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70年前、海を渡った青年たちは今

#17 パートナーシップで目標を達成しよう
SDGs

2026.07.31

サムネイル
ドミニカ共和国事務所 勝間田 幸太

ドミニカ共和国日本人移住70周年

想像してみてください。時は1956年7月。まだ10代のあなたは、家族でドミニカ共和国へ移住することに。テレビもまだ普及していない時代、どんな国かスマホで調べることもできません。移住なので、ドミニカ共和国に定住し、仕事をします。次に日本に帰れるのはいつか、あるいは‥‥。

今年7月、ドミニカ共和国に日本人が移住してから70周年の節目を迎えました。今ならアメリカ経由の飛行機で約30時間。70年前は約1か月の船旅でした。たくさんの荷物とともに家族全員での大移動です。着物、羽釜、農機具、中には五右衛門風呂まで。長い航海の末、移住者たちは「イスパニョーラ島」に無事到着しました。それから70年、この島では色々なことがありました。

故郷と両親のこと

その船に乗っていた一人、嶽釜徹さん(88歳)は今年米寿を迎えられた「ひいおじいちゃん」。ひ孫の話になるとどうしても頬が緩みます。たまに昨日の夕飯を思い出せないこともありますが、鹿児島県知覧町(現南九州市)で過ごした幼少期のことは、まるで昨日のことのように話してくれます。あるとき、私に小学校の成績表を見せてくれました。嶽釜さんのお母さんが日本から大切に持参されたそうです。「マジメなるも姿勢が悪し」との先生のコメントに嶽釜さんは苦笑い。

「優」が並ぶ通知表(1946年) でも姿勢は悪かった

移住してすぐの頃(20歳前後)の嶽釜さん

70年前、18歳の青年だった嶽釜さん。寡黙なお父さんから「一緒に来るか、自分で決めろ」と言われ、熟慮の末、医師になる夢を諦めての移住でした。「どうせやぶ医者になっていただろう。ドミニカに来てよかった。これが私の人生だった。」と冗談交じりに語る嶽釜さんの話には、いつも故郷とご両親への想いが詰まっています。

息子さんに髭を剃ってもらう嶽釜さん(30歳頃)

嶽釜さんのお父さんが最期に残した一言は「後は頼む」だったそうです。その言葉を受けて、嶽釜さんは移住者たちが直面していたさまざまな問題の解決に向けて本格的に動き出します。それは最終的に、「祖国」日本を訴えた裁判に発展。2000年の提訴から6年後、「率直に反省し、お詫びする」という首相の談話により決着しました。

九州大学のインターン生との談笑(2026年)

移住者たちの貢献

「どんな野菜が作られているか調査して、種をまく時期をずらし、高く売れるときに収穫できるよう工夫した」と語るのは西尾孝志さん(84歳)。移住してからはみなさん苦難の連続でした。それでも移住者たちは前を向き、荒れた土地や水不足にも負けずに日々農業に励みました。勤勉な日本人の姿は評判で、当時ほとんど野菜を食べなかったドミニカ共和国人にトマトやきゅうりなどの食べ方・調理方法を教えていった結果、徐々に野菜が普及。当時の基幹産業であった農業の発展に大きく貢献しました。

西尾さんは15歳の頃、ドミニカ共和国への移住者第一陣が出発したとの新聞記事を見た瞬間「これだ!」と思い、自分も移住したいとお父さんに直訴しました。幼少期に学んだクラーク博士の言葉「少年よ大志を抱け」に強く感銘を受けていた西尾少年は、その約2か月後、家族と共に船に乗ってドミニカ共和国へ向かっていました。

クラーク博士の言葉は「Boys, be ambitious like this old man(少年よ、この老人のように大志を抱け)」だったという説もあるそうです。「19歳の頃には自分の畑を持って独立した。早く大人になりたかった。」と大志を抱いた少年も今は84歳。ドミニカ共和国での幾多の挑戦を振り返る西尾さんは、「この老人のように」大志を抱けと語りかけているようでした。

バイクで島中を走り回った西尾さん(21歳)

ギターを弾きながらご家族と(30代の頃)

西尾さんは「七転び八起き」の70年だったと振り返ります 70周年をお祝いするイベントにて

次世代へつなぐ

『光あふれるキスケージャ カリブの海もおともだち‥‥』日系人の子どもが通う日本語学校の生徒たちが、元気に校歌を歌います。「キスケージャ」は先住民タイノ族の言葉で「母なる大地」を意味し、移住者にとっても希望の地を象徴する大切な言葉です。『大地にのこる父母の 努力と汗を思いつつ‥‥』移住者たちはこの大地に鍬を一つずつ入れて、今の日系社会の基礎をつくりました。その思いを子どもたちが歌い継いでいます。

一世のみなさんは頑張ってスペイン語を勉強したそうです。2世以降はスペイン語が母語となり、今は子どもたちが日本語を一生懸命に勉強しています。

日本語学校の入学式にて 一世の想いを若い世代が未来に繋いでいきます (一番右の女性が嶽釜さんの奥様、その左側に嶽釜さん)

青年たちの今

7月、移住70周年を記念したいくつかの催しが開催されました。そこには、嶽釜さんや西尾さんのようにかつては青年だったおじいちゃん・おばあちゃんたちの元気な姿がありました。それを囲むのは「ひ孫」の4世まで世代が進んだ日系人たちです。記念式典で嶽釜さんは「70年前、私たちを温かく迎え入れてくれたドミニカ共和国民・政府に改めて感謝したい」と述べられました。

今、ドミニカ共和国には、私たちを温かく迎えてくれる日系社会があります。お家にお邪魔すれば大きな「おはぎ」をご馳走になり、難しい相談にも緑茶で一息入れる時間を設けてくれます。70年分の話になると、いつも時間はあっという間です。

移住者お一人おひとりにストーリーがあります。もしかしたら、いつかその話が聞けなくなるときが来るかもしれません。ですから、できるだけ多くの人に、70年前の青年たちは何を思いどのような経験をしたのか、知っていただきたいと思っています。そのために、JICAは今後もさまざまな形で、ドミニカ共和国の移住のストーリーを発信していきます。

70周年の日の嶽釜徹さん この「ぶらじる丸」(パネル)で到着してから70年が経ちました

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