jica 独立行政法人 国際協力機構 jica 独立行政法人 国際協力機構

繋がる思い ―人生の転機×東日本大震災×国際協力―

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前職

 2011年3月11日14時46分頃、皆さんは何をされていましたか?

 当時僕は、島根県雲南市の交番に勤務する警察官でした。当直勤務が終わって、管轄内にある知り合いの農家さん宅の居間でお茶をご馳走になっていた時、テレビの画面に流れた信じられない映像。すぐに待機命令がかかり交番へ、それからの日々は日本が大変なことになっているのに何もできない自分を見て無力感に苛まれる毎日でした。発災から2ヶ月が経ち、東北への応援派遣中に見た現場の光景、宮城県警の警察官から聞いた発災当時の状況は大変なものがありました。一方で、日本全国から派遣された警察官たち、自衛官、消防官他強力な仲間の存在が頼もしく、その中に自分もいることが大変誇らしく思えました。

 当時JICAの名前は聞いたことがあっても、何をしているのか、また国際協力なんて全く興味のなかった僕は今、巡り巡って中央アジアにあるキルギス共和国のJICA事務所で勤務しています。もうあの時から14年という時が経ちました。発災直後から、世界中から送られた多くの支援、その中に外国政府や援助機関からじゃない一般国民からも、しかも途上国と呼ばれ決して裕福とはいえない人々からもなけなしの金銭の提供があったと知りました。なぜ?(日本のことを知っていた?お金を出す余裕なんてないでしょ?)との疑問を持ち、その背景に現地で活動する協力隊員の存在があったと知り、“日本人として恩返しがしたい、協力隊に参加したい”と思い、いても経ってもいれず協力隊に応募、2013年7月に僕は生活インフラも整わないケニアの田舎に派遣されました。

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キルギス事務所前にて

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2013年、成田空港にて同期隊員たちと(ケニアに向け出発する日)

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ケニアの田舎にて協力農家さんと

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講習会を開催する時はいつも部族語に通訳をしてくれた頼もしい同僚たち

 ケニアでは、農業省の地方事務所で農業技術の普及に励みつつ、現地の農家さんと一緒に毎日畑に出て土にまみれる日々を過ごしました。首都からバスで4時間の田舎に初めて行った日、“あの時、俺も寄付したんだぜ”と職場となる農務官事務所の同僚から言われ、こんな田舎にも寄付してくれた人がいたんだと驚き、そしてこれまでにないほどやる気が溢れたのを今でも覚えています。雨が降れば停電しそれが1週間も続いたり、乾季には1ヶ月近く水道の水が止まったり、極め付けはお金がなくて職場はあっても現地の職員は仕事をしようにもできず、協力隊として派遣されたのに僕は何もすることがない日々が続きました。これがアフリカかと、噂に聞いていたとしても実際に自分が直面すると“マジか!”と途方に暮れましたが、こんなだからこそ隊員が派遣される意味がある!ここの人たちのために自分に何ができるか?と赴任2週間目には職場を飛び出し村中を歩き回り、近くの農家さんの畑仕事を手伝ってみたり、村の地図を作ってみたり、何かできることはないかと仕事探しの日々を過ごしました。

 同時期に派遣されていた隊員たちもおおかた似たような状況で、毎日あれこれ隊員同士で文句を言い合っていたものですが、今ではあの時の困難があったからこそ“何が起きてもなんとかなる、してみせる!”との自信にもつながり、当時の記憶はこれまでの人生でも強烈に輝く想い出となっています。

 派遣を終えてからは、日本で派遣前の青年海外協力隊員たちの派遣前訓練業務に携わり、その後JICAベトナム事務所の勤務を経て今に至ります。

 協力隊に応募した当時、仕事を辞めることに不安がなかったとは言えません。でも、さんざん考えて“いいと思った道”を進むことに迷いはありませんでした。日本中から集まってきた協力隊の仲間たち、ケニアの田舎で出会った人々、ベトナムとキルギスのJICA事務所で受け入れてきた自分と同じ道を歩もうとしている隊員たち、JICA事務所で一緒に働き苦楽を共にした現地職員たちとの出会い。新たな土地で、初めて出会った人々と取り組んだこれまでやったことのない仕事と困難。島根を離れてから今まで起きたすべてのことが、僕の好奇心や冒険心を刺激しています。

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JICA二本松訓練所にて

 キルギスってご存知ですか?

 協力隊が派遣される国々は、一般的な日本人にとって(僕がそうだったように)馴染みがない興味すらない国々ばかり、そんな中でもさらにマイナーな国かもしれません。今キルギスには35人が協力隊員として派遣されています。日本各地から集まった、性別・年代も様々な日本人が人知れず苦労し、日本という国を背負いながら現地の人たちのためにできることはないかと日々活動しています。誰も知り合いのいない初めての土地に身一つで入り、現地の言葉を学びながら、そこにあるもので何ができるのか?日々知恵を絞る。国際協力、日本代表という大きな言葉にプレッシャーを感じつつ、2年という人生の時間をここで費やしています。

 日本からの直行便もない、在留邦人も100人強しかいない遠く離れたこの国にも、日本のことを知っていて、憧れ、尊敬の念を抱いている人々が多くいます。そんなキルギスのこと、そんな彼らと日々苦楽を共にする隊員たちの存在が少しでも日本に伝われば、もっと多くの人にこの事業に参加してもらいたい、完全アウェイの中での挑戦と成長の機会を味わって欲しいなと思っています。

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昨年末に来た新隊員の歓迎会にて

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キルギス隊員の活動の様子