エチオピア隊員派遣50周年おめでとうございます

2023.09.19

2007~2010ボランティア調整員
岩田章一

私が協力隊を知ったのは、エチオピアで天然痘撲滅活動をしている方でした。また、調整員として初めて勤務したヨルダンで、昭和50年代のエチオピア隊員だった田坂厚先輩と同僚になり、エチオピアの良い思い出を沢山聞いていました。その後、縁があってエチオピア事務所勤務となることが出来ました。隊員時代以来2度目のアフリカ勤務がエチオピア。当時の小泉総理がエチオピア訪問したあとで、日本でもアフリカ支援熱が再燃し、エチオピアはミレニアムを迎える頃でした。

その頃の思い出として、アジス市内やアムハラ・ティグライ・南部州等に行く幹線道路は至る所で大規模な工事をしていました。地方への道中では、途中で1泊してから目的地に着くという出張を何度も経験し、国の大きさとアスファルト道路のありがたさを実感しました。無線での定期連絡があった時代でもあり、声の主と遥か彼方の地方で活躍している協力隊員に会えることが、長距離出張の楽しみでもありました。出張中、毎食インジェラはさすがに参りましたが(笑)

プライベートでは、子供たちの学校イベントや補習校とエチオピアの学校での共同運動会、エチオピアの英雄皇帝ハイレ・ゲブレセラシエ選手と会えたり、森喜朗元総理と話しが出来たり、エチオピア航空が日本への直行便を飛ばしたり、街中にロバやヤギが居たり、雹が降ったり、計画停電があったりなど、この原稿を書きながら沢山の思い出が蘇ってきます。そういった意味で、エチオピアに住めたことは本当にいい経験で、もう一度行ってみたいと改めて思います。

歴代隊員の皆さんのエチオピアでの苦労と葛藤、たゆまぬ努力と有益な活躍、そして深い交流。また隊員を支えた調整員の皆さんの努力が、協力隊の50年の歴史として積み重なったことに敬意を表し、お祝い申し上げます。そして、いつまでも協力隊員が派遣される国でなく、エチオピア版協力隊が世界で活躍するアフリカのリーダーになってほしいと願っています

エチオピアでの家族写真

エチオピアでの家族写真

街中のロバやヤギ

街中のロバやヤギ

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