「便利な交通」とは誰のためのものか 日本で学ぶインドネシア行政官が目指す、誰もが利用できる公共交通
2026.10.23
インドネシア中部ジャワ州のスラカルタ市では、バティック・ソロ・トランス (BST)と呼ばれるバスが市民の移動を支えています。
研修員・ファイズさん
インドネシア金融開発監督庁(BPKP)に勤務するファイズさんは、 JICA研修員として、この BSTを題材に、障害者や高齢者等の交通弱者を対象とした公共交通の整備について研究をしています。ファイズさんが参加するのは、JICAとインドネシア政府が共同で実施している「高等人材開発研修事業(Development of Exhaustive Human Resources: DXHR)」。このプログラムの下で、国際大学(新潟県南魚沼市)の修士課程に1年間在籍しています。※取材は修了前に実施。2026年9月に修士課程を修了後、帰国。
研究のきっかけとなったのは、BSTで出会った一人の利用者でした。
ある日、ファイズさんは乗り換え方法が分からず困っている障害のある利用者と出会います。話を聞き、目的地まで行くための乗り換えを案内しました。
その際に気づいたのは、自分にとって便利だった交通システムが、全ての人にとって便利なわけではないということでした。
案内表示はすべての利用者にとって十分な情報ではなく、困ったときに支援してくれる仕組みも限られていました。
「自分には問題なく利用できていたBSTが、人によっては大きな壁になることを実感しました」
この経験が、
「交通システムは誰のために作られているのか」
という問いにつながったといいます。
さらに、高齢者がデジタル決済に苦労する様子なども目にする中で、交通のスマート化やデジタル化が必ずしも全ての人に利益をもたらしているわけではないことに関心を持つようになりました。
インドネシアでは近年、公共交通インフラの整備やデジタル化が進み、多くの市民がその恩恵を受けるようになりました。一方で、高齢者や障害者など、取り残される利用者も存在します。
ファイズさんは、インドネシアは、交通インフラそのものを整備する段階から、「誰もがその恩恵を受けられる仕組みになっているか」を考える段階へ移行しつつあるのではないかと感じるようになったそうです。
「絶景に囲まれながら勉強することができて光栄だった」と話すファイズさん
来日後、ファイズさんが最も印象を受けたのも、障害者支援に対する考え方でした。
当初は、スロープやエレベーターなどの設備面に注目していたといいます。
しかし実際に目にしたのは、それだけではありませんでした。
駅員が利用者を案内し、列車への乗降をサポートする。
運転手や職員が自然に声を掛ける。
利用者が安心して移動できるよう、多くの人が支えている。
特に、車椅子を利用する他のJICA研修員が駅員のサポートを受けながら移動する姿は強く印象に残ったそうです。
「設備だけでは十分ではありません。人による支援や運用も同じくらい大切だと感じました」
この気づきは、自身の研究結果とも重なっていました。
研究の結果、利用者満足度に大きく影響していたのは、
料金の安さ
技術の新しさ
ではありませんでした。
むしろ、
実際に利用できること(Accessibility)
利用者が排除されていないと感じられること(Inclusiveness)
の方が重要な要素だったといいます。
ファイズさんは次のように語ります。
「高齢者や障害者が利用できるシステムであれば、結果として誰もが利用できるシステムになります」
障害のある人や高齢者を配慮した施策は、最終的には社会全体のサービス向上につながる。
それが今回の研究を通じて得た大きな学びでした。
国際大学キャンパス
指導教員による研究指導を通じて得た学びもあります。
指導教員である、国際大学のZaw zaw教授 との議論の中で紹介されたのが、
「何を整備したか」
ではなく、
「必要なサービスへアクセスできるようになったか」
という考え方でした。
例えば、
「病院まで何分で行けるか」
という成果目標を設定することで、そのために必要な道路、交通サービス、人員配置を考える。
ファイズさんにとって、この発想は新鮮だったといいます。
また、研究の過程では、教授陣から分析結果や解釈について何度も改善提案を受けました。
当初は重要ではないと考えていた要素も、改めて分析し直すことになりました。
その経験を通じて、
「政策は経験や直感だけではなく、データや根拠に基づいて考えるべきだ」
という認識を深めたそうです。
国際大学での学びは研究だけではありません。また、その学びは大学から学生への一方向のものでもありません。
授業では、世界各国から集まった学生が、それぞれの国や組織での経験を持ち寄りながら議論を行います。インドネシア政府職員としての実務経験を持つファイズさんも、自身の知見や事例を積極的に共有してきました。
データ活用をテーマとした授業では、ファイズさんを含むインドネシア人学生グループが発表した事例について、教授から「今後の教材として活用したい」と評価を受けたこともありました。ファイズさんは、この経験を通じて、日本から学ぶだけでなく、自分たちの経験や知見もまた日本の学生や教員の学びにつながることを実感したといいます。
インドネシアからの研修員の方々
DXHR研修員を指導するZaw Zaw Aung教授も、インドネシアの研修員は行政官・実務家としての経験を教室にもたらし、他の学生に良い影響を与えていると評価しています。また、彼らは「インドネシアを代表する存在」として、多様な価値観や現場の視点をキャンパスにもたらしていると語ります。
ファイズさんは日本の留学を終え帰国した後、インドネシア金融開発監督庁 へ復職する予定です。
今回の研究成果については、ジャーナル等への投稿も予定しており、地方政府の政策形成に活用されることを期待しています。
そして何より、日本で得た学びを今後の業務に生かしたいと考えています。
「誰も取り残さない公共サービスをどう実現するか」
その問いへの答えを探す挑戦は、日本での留学を終えた後も続いていきます。
インタビューの様子
DXHRを含むJICAの研修事業は、知識や技術を一方的に移転することだけを目的としたものではありません。今回の取材を通じて見えてきたのは、日本で学んだ人材が母国の課題解決に取り組むと同時に、日本の大学や学生もまた、彼らの経験や視点から学んでいる姿でした。
インドネシアと日本が互いに知見を共有し、人材やネットワークを育てていくこと。その積み重ねが、将来の両国の協力関係や地域の発展を支える土台になっていくことが期待されます。
エントランス前にて