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ディリを美しい街に変えるために

2024.11.26

ディリを美しい街に変えるために

東ティモール事務所 所長
伊藤 民平

 自分の家の中がゴミで溢れ散らかっていたら嬉しい人は恐らくいない。鼻紙、食べかす、お菓子の包装フィルム、空き缶、等々、生活では様々なゴミが発生するが、家ではゴミ箱に捨てる習慣が多かれ少なかれあるだろう。これは日本だけでなく東ティモールにおいても同様だ。

 しかし一歩家を出たら話は違ってくる。日本では社会の中でゴミのポイ捨てをしない、一定のコンセンサスが形成されてきた歴史があるが、東ティモールにはまだそれはなく、街行く人を見るとゴミのポイ捨てに躊躇がない人が多い。自分の家ではきちんとゴミ箱に捨てるのに、家の外ではポイ捨てをするとは、よく考えるとおかしな話である。家の外とは言え、自分が住む街だ。汚くて嬉しいはずがない。

 ディリの街の美しさ(或いは汚さ)は他の国と比較してどの程度だろうか。美しさを定量的に示すことはできないが、様々な途上国の都市廃棄物問題を扱ってきた自分の経験から言えば、平均よりも若干汚い側にあるように思う。ディリ市は定期的に街の清掃サービスを提供しており、ポイ捨てされたゴミも、蓄積せずに一定量で留まっている。しかし週末の海岸や、ゴミ収集場所近辺はお世辞にもきれいとは言えない。また、空き地に乱雑に捨てられたペットボトルを見ることは決して珍しくない。

 街の美しさ(或いは汚さ)は数値で示すことはできないが、似た数値で「ゴミ収集率」を見ることは有意義だ。一般に都市の所得水準の向上とともにゴミ収集率は上昇すると言われている。先進国はほぼ100%の収集率だが、途上国では半分以下という都市も決して珍しくない。JICA東ティモール事務所では、最近ディリの廃棄物調査を実施した。その最新データを見るとディリのゴミ収集率は約60%程度である。毎日300トンを超えるゴミが発生するが、約185トン収集され、残りの40%弱、約100トンを超える量が収集できておらず、これが空き地や海岸に溜まり、大雨の際に一部が海に流れ出ていく。

廃棄物処理フロー

 先日ホエールウォッチングの船に乗ったのだが、雨の翌日だったこともあり、ディリ周辺の海にはかなりのゴミが流れ出ていた。

美しい海が取り柄の東ティモールのはずなのに、これでは台無しだ。産業多様化にむけて観光業を振興したいと東ティモール政府は希望しているが、ゴミ問題は死活問題だ。汚い海に観光客は来ない。

 ちなみに廃棄物調査では、ゴミ発生量の将来予測もしている。いくつかの仮定があるが、2040年には日量500トンを超え、2048年には日量600トン、つまり現在の倍の量になると予想される。毎日300トンのゴミが発生しているディリでも、決して街が美しいとは言えないのに、ゴミが2倍になってしまったらディリは「ゴミの街」になってしまうのではないか。

 ではどうすれば良いのだろうか。ディリ市は東ティモール政府と連携し、今年から効率的なゴミ収集システムを導入しつつある。これまでゴミ収集場所で散乱していたゴミを、大きなゴミ箱に集約し、パッカー車で効率的な収集を進めている。収集効率が上がれば収集エリアの拡大も可能で、ゴミ収集率も拡大が見込まれる。しかし市民のゴミポイ捨てはどこかで止めなければならない。これはディリ市という大きな自分の家の中(街の中)の問題だ。ゴミはゴミ箱に捨てるという、いつも家でやっていることと同じことをするだけだ。社会全体でそれを推進するのだ。小学校の先生も、教会の牧師さんも、市場のお兄さんも、政治家もサッカー選手もお母さんもお父さんも、皆それをお互いに意識して家の中(街の中)をきれいにする。一人一人が行動すれば本当は解決できる問題だ。国によってはゴミのポイ捨てに対して罰金を導入する国もある。皆が本当に罰金を必要とするなら導入すればいいが、きっとそれは嬉しくないだろう。東ティモールの人びとは家族や親友のつながりが強く、お互いを思いやることができる優しい心を持っている。そんな人々だからこそ罰金などなくても仲間・家族を思って行動することができるはずだ。ゴミはゴミ箱に捨てる(ポイ捨てはしない)という単純な行動で、社会は変えることができるし、変えなければならないタイミングに来ている。

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