新紙幣の原料「みつまた」を通じて支え合う日本とネパール
2026.05.12
日本のお札の原料である植物「みつまた」の大部分は、遠く離れたネパールの山岳地帯で栽培されています。大阪の「株式会社かんぽう」が、長年にわたりネパールの人々にみつまたの栽培方法や加工技術を伝えてきたからです。日本とネパールの外交関係樹立70周年の節目にあたり、かんぽうの挑戦とJICAの協力の軌跡をお伝えします。
みつまたの木を運ぶネパールの人たち(かんぽう提供)
みつまたは落葉性の低木で、枝先が三つに分かれていることからその名が付けられました。繊維が非常に丈夫で、古くから紙幣や和紙の原料として重宝されています。
みつまたの花とヒマラヤ(かんぽう提供)
「ネパール産のみつまたは世界一の品質です」
そう語るのは、かんぽうの松原正社長です。現在の日本の新紙幣づくりに欠かせない原料となっているネパール産みつまた。その高い品質が評価される一方、安定生産に至るまでの道のりは決して平たんではありませんでした。
官報や政府刊行物の販売を手がけているかんぽうが、ネパールでのみつまた生産に関わり始めたのは1990年からです。
官報は、法律や政令、国の重要な告示などを国民に周知するために発行される政府の公報。かんぽうは「官報」の販売事業などを通じて、大蔵省印刷局(現国立印刷局)と深いつながりを築いていました。
ある時、大蔵省印刷局の担当者から「(お札の原料となる)みつまたを生産する人が減少し、国内でみつまたを確保することが難しくなっている。みつまたはどうやら、ヒマラヤ付近が原産地らしい」と聞いたことが、ネパールでのみつまた栽培に目を向けるきっかけになりました。
日本では当時、みつまた栽培の担い手が減少し、生産量は大きく落ち込んでいました。原料不足が課題となる中、強い危機感を抱いた先代社長がネパールでの栽培に乗り出すことを決断。数年にわたる現地調査を経て、ジリ地区の山一面にみつまたが自生する地域を見つけ出しました。
かんぽうの松原正社長(かんぽう提供)
ネパールは、アジアの中でもとりわけ貧困が深刻な国の一つでした。農村部では現金収入を得る手段がほとんどなく、多くの人々が仕事を求めて海外へ出稼ぎに出ていきます。地元にとどまり、安定した収入を得ながら暮らすことは、簡単なことではないのです。
松原さんが出会った大人たちは、経済的な事情などから学校に通えず、文字を読める人がほとんどいませんでした。そのため、みつまたの栽培方法や加工技術を伝える際には、文字中心の資料ではなく、映像で伝えるようにしました。誰にでも分かる形で伝えることが、何より重要だったのです。
山の斜面でみつまたを刈り取り、蒸して柔らかくし、表皮を丁寧にはがして水洗いし、乾燥させる――。工程自体は特別な知識を必要とせず、男性と比べて力の弱い女性でも十分に参加できる作業でした。
山村で暮らす女性たちは、家事や子育ての合間に働けるようになりました。現金収入を得ることで、これまで社会的に弱い立場に置かれてきた女性たちが、少しずつ自信を取り戻していったといいます。
また、みつまたの生産や加工によって得られる収入は、子どもたちが学校に通うための学費などに充てられるようになり、教育の機会も生まれました。
ネパールでのみつまた栽培は、貧困から抜け出せる意義ある取り組みである一方、かんぽうにとっては長年赤字が続く厳しい事業でした。社員を現地に派遣するための旅費や交通費が大きな負担となり、株主総会で事業継続に否定的な声が上がることもありました。
「私に3年の時間をください。そこでメドが立たなければ潔く撤退します」
2013年に事業を引き継いだ松原さんは、株主にそう説明しましたが、頭の中は不安でいっぱいでした。ただ、ネパールで懸命に働く人々、学校に通えるようになり生き生きとする子どもたちの姿を目の当たりにし、「もし私たちが撤退すれば、彼らは再び貧困に戻ってしまう。ネパールの人を裏切ることはできない」と強く感じていたといいます。
「どちらか一方だけが犠牲になる関係は長続きしません。国際貢献であっても、ビジネスとして成り立たなければ継続できない。なんとかしなければならない」
この思いが、次の一歩へとつながりました。
転機となったのは2016年、JICAの中小企業海外展開支援事業に採択されたことでした。在ネパール日本大使館に相談を持ちかけたところ、JICA事業を紹介されたのです。
JICAネパール事務所の助言を受け、対象となる地域の森林事務所職員を対象に研修を行いました。研修の対象は、みつまた栽培が行われている村を担当するアシスタント・フォレスト・オフィサーや、日常的に森林に入る機会の多い森林保護官(レンジャー)や森林官(フォレスター)です。
みつまた栽培や加工に関する技術だけでなく、生産者たちをマネジメントする方法も教えるようにしました。現地の人たちが自分たちの力で生産を続け、安定した暮らしを築いていくためには、かんぽうやJICAの協力がなくても、現地の人たちだけで「自走」できる仕組みをつくることが大切だからです。
研修を積み重ねた結果、「教えられる人を現地で育てる」体制が整い、技術指導は徐々に現地側へ引き継がれ、持続的な生産体制へとつながっていきました。
みつまた加工を指導する様子(かんぽう提供)
また、JICAの協力により、ネパールの中央省庁や関係機関との調整や手続きも円滑に進むようになりました。みつまたはネパール政府の許可を得て国有地で栽培していますが、政権交代のたびに許可の再申請を求められることが多く、事業を継続するうえで大きな負担となっていました。
JICAがネパールで長年培ってきたネットワークと信頼を背景に、許認可手続きは迅速化。活動範囲もカトマンズ近郊にとどまらず、遠隔地の地方へと一気に広がりました。その結果、生産地は大きく拡大し、生産量は年間約30トンから100トン規模へと増加しました。日本の紙幣需要を安定的に支えられる体制が整ったのです。
JICAネパール事務所でみつまた事業に関わった神津宗之さんは「日本の技術と、現地の人々の力がうまく結びつきました。地域の人々の生活が確実に向上している点で、非常に良い事例だと感じています」と振り返ります。
同じくJICAネパール事務所で働く岩辻亜耶さんは「ネパールでは、地元で安定して働き続けられる仕事が不足しています。需要のある作物を育て、仕事を地域に残すことは、若者が農村にとどまる選択肢を増やすことにつながります。企業の力を借りて(海外に出稼ぎをせずにすむように)アプローチできることは、ネパールの農村にとって大きな価値があります。今回のように、日本で需要のある作物である場合、日本にとっても大きな利益につながります」とし、企業との連携事業の意義を語りました。
松原さんは、JICAとの連携について「中小企業にとって、途上国での事業は資金面のハードルが非常に高い。資金協力の仕組みや関係機関との調整には時間も手間もかかり、自社だけで対応するには限界がありました。JICAは豊富な経験とネットワークで、現地との調整や仕組みづくりを支えてくれる存在でした。『JICA』という名前があるだけで、現地での信頼感はまったく違います 」と話しました。
みつまた栽培の研修風景(かんぽう提供)
みつまたの栽培事業は、ネパールの人々の人生を変えました。ある村では、みつまたによる収入で教育を受け、海外留学を果たした女性がいます。みつまた栽培の収益で小学校を建てた人もいます。
みつまたの栽培は、ネパールの人の人生を変えています。しかし、松原さんは「それだけではありません」と言い切ります。
「ネパールの人たちが(自分のためだけではなく)、日本のためにみつまたを作っていることを忘れてはいけないと思っています。『日本のために役に立ちたい』『日本の協力があるからこそ学校にいける』という意識がある(ネパールの)子どもたちが大人になったとき、日本を助けてくれる側になるかもしれません。きっと、日本とネパールをつなぐ架け橋となってくれるのではないでしょうか」