保健分野の専門家に聞く~第9回美弥子所長が聞く~
2024.11.29
登壇者:
‐ 宮野 真輔
(保健政策アドバイザー)
‐ 永井 真理
(看護師・助産師継続教育制度整備プロジェクト 専門家)
‐ 市村 康典
(病院の保健医療サービスの質及び財務管理改善プロジェクト 専門家)
ファシリテーター:
‐ 小林 美弥子
(JICAラオス事務所 所長)
小林美弥子所長(以下、美弥子所長):今回の「美弥子所長が聞く」では、先週11月18日~22日、長崎でヘルスシステムリサーチフォーラム2024が開催され、ラオス保健分野のカウンターパートが、国際的に発信をされたと嬉しい報告が入ってきました。今回は、これを契機に、ラオスの保健分野で活躍されている専門家にお話を伺います。まずは専門家の皆さんから、活動内容も含めて自己紹介いただけますでしょうか。
宮野真輔専門家(以下、宮野専門家):保健政策アドバイザーの宮野真輔と申します。今まではJICAや国際機関を通してザンビアやパプアニューギニア、ミャンマーで働いてきました。 ラオスでは、保健政策アドバイザーとして、ラオス保健省の保健政策の立案や実施を支援しています。ラオス保健省は、ラオスの国民の誰もが質の高い保健サービスにアクセスできるようにすること(ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ、UHC)を目指しています。そのために、①保健サービス、②保健医療人材、③保健財政、④モニタリング・評価、⑤ガバナンス・調整の5つの優先分野を定め、これらの柱に沿って各種施策を進めています。ラオスは、政策や戦略はきちんとしていますが、それらの実行・実施はもっと強化する必要があります。地方とのギャップも大きい。これらの分野を、JICAの技術協力プロジェクトの専門家らと連携して協力を進めています。
宮野真輔専門家
永井真理専門家(以下、永井専門家):看護師・助産師継続教育制度整備プロジェクトでチーフアドバイザーをしています。 ラオスでは、以前は、医師や看護師の免許制度はありませんでした。しかし、 2000年代に、ASEAN域内で医師や看護師などスキルの高い労働力が自由に移動できるようにしようという合意ができました。これを受け、ラオスの医師や看護師も、他国と同じような質を担保・証明する必要が出てきて、ラオス保健省が免許制度制定に向け動き出しました。JICAは、法律・ガイドラインの改正を含めて協力を継続してきており、2020年に看護師の免許制度・国家試験が導入されました。今では国家試験の問題作りから実施、合格者への免許交付と登録までを、ラオスの人たちだけで動かせるようになっています。現プロジェクトでは、免許を更新するための継続教育の仕組みづくりに取り組んでいます。ラオスの免許の有効期間は5年で、その5年の間に継続教育を受け、知識や技術をアップデートすることで、免許を更新できる仕組みを構築しようとしています。
2020年に看護師免許交付して、最初の更新時期が来年です。待ったなしの状況で、何を継続教育と位置づけ、誰がどこに何を申請し、誰がそれを認定し、どこにどう記録するのかなどの制度や手続きを、保健省が一つ一つ決めて実践していくのに伴走しています。
私は、今までJICAや国際機関、NGOで、セネガル、アフガニスタン、イラン、フィリピン、カンボジアなどに赴任しました。ラオスは、政策をきちんと作るけれど、 その実施に課題がある印象です。しかし、保健省の皆さんは熱心でやる気があり、学ぶ姿勢やリーダーシップの強さがラオスの素晴らしいところだと思います。
市村康典専門家(以下、市村専門家):私は、病院の保健医療サービスの質及び財務管理改善プロジェクトで、チーフアドバイザーを務めています。このプロジェクトでは、その名のとおり①保健医療サービスの質、②病院の財務管理という2つの分野を改善することを目標としています。南部4県、チャンパサック県、サラワン県、セコン県、アタプー県を対象地域とし、各県1つずつの県病院と、各郡に1つずつ郡病院、合計27の病院を対象として、特に現場レベルでの協力を行っています。
