国際協力を日本の力に② ザンビアで学んだ農業が静岡の茶畑を元気に
2026.02.18
日本を代表する茶産地、静岡県掛川市。存続の危機に直面する茶畑にいま、首都圏の若者や海外からの旅行者が訪れています。その背景には、一人の青年がザンビアの農業から得た学びがありました。
掛川市の茶畑で茶摘み体験する中学生たち(平野耕志さん提供)
掛川市は日本列島のほぼ真ん中に位置し、丘陵地に茶畑が点在する美しい景観が広がっています。国連食糧農業機関(FAO)が世界農業遺産に認定した茶草場農法で知られ、濃厚で深い味わいがある「深蒸し茶」の日本一の産地です。
農林水産省の統計によると、掛川市では2010年に約1400軒あった茶農家が20年には550軒を切りました。同市お茶振興課の萩田佳宏係長は「ペットボトル商品が普及して、リーフ茶の購入量は激減し、茶価が低迷しました。茶の生産だけでは生活が成り立たず、生産者の高齢化が進み、後継者不足が深刻になっています」と言います。
掛川市内の茶畑の風景(掛川市提供)
茶畑の景色が次第に失われていく掛川。その流れを変えようと新風を送り込んでいる「体験型農園」があります。
キウイの木が生い茂る下で、観光客たちが食べ放題のキウイを味わったり、バーベキューを楽しんだり。「キウイフルーツカントリーJapan」は東京ドーム約3個分の敷地で85種類のキウイを栽培し、国内外から年間約4万人が訪れます。
この農園の特色は「クルリン農法」と名付けたエネルギー循環型農業です。観光客が食べたキウイの皮は畑の肥料や動物の餌にします。バーベキューの灰は土壌をアルカリ化し、煙は病害虫予防に役立っています。「堅苦しくない形でSDGsを知る工夫をしています」と話すのは、同園代表の平野耕志さん。元JICA海外協力隊員です。
農園でキウイを収穫する平野耕志さん(平野耕志さん提供)
農園は父正俊さんが1976年に米国から持ち帰ったティースプーン1杯のキウイの種から始まりました。平野さんは農業高校に進み、米国でも農業を学びましたが、20代前半のころは「苗を植えて収穫するだけの農業に魅力を感じなかった」と言います。
道を探しあぐねる中で思い起こしたのは、農園で働いていた海外研修生たちの姿です。「必ず日本の技術を身につけて母国の農業に生かす」。そんな強い情熱を感じたと言います。
「途上国の人たちと農業をしてみたい」。そう決意した平野さんは2012年、JICA海外協力隊に応募し、アフリカ南部のザンビアに派遣されました。そこでの2年間が人生を大きく変えることになりました。
協力隊で派遣されたザンビアの農民と平野耕志さん(右)(平野耕志さん提供)
首都ルサカで、平野さんは国際NGOや保健省と共に、JICAが支援する結核撲滅プロジェクトなどに携わりました。国内では労働人口の約半数が農業従事者ですが、たいへん収入が低く、健康への意識も高くはありませんでした。そこで野菜や果樹栽培を通した栄養指導や、農家の収入向上を担うことになりました。
活動場所はコンパウンドと呼ばれる低所得者居住エリアで、診療所や農地が併設された公民館が拠点でした。「スラム街と聞きましたが治安は良く、みんなとても貧しいのにお茶を出してくれたり、食事に招いてくれたりと親切にしてくれました」と言います。
平野さんは淡水魚の養殖や循環型農法による低コスト化などに挑戦し、洋裁教室や駐車場経営など、農業以外での副収入にも道を開こうとします。しかし、そんなある日、農民たちが漏らした言葉に強いショックを受けます。
「一番貧しい人間がする、一番悲しい仕事が、農業なんだ」
その言葉は、農家に生まれ育った平野さんにとっても人ごとではありません。
するとその後、ザンビア人の医師が農民たちにこんな言葉を返したのです。
「難病を治すには、優秀なお医者さんと農家が必要です」
医師はこう続けました。「病気になって診療所に来れば薬をもらえる。でもそれで回復しても、日常の食生活が偏っていると免疫力が低下して、結局また病気になる。農家がおいしい野菜を作ってみんなにしっかり食べてもらえれば、それが何よりの薬になるのです」。その言葉を聞き、平野さんは胸が熱くなりました。
