Japan’s First Volunteer in Ethiopia

2023.12.28

金子 洋三
1972年度1次隊 天然痘監視員

1972年に始まったエチオピアへの協力隊派遣。第1陣には、世界保健機構(WHO)の天然痘撲滅計画を支援するグループをつくるため、天然痘監視隊員8名、自動車整備隊員4名、無線通信機隊員2名が含まれていた。

天然痘は感染力が非常に強く、世界中で死に至る病として昔から人々に恐れられてきたが、ワクチンの普及で予防が可能となり、WHOは67年から開発途上地域での撲滅に乗り出した。結果、60年代末には、アフリカで天然痘の患者発生国はエチオピアだけになった。しかし、エチオピアは広い国土と険しい地形のために保健サービスが行き渡らず、WHOはアメリカのピースコーや日本の協力隊といった、海外の若いボランティアを天然痘監視の中心に据えたいと協力を要請してきたのだった。

当時のエチオピアは地図もなく、どのような村に人口がどれだけいるかもわからない状態だった。監視隊員それぞれがエチオピア人学生を助手として雇い、無線機を積んだランドクルーザーを運転し、地図を描きながら村を探していく。橋がなかったり、道が狭かったりして途中までしか車で行けない山奥や谷底の村へはテントや寝袋を背負って歩いて行く。着いた村では一軒一軒、患者を探した。

天然痘撲滅支援チームは2代4年にわたって活動し、その努力は76年の撲滅宣言に結実する。天然痘は人類が初めて根絶させた感染症となった。

これが私がエチオピアの初代隊員として活動した時の話です。私たちが半世紀かけて築き上げた日本とエチオピアの絆はとても強く、これからの50年も変わらず続いていくと信じています。

※クロスロード2022年8月号から一部抜粋

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調査中にぬかるみにはまった車

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50年前のアディスアベバの街並み

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