2016年に保健医療サービスの質についての政策が国会で承認され、6つの質基準が示されました。①おもてなし、②利便性 ③清潔 ④診断 ⑤治療の5Gと、⑥患者満足の1Sで5G1Sと呼ばれています。プロジェクトでは、対象27病院で、この5G1Sの質基準の達成度の評価を定期的に実施し、達成できていないところを分析し、どのように自分たちで改善していくかという活動を支援しています。
市村康典専門家
私は、これまで国際機関を通して、モンゴルやフィリピン、ネパール、エチオピア等で、分野を絞った短期間の活動を担当してきました。今回ラオスでは、初の長期専門家として幅広い分野で活動でき、とてもやりがいがあると思っています。特に現場に密着しているので、宮野専門家や永井専門家のお話にもあったように、保健省で政策が決定されても、現場レベルで、実際にどのように実施すればよいか分からず困ってしまう場面が多く見られます。一方で、ラオスの現場の方々は、共に考えて1回これをやろうと決めたことに関しては、真面目にずっと取り組んでくれます。このような点にやりがいと楽しさを感じています。
美弥子所長:11月14日に、当地では、ラオス政府、大使館、各開発パートナーの代表が集まり、ラウンドテーブルミーティングが開催されました。JICAからは、債務状況は大変厳しいが、保健や教育を含めた社会セクターにおけるGDPの割合が0.7%の中、看護師、教員定数減など現場の実態をもとに、将来の経済・社会的発展の土台作りのためにヒューマンリソースに対して、省庁を超えた予算配分を割り当てるべきと訴えました。この点から、宮野専門家から、保健分野をとりまく予算面からの課題や今後の展望について教えていただけますでしょうか。
宮野専門家:保健省が毎年必要とする予算のうち、実際に財務省から配分されるのは大体30-40%程度です。不足分はJICAも含めた開発パートナーによる技術協力や財政支援で補っていますがそれでも足りない。一方で、2026年にはLDC卒業を目指しており、そうなれば開発パートナーからの供出の減少やCo-financeが求められるようになっていきます。このような厳しい状況の中では、無駄を徹底的に省く、サービスを統合して効率化を図る、健康税を設置して税収を増やすなど、保健省でできることをしっかりと考えていく必要があります。また、国民健康保険をどのように改善していくべきかという議論も保健省で進められています。
ラオスの健康保険制度では、国民は保健医療サービス利用時に一定の自己負担額を支払えば、基礎的な診断や治療サービスにアクセスできることになっています。自己負担額以外の部分は政府予算によって補填されるわけですが、それを維持するためのお金が政府にないので、国民に負担を求めざるを得ないという状況にあります。今年2024年8月1日から、国民の自己負担額が引き上げられました。財政状況を踏まえれば仕方のない措置ではありますが、この影響で、病院に行くのを控える人や適切なサービスを受けられない人が増え、人々の健康状態が悪くなるのではないかということが懸念されています。
新しい保険制度について説明する看護師
美弥子所長:日本は保健セクターワーキンググループの共同議長でもあり、保健分野での主要なパートナーです。宮野専門家から、各種課題に向けた今後の解決策、進め方に関するご提案があれば教えてください。
宮野専門家:先ほども述べた、無駄を省く、効率化を図る、税収を挙げるなどの対応策を検討する際に重要なのは、データです。データは、現状を把握し、課題を同定し、適切なアクションを起こすための基礎情報となりますが、ラオスで不足しているのは様々なデータだと感じることが多いです。例えば、健康保険制度の改定で国民の自己負担額が上がったことによって、保健サービスへのアクセスにどのような影響がでているかということを具体的に示すデータがあれば、実施した政策の評価や次の政策見直しの際の参考になります。さらには、財務省等に予算を要望する際に、保健省がその予算によって課題解決することで得られる社会的インパクトも示すことができるようになり、より説得力が増すと考えています。
美弥子所長:現場を持っているJICAでは、データなどのエビデンスをもとに中央に政策提言できることが強みの一つと考えています。さて、限られた予算管理を行うのも人であり、人材育成が大事になってきますね。 永井専門家のプロジェクトでは、国家資格や継続教育を通して人材育成に取り組んでいます。保健省の中で今後の継続教育や免許更新制度を含めた人材育成の方向性を紹介いただけますか。