中南米の日系社会と福岡県 ― パラグアイ福岡県人会日系青年たちの思い ―

2025.10.20
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- JICA九州、山口 尚孝
明治の開国以降、多くの日本人が海外へ移り住みました。アメリカやカナダ、ラテンアメリカなどへ農場での契約労働者や開拓者等として渡航し、現在その子孫を含め約480万人が世界各地で暮らしています。国際協力機構(JICA)の前身である海外移住事業団は、政府事業の一環として日本から移住する人々の送り出しや定着支援を行っていました。
中でもJICA九州のある福岡県は、約5万8千人と全国でも5番目に多くの北中南米への移住者を輩出しました。県は、かつて移住者の子ども、孫世代への県費留学や招聘を行っていた他、現在では日系移住者家族会支援、周年交流事業など、さまざまな独自の支援事業を行っています。
そして今年11月には、福岡市を中心に県内各地で「第12回海外福岡県人会世界大会」が開催されます。世界39の福岡県人会の代表が一堂に介し、福岡県とのつながりやアイデンティティを再確認する貴重な機会となります。JICA九州はこの大会に向けて、福岡県在住の若者を通じた交流活動に参画しています。
この夏の8月、世界大会準備にボランティアで関わっている福岡県在住の大学生と日系移住家族会の代表が3チームに分かれ、ブラジル、ペルー、パラグアイの福岡県人会を訪問しました。現地では、日本人会や福岡県人会の若者たちと交流し、日本・福岡県と日系移住者・日系人・福岡県人会の現在を理解し、将来の日系社会の在り方についての活発な議論が行われました。
私は上記3か国のうちパラグアイに同行しました。人口約700万人のパラグアイには、約1万人の日系人が暮らしています。人口比ではわずか0.14%に過ぎませんが、日系社会は大豆や鶏卵、ゴマなどの農業生産を通じて、同国の経済に大きく貢献しています。また、誠実さや勤勉さが高く評価されており、現地社会からは厚い信頼を得ています。他国の日系社会と比べても、言語、食事、行事などの日本文化を保っていることも特徴的です。スペイン語とグアラニー語が公用語の中、パラグアイ生まれの二世・三世でも流暢に日本語を話す人も少なくありません。
パラグアイの主要な日本人移住地には日本語学校があり、日系社会は日本語の維持・継承に力を注いでいます。しかし、当の子どもたちは、「自分はパラグアイ生まれで、パラグアイで生きていくのに必須ではない面倒な日本語をなぜ学ばなければないないのか」と疑問を抱き、重荷に感じることもあるそうです。ときには祖父母や両親に反発することもあると聞きました。
一方で、受入国社会との同化が進むブラジルやペルーの日系人の中では日本は「先祖の出身地」でしかなく、日本語をまったく身に着けないことも普通になっています。
このような中で、JICAや県費による招聘や留学で日本や福岡に触れたことで、ルーツを再確認し、日本語や文化に対する関心が高まったという声もありました。「将来も日本や福岡県とつながっていきたいか」との問いには、「日本に学ぶべきことは多く、日本語を学び、日本を知ることは重要と考えているし、パラグアイと日本とをつなぐビジネスも期待できる。福岡は地縁だけでなく、東京などと比べても魅力があり、町の機能や安全性、文化、食、人の温かさに惹かれる」と話してくれました。
しかしながら、多くの日系青年は日本とつながりながらもパラグアイで生きていく意思をもっていることも印象的でした。自由でストレスのない生き方ができるパラグアイの魅力も大きいようです。
私自身、これまでボリビアやドミニカ共和国で日系社会に関わってきましたが、今回初めて二世・三世の方々と本音で語り合い、「祖先のルーツである日本や福岡とつながりながら、パラグアイで生きていく」という確固たる思いを聞けたことは新鮮な体験でした。
今回の渡航に参加した学生たちは、現地での経験や学びを報告し、SNSなどで発信します。県人会や日系移住者家族会を若い世代へつなぐきっかけとなることが期待されます。
地球の反対側にある日本人移住地が、日本とつながりながら発展を続け、その国の社会経済にも貢献している。日系移住者はまさに日本と世界をつなぐ架け橋なのだと思います。
福岡から36時間以上かかりパラグアイの首都・アスンシオンに到着。政府宮殿前
離れたエンカルナシオン日本人会
料理を通じた日系青年との交流
エンカルナシオン市内の買い物客で賑わうスーパーマーケットLa Sirenitaで日本食試食イベント開催
70人分のおにぎりとスープは完売(無料配布)。どの味も評判は良かった
ピラポ移住地日本語学校
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