわずか9時間後に羽田空港に参集。12時間後に日本を出発し、40時間あまりで被災地での捜索・救助活動に着手しました。このような迅速な展開が可能なのは、見えないところで、たくさんの関係者が不断の準備を整え、出動態勢を維持しているからに外なりません。

国際緊急援助隊 医療チーム(2023年2月 トルコ地震)

国内災害と国際緊急援助隊

 さて、海外の災害にさっそうと飛び立つ国際緊急援助隊。国内で災害が発生した場合はどうでしょうか?・・・残念ながらこれに対応することはできません。第一に、派遣の根拠となるJICA法等にその任務が定められていません。第二に、日本の災害対策基本法や防災基本計画の中に、国際緊急援助隊は位置づけられていません。発災時の対応シナリオにも、防災訓練にも、国際緊急援助隊は組み込まれていないのです。したがって、実際の災害が発生しても、動きが取れるしくみになっていないというのが現実です。

 では海外の災害と日本の災害。まったく分断されてしまっているのでしょうか・・・これまたそうではありません。

能登半島地震

 今年の元日、能登半島地震が発生しました。わが国際緊急援助隊事務局も365日、災害対応体制をとっており、この地震の一報も直ちにキャッチしましたが、直接出動することはできません。他方、能登半島地震には、全国の消防、警察、海上保安庁などの関係者が、発災地に駆けつけました。実はその中に、多くの国際緊急援助隊の救助チームの待機隊員が含まれていました。

 震災発生後、珠洲市にある行方不明者捜索の現場で、異なる都道府県からやってきた複数の消防隊が協力して捜索・救助を進めることになった時、慣れない連携に戸惑いながらも進めようとしたところ・・・実は両隊には、国際緊急援助隊の救助チームとして、同一の小隊で協働した経験を持つ隊員が含まれていたそうです。こんなところでまさかの再会!瞬時に意気投合し、現場における円滑な捜索・救助に大きく役に立ったという話を耳にしました。

 また能登地震における医療分野では、厚生労働省が所管する災害派遣医療チーム、通称「DMAT」が大きな役割を果たしました(注3)。今回は過去最大規模の医療関係者等が派遣され、アクセスが困難な被災地にまで入り込み、非常に大きな役割を果たしました。この中には多数の国際緊急援助隊の医療チームの登録者も含まれていました。

国際緊急援助隊 救助チーム総合訓練: 厳寒の中、昼夜をとおして消防、警察、海上保安の隊員が合同して厳しい訓練を行う(2023年3月 兵庫県三木市)

JDRとDMAT~双子の兄弟

 このDMATの起源は、実は国際緊急援助隊が大きく関係しています。現在、DMAT事務局長を務める小井土雄一医師は、長く国際緊急援助隊の医療チームでの経験を重ね、中心的な役割を担ってきたリーダー的存在です。「そもそも日本の災害医療のスタートは、1978年のカンボジア難民支援で派遣された支援チーム(国際緊急援助隊の前身)にルーツがある」と語ります。小井土医師は、海外の被災地における活動の経験を重ねる中、日本国内でも緊急に対応可能な医療チームを整備する必要があると考え、DMATの創設に大きく尽力してこられました。このほか、DMAT事務局や、チームのあり方を検討するコアメンバーの中に、たくさんの国際緊急援助隊医療チームの関係者が含まれています。いわば、日本で活動するDMATと海外で活動する医療チームは双子の兄弟といっても過言ではなく、いまでも密接な関係を有しています。

DMAT事務局前 国際緊急援助隊医療チームに参加した隊員を慰労するメッセージが張り出されている 左はJDRで中心的役割を担ってきたDMAT小井土事務局長

逆輸入?再輸出? 日本発の国際標準

 もう一つエピソードをご紹介しましょう。災害医療における一つの大きなチャレンジは、混乱する被災地において、医療ニーズを即時的に把握・分析したり、各チームの的確な活動調整を行うことです。日本の災害時等では現在、「J-SPEED」といわれるツールを使って医療情報の集約を図り、現地でのスムーズな活動に活かしています。
 実はこのツールも、起源は国際緊急援助隊にあります。2013年にフィリピン台風被害に対して派遣された医療チームが、当時フィリピン側が使用していた医療情報管理のしくみ「SPEED」を見て、着想したものでした。このシステムを編み出す上で、大きなリーダーシップを果たしたのが医療チームの情報マネジメントの第一人者、久保達彦医師(広島大学教授、医師)です。同氏は2015年、日本版J-SPEEDを開発して国内震災時に活用を開始するとともに、世界保健機関(WHO)では情報マネジメントワーキンググループを主導。2017年に、このツールがベースとなって開発された「MDS」(Minimum Data set/災害医療情報の標準化手法)が、国際標準として正式に採択されました。以降、JICAもモザンビーク・サイクロン、トルコ地震、ウクライナ紛争影響国、現在進行中のパレスチナ人道危機でも活用しています。

国際会議に映し出されたガザ人道危機の医療状況 日本発の国際標準マネジメントツール「MDS」が活用されている ダッシュボードの左上にはJICAロゴ(2024年5月 ジュネーブ)

緊急援助のハートがつなぐ世界と日本

国際緊急援助と国内災害支援。法律や制度上はそれぞれ違った仕組みになっているのですが、人材、知見、ネットワークは、国内外でしっかりとつながっています。海外の被災地での経験が、国内の災害現場で生かされ、国内の災害対応の知見が、海外での災害現場に還元されています。そしてなにより、国の内外を問わず、災害発生時に現場に駆けつけ、いち早く被災者に寄り添いたいというシンプルな思いを共有する関係者のハートと一帯感が、太く、強く、国内外を貫いているのです。

おわり

(注1) このほか、感染症のアウトブレークがあった際に派遣される「感染症対策チーム」、災害に応じて必要な応急対策や復興のためのスペシャリストを送る「専門家チーム」、さらに「自衛隊の部隊」など、あわせて5つの派遣類型がある
(注2) 1987年に「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」が成立して以降の実績
(注3) DMATは大規模災害や多傷病者が発生した事故などの現場で活動する医療チーム

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