マダガスカルの食と栄養を向上、その契機となった日本由来の「生活改善」とは?
2024.03.12
世界の持続的な発展に大きな影響をもたらす食と栄養の問題。貧困や飢餓に苦しむアフリカでは、人口のおよそ2割が栄養不良と言われており、とりわけ深刻な問題となっています。この状況を改善するためJICAは2016年、他の国際機関とともに「食と栄養のアフリカ・イニシアティブ(IFNA)」を発足し、2019年からアフリカ全域で展開しています。
中でも住民たちが自ら積極的に栄養改善に取り組んでいるのがマダガスカルです。その契機となったのが、戦後の日本で始まった「生活改善活動」の実践でした。なぜマダガスカルでこの活動が始まり、人々の暮らしや意識をどう変えたのか。JICA国際協力専門員の太田美帆さんと、元JICA海外協力隊員の積奈津子さんに伺いました。
日本で学んだ生活改善について住民に説明する農業局の職員
アフリカ東海岸のインド洋に浮かぶ島国マダガスカル。1日1.9ドル以下(国際貧困ライン)で暮らす人が人口の約8割に上ると言われ、その多くが農村部に住んでいます。2007年、世界最貧国の一つと言われるこの国で、人々の暮らしを少しでも良くしようと、一部のマダガスカル人が立ち上がりました。「SEIKATSU KAIZEN(生活改善)」と呼ばれる活動を始めたのは、JICAの研修で日本の農村開発経験について学んだマダガスカルの農業省や栄養局の職員たちです。
「生活改善」とは、戦後日本の農村民主化と農村部の生活水準向上に寄与した生活改良普及事業のこと。JICAはこの事業を通して日本が得た教訓を途上国の発展に活かすため、継続的に研修を実施している(写真:内田宏「生改グループ員の野菜作り」1955年、提供:NPO地域資料デジタル化研究会デジタルアーカイブズ)
庭先で栽培した野菜は天日干しすることで、食材の少ない時期の貴重な栄養源になります。石やレンガを三角形に並べただけの「三つ石かまど」を、熱効率のよい「改良かまど」に変えれば、薪集めや調理にかかる手間を減らすことができます。手元にある資源に小さな工夫を施すことで、生活を少しずつ豊かにし、自主自立した農民を育てていく——それが「生活改善」です。日本で学んだ帰国研修員たちは、母国でチームを結成し、それぞれの県で普及活動を立ち上げます。
「こうした帰国研修員たちの自助努力による活動は、注目すべきことです」と語るのは、JICA国際協力専門員の太田美帆さん。「マダガスカルでは財政の逼迫から、農村開発に必要な政府予算も人材も不足していましたが、当時の住民の間には『支援がなければ何もできない』という無力感が広がっていたと聞きます。そこに危機意識を持っていた研修員たちは、援助に依存しない生活改善を日本で学び、『マダガスカルに必要なのはこれだ!』と感じたのではないかと思います」(太田さん)
JICA国際協力専門員の太田美帆さん。生活改善に関する研修は現在も実施されており、取材日にはエチオピアやガーナなどアフリカ諸国から来日した研修員を迎えて講義が行われていた
2009年に勃発した軍事クーデターで世界からの支援が滞ると、財政難は一段と悪化。しかし帰国研修員たちの熱意は冷めませんでした。そんな彼らに心を動かされたJICA関係者も、展開地域に協力隊員を派遣したり、普及員たちが作成したマニュアルの印刷・配布に協力したり、帰国研修員らが開催する「農村生活改善コンテスト」を支援するなど、活動を積極的にバックアップし続けました。
2012年当時、JICAマダガスカル事務所で研修を担当していたアンジー・ランジアンツァさんは「普通の農民たちが、自らの力で将来を切り拓く‟考える農民”となるよう、さまざまなサポートを行った」と言います。お金がないからできないとあきらめるのではなく、生活の中に自ら課題を見つけ、行動し、その責任を自らが負う、そうした意識改革を促していくことが重要だと考えたのです。
「敷地内の土地を活かして家庭菜園から始めよう」と呼びかける普及員
帰国研修員たちが始めた改善活動の輪は徐々に広がり、農民はグループごとに「改良かまど」の作り方や、栄養価を考えた野菜の栽培や調理、下痢やマラリアを防ぐための衛生改善法など、数々の工夫を学んでいきました。
熱効率のよい「改良かまど」づくりに挑戦
農村部では希少となっている薪や木炭の代わりに、地域にある草と泥を使った炭作り
不足しがちな栄養を現地で手に入る食材でカバーしようと、協力隊が考案したクリームシチューの材料
栄養だけでなく見た目も鮮やかなシチューは、子どもから大人まで人気のメニューに
現地で採れるグアバを使ってジャムづくり。グアバを潰す道具はお米の計量に使う空き缶を利用
教会を母体としたグループでは、りんごジャムを作って得た収入を教会の活動資金に充てた
あるグループは、ジャムから得た資金を元手にほうきを作り、ほうきを売ったお金で豚を買い育てて販売し、その利益でミシンを購入。今では洋裁でさらなる収入向上を目指している
グループで活動することが楽しいと話す住民たち
2012年には生活改善のアイデアと実践を競うコンクールがスタート。これを受けて翌年には生活改善ワークショップの約6割が、住民主体で行われるようになりました。農民たちの変化を間近で見てきた元JICA海外協力隊の積奈津子さんは、こう言います。「小さな成功体験の積み重ねが、誰かに頼らなくてもやっていけるという自信になり、オーナーシップにつながっていったのだと思います。私たちが提案しなくても、『これが使えるんじゃない?』『あれをやってみようか』などとアイデアを出し合い、自分たちで行動に移していく。そこに協力できることはとても楽しかったですね。うまくいったアイデアを嬉しそうに話してくれる姿には、私自身も胸がいっぱいになりました」。
元JICA海外協力隊の積奈津子さん。2016~2018年までマダガスカルで活動。現在はNPO法人IFPaT国際農民参加型技術ネットワークの研究員として、マダガスカルをはじめとする途上国の生活改善および栄養改善活動に従事している
現地で豊富に取れるにんじんを使ったピクルス作りを行う生活改善グループ「ミチンズ」のリーダーを務めるナスルさんも、そうした住民の一人。家が貧しく、家族も多かったため、十分に勉強できなかったと言うナスルさんは、それだけに生活改善を通じて、新しいことを学ぶこと、それが自分のものになっていくことに喜びを感じたと言います。「毎月 1 回はグループで活動の振り返りを行い、改良を重ねます。皆で何かを成し遂げて、一緒に生活レベルが上がっていくことが楽しいんです」(ナスルさん)。
新たに覚えた調理法や生活の知恵を、周りの人たちに積極的に広めていったというナスルさん(左)
積さんをはじめ、マダガスカルの歴代の協力隊員たちは、帰国研修員らと協力してさまざまな活動を展開。生活改善の事例集や、現地の食材を用いた栄養レシピ集なども作成しました。そのレシピ集はマダガスカルで栄養改善事業に取り組んでいる他機関でも活用され、増刷依頼が来るほどの好評ぶりで、現在改訂版の制作が進んでいます。
農業に始まり、栄養、衛生、教育、収入向上など、多岐に渡る活動が相乗効果を生み出してきたマダガスカルの生活改善活動。その成功体験の積み上げこそが、関係機関の共同体制の構築につながり、マルチセクターによる栄養改善を掲げる「食と栄養のアフリカ・イニシアティブ=IFNA (Initiative for Food and Nutrition Security in Africa)」がマダガスカルで奏功する礎となったと、太田さんは言います。
「栄養改善と言えば、通常は保健省の担当ですが、マダガスカルでは栄養局のコーディネーションのもと、農業・畜産省、水・衛生省、保健省をはじめ複数の省庁が協力して取り組んでいます。生活改善活動を通して、マルチセクターで推進する効果を行政官たちが会得しているからです」(太田さん)
この機運をとらえJICAは、2019年からマダガスカルの省庁間連携による「食と栄養改善プロジェクト」を実施しています。対象地域ではこれまでに、90%以上の農家において手洗いが実践され、多様な作物が栽培・消費され、健康になるための食行動の変化があった、などの成果が見られています。子どもの下痢の罹患率も3%まで減り、「これまでの子どもに比べ、明らかに生育がよくなった!」と多くの母親たちが喜びの声を上げています。
「生活改善活動の実績から、栄養改善にも自主的に取り組む住民リーダーやグループがマダガスカル各地で育っています。今後も彼らの自主性を大切にしながら、この活動が絶えないよう『考える農民』の育成を続けていきたいと考えています」(太田さん)
scroll