眩い幸せそのままの都市を夢見て
2024.09.26
都市計画アドバイザー 松原千枝子
「南の島」という言葉には観光ポスターのステレオタイプのイメージがあると思いますが、東ティモールに来てまず感じたのは、空気感からして南の島、でした。抜けるように青い空と海、圧倒的な光の量、ヤシの木陰でのんびり風に吹かれ・・・。でも、まちを歩いていると、あちこちにポイポイ捨てられたごみ、雑排水で汚れた川、薪を売るためにはげ山になってしまった後背山地、川の中に建てられた家、棒きれのような足で天秤棒をかついで魚や果物を売り歩く人、いろいろと現実が見えてきます。町中が水につかった2021年の大洪水も記憶に新しいところです。
そんな中でも、あちこちの路地で子供たちがキラキラした目で走り回り、眩いほどの笑顔で挨拶をされ、宝物のように赤ちゃんを抱っこして歩き、これはもしかして戦後昭和、高度経済成長期直前の日本かもしれない、と思いました。独立に至る歩みの中で、人口の4分の1近くが亡くなるという深い痛みを抱えた国だからこそ、平和な日々の中で家族が増えつながっていく幸せをより強くかみしめられるのだと。
少し地方に行くと、戦後昭和から日本昔話に遡ります。おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に、の世界です。マリアナのあぜ道、グレノの静かな住宅街の道、バウカウの湧き水沿いの木陰の道を調査に同行して歩きながら、詩情に満ちた物語の世界にさまよいこんだような気がしたものでした。
そんな中で都市問題を解決していくには何が必要なのか。都市計画で何ができるのか。都市計画の個別専門家として派遣された先で期待されていたのは、①6年前にJICA支援により作成され未承認のままのディリ首都圏都市マスタープランのアップデート作業にあたり、技術面でのチェックをすること、②アップデートされたディリ首都圏マスタープランを実施に移すにあたり中心文書となる土地利用規則を作成すること、③ディリ首都圏以外の地方主要都市の土地利用計画作成を支援すること、でした。
赴任後半年余り、都市計画の法制度の枠組みや国土計画作成の進捗、他ドナーの動きなどを情報収集・理解しつつ①、②の作業を進めましたが、閣議決定を得る過程で合意に至らず、参考文書としての承認にとどまりました。その後、国会議員選挙により政権交代、上層部の人事刷新、前政権下の計画や事業、予算の見直しとなり、業務の軸足を③に伴うキャパシティディベロップメントに移すこととしました。
配属先のカウンターパートである計画戦略投資省都市計画局職員は、ほとんど全員がインドネシアの大学を卒業していますが、バックグラウンドは建築、都市計画、地理情報、環境など様々。語学力も様々。そんな中で、建築や道路、河川といった確立された技術領域ではなく、都市計画という境界領域のキャパシティディベロップメントとは、何が求められるのか。対象分野は何か。どの程度のレベルの技術移転を行えばよいのか。結局、試行錯誤しつつ、都市計画局の業務の中でタイミングを見計らって必要と思われるインプットをカウンターパートに対して積み重ねていくこととしました。
様々な要素が絡まり合った結果として現れる都市問題の原因はどこにあるのか理解してもらうためにPCM手法のプロブレムツリー分析ワークショップを開催したり、地方主要都市の土地利用計画作成のための予備調査にあたり調査のポイントを説明したり、予備調査結果のとりまとめの際に分析・計画・ビジョニングを経験してもらうワークショップを開催したり、テーマを決めて各々発表してもらったり、資金計画や住宅供給スキームまで含めた再開発計画案を作成してもらったり。その中でこちらもはっとさせられるような視点や質問、詳しい観察に基づいた意見が出てくることもしばしばありました。やりとりを重ねる内に、土木系の基礎知識や海外先行事例に触れる経験が不足していることがうかがえたため、神戸・阪神間にて視察研修を実施したりもしました。結果、体系的とは言い難いものの、カウンターパートの知識レベルの底上げには確実につながったと実感しているところです。
一方で、西洋起源である都市計画制度の基本概念、「公共の福祉のために個人の財産権を制限する、そのためには民主的な手続きを踏む必要がある」ことがカウンターパートに十分に理解されたか、また、東ティモールの社会になじむ概念・アプローチであるのかどうか、については、かなり疑問・工夫の余地を残すところです。
首都ディリには全国人口の4分の1近くが集中しています。暮らしていると、よりよい教育と収入、チャンスを求めて人が流れ込んでくるけれど、多くは思い通りの生活に手が届かず、路上の物売りや海外出稼ぎなどで何とかやりくりしていくことになる、という現実を目の当たりにします。屈託ない笑顔の子供たちも、いずれその流れに身を投じていくことになります。この2年で、少し交通量と犯罪が増え、少し挨拶と笑顔が減ったように感じるディリ。むき出しの経済原理に任せていると、都市間にも都市内にもだんだんと序列ができていきます。豊かになりたいと思うのは当たり前のことだけれど、都市化するにつれ個人主義が浸透していくのは当然のこととして受け止めなければならないのでしょうか。最後の楽園のような東ティモールには、日本や東・東南アジア諸国がたどってきた経済発展とは少し違う行き方はないものかなと、答えの出ない問いにつらつらと思いをめぐらせます。
おしゃべりしながら時速2キロで歩く女性陣、ピンとたてた尻尾をゆらゆら揺らしながら自由気ままにとことこ歩き回る犬、干潮の朝に家族総出の潮干狩り、仕事帰りに革の鞄片手に鶏一羽小脇に抱えて帰る勤め人。ディリの日常生活は続いていきますが、でも少しずつ変わっていきます。この先も眩いほどの幸せに満ちた都市であり続けることを願ってやみません。
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