日本に帰って、農業をしよう――。平野さんは心を決めました。
ザンビアの保健センターでの野菜の寄付(平野耕志さん提供)
帰国した平野さんは、実家のキウイ農家を継ぎました。新しい農業への挑戦を考えた時、ザンビアで見た光景が大きなヒントになりました。
「日本と異なり、ザンビアの人たちは畑を自由に使っていました。大きなマンゴーの木の下に十字架を置き、週末には人々が来て歌を歌ったり。料理や散髪をする人、宿題をする子どもたちもいて、農地が人の集まる場所になっていたのです」
農地にはいろんな可能性がある。
平野さんもキウイ農園で、次々と人を呼び込む試みを始めます。ナイトヨガ、音楽イベント、結婚式、青空美容室……。
一方で周囲を見渡すと、茶畑が次々と耕作放棄地になっていきます。そこで考えたのが、高校や企業を対象にした研修旅行でした。首都圏などから来た高校生らが泊まり込みで茶農家や関係者にインタビューして掛川の課題の解決策を議論し、市や農家に提言するプログラムを実施したのです。
茶農家で学んだ後、新しいアイデアを発表する高校生たち(平野耕志さん提供)
高校生や生産者たちは研修を通じて、すぐに打ち解けました。生徒からSNSの効果的な使い方を教わるお年寄りや、最終日に別れを惜しんで泣く生徒もいました。「次はいつ来るの?」。農家からそんな声も聞くようになったといいます。
この研修から生まれた成果の一つが、耕作放棄地を転用したキャンプ場です。そこで夕日を見た生徒たちが「今日はここで星空を見て寝たい」と言ったことが発端でした。
「当初は周辺の農家から『茶畑に人が集まるのか』と心配する声もありました。でも今は週末のたびにキャンパーが訪れるので、『キャンプ場から見える茶畑をもっときれいにしよう』と頑張る農家さんもいます」と平野さんは話します。他県からの視察も来ると言います。
研修後、アルバイトや手伝いに来る若者たちもいます。東京都内在住の三尾大知さんもその一人。「ペットボトルのお茶ばかり飲んでいて、お茶の作り方も知りませんでした。でも自分で摘んだ一番茶を製茶して飲み、おいしさに感動しました」。東京農大に進んだ三尾さん。時折、泊まり込みで農作業を手伝いに訪れています。
茶農家5代目の平野昇吾さんは「若者や外国人など、茶畑に関わってくれる人が増えてきました。平野耕志さんは『物』だけでなく『事』を作っている。これも農業だと気づかされ、刺激を受けています」。掛川市の萩田係長も「農家だけで茶畑を維持するのは難しい。平野さんがザンビアでの経験を還元し、掛川を盛り上げているのはとてもありがたい」と話します。
掛川市を訪れた三尾大知さん(左)と平野耕志さん(三尾大知さん提供)
そして今、平野さんは新たな挑戦に取り組んでいます。それは掛川での農業にさまざまなアイデアをくれたザンビアへの「恩返し」です。
BLUEのピッチ大会でプレゼンする平野耕志さん(平野耕志さん提供)
平野さんは2024年、帰国隊員の起業を支援するJICAのプロジェクト「BLUE」が始まったことを知り、迷わず手を挙げました。農家の収益向上を目指したザンビアでの活動に心残りがあったからです。
3カ月間のプログラムを経て、「ザンビアの小規模農家の所得向上を実現するブルーベリー事業」を立ち上げました。栄養素が豊富で富裕層に高く売れるブルーベリーは、小さな敷地でも栽培しやすい果実です。農業省の協力も得て2025年2月には実証試験がスタート。今はザンビアと掛川を往復する日々を送っています。
ザンビアで新しい自分を見つけた平野さんは、「協力隊というチャンスのある日本に生まれて幸運でした。アフリカと日本の農業を一緒に盛り上げていきたい」と話します。
農家にもっと誇りを。国際協力から芽生えた思いは国境を越え、人々をつなぎ、さらに広がっていきます。
ザンビアを訪れ、果樹の育成について指導する平野耕志さん(左)(平野耕志さん提供)