任期終了隊員に帰国直前インタビュー (阪上鈴華 職種:環境教育)
2024.04.12
アフリカ大陸の南部に位置するボツワナ共和国では、現在30名のJICA海外協力隊員が活動しています。そんな中、コロナ禍が明けて間もなく派遣された2名の隊員が、3月19日に1年8ヶ月の任期を満了して帰国しました。
帰国直前に、ボツワナで過ごした日々について、現役隊員からインタビューさせていただきました。
本記事では、環境教育隊員としてクウェネン県・モレポロレに派遣された阪上 鈴華さんのお話を紹介します。
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早速ですが、阪上さんの主な活動内容を教えてください。
環境教育隊員として、首都から車で2時間ほどの場所にあるクウェネン県で活動していました。地域の小学校での環境教育がメインで、学校が休みの場合にはプレスクールでの手洗い指導も行いました。配属先はモレポロレの全公立小学校(16校)で環境教育を実施することを目標にしていて、無事16校全てで実施することができました。
派遣前は大阪で英語の教員として勤務していて、協力隊には現職教員特別参加制度を利用して派遣されました。実は協力隊には父が興味を持っていて、退職後は参加しようと以前から調べていたんです。しかし、父が亡くなり、父の夢が叶うことはありませんでした。父が見たかった世界はどんなものなんだろう、私が見てみたいと思ったことが応募の最も強い動機です。
コロナ明けの派遣でもありましたが、ボツワナで活動する上で大変だったことはありますか?
生活する上で最も大変だったのは、水がないことです。最長で2ヶ月間、家の蛇口から水が出ませんでした。断水の状況は地域や家にもよるようなのですが、私の家は特に断水がひどかったんです。 出ても1週間に1回、それも20リットルぐらいしか水が出ず、水を汲みに行くのに大きく時間を取られました。
また質問とは少しずれるかもしれませんが、ボツワナの地方で活動する上では現地語であるツワナ語が必須でした。首都などの大きな都市では英語だけでも活動できますが、地方に行くと現地語しか話さない人の割合がぐんと増えます。
現地語の訓練は現地でありますがそれだけで話せるようには中々ならないですし、ツワナ語の教科書も辞書も持っていなかったので、身振り手振りで彼らの言うことを推測しながら習得していきました。これまでも英語やスペイン語などを学んできましたが、全く新しい言語の学び方でした。
ツワナ語は私の1年8ヶ月には欠かせないものでした。英語を話せない村の貧しい子どもたちが英語を教えてほしい、算数を教えてほしいと頼って来てくれたこともあります。
道を歩いていて、突然タクシーの運転手からわーっと話しかけられたことがあるんです。ツワナ語が分からなければ「知らない人に突然怒られた、怖い!」と思って終わりですが、ツワナ語が分かることで「もうすぐ雨が降るから急いで!早く!!」と言っていて、心配されているのだと分かりました。
ツワナ語が話せると距離が縮まるどころのものではなくて、ツワナ語を習得しなければボツワナの人たちとこんなに関われなかったと思いますし、ボツワナ人の優しさにも気づけなかったと思います。
ボツワナに来てよかったと思う瞬間、出来事はありますか?
たくさんありますが、ボツワナの人たちとの出会いが最も貴重だと思います。
ボツワナのカルチャーを知れたこと、ボツワナのカルチャーが大好きになれたこと、そしてそんな私を好きになってくれるボツワナの人たちとの出会いは尊いです。
私は趣味でボランカーナというボツワナの伝統的なダンスや、ダンスの際に演奏する笛を始めたのですが、ボツワナの人たちはそれを心から喜んでくれるんです。ダンスや音楽を通して、日本ではできない経験がたくさんできました。
ダンス仲間もたくさんできて、一緒にステージにもよく立ちました。ダンス仲間たちはボツワナで一番長く時間を共にしました。相談なんかも気軽にできるような仲になりましたね。
これから帰国して教育の現場に戻られると思いますが、ボツワナでの1年8か月は人生においてどんな時間でしたか?
ボツワナで1年8ヶ月過ごしたことも、これから日本に帰ることも、正直まだ夢か現実がわからない感覚です。それぐらいここでしかできない経験をしました。
ボツワナの教育の現場は当たり前ですが日本とは大きく異なっていました。教室の数が足りないために半分のクラスは外で青空教室をしていたり、日本の黒板は見づらいと言われがちですがチョークが溜まってやや白くなったもっと見づらい黒板を使っていたりと、学習環境の悪さを感じる場面も多かったです。
そんな中でも授業は進んでいくので、次第にどんな環境にも柔軟に対応する力がついたように感じます。これから帰国して起こるであろう、日本との逆カルチャーショックすらも楽しみです。
これから協力隊に参加する隊員や応募を考える方へのメッセージ、アドバイスをお願いします!
自分がボツワナでの1年8ヶ月を楽しめたのは、『知ること』をやめなかったからだと思っています。ボツワナのことを自ら知っていったから、見るもの全てにワクワクしたり好奇心をもったりできたんです。
例えばボツワナにはセロウェという街がありますが、そこは初代大統領が首長たちとの長いディスカッションの末に、外国人であるフィアンセとの結婚の承諾を得た場所なんです。何も知らなければ他と同じ街ですが、私は街の背景を知っているので訪れると特別な気持ちになるし、あの街だ!と思います。またダンスをする上でボツワナ人のアーティストに会う機会がありましたが、その人のことを知っていたのでボツワナ人の友人たちと一緒にワクワクすることができました。
知ることで、街やもの、出会う人たちがより特別なものになります。ぜひ、行く場所や出会うもの・人を特別にするために、知ることを意識してほしいです。
インタビュー・文:藤井ゆきこ(ボツワナ派遣、マーケティング隊員)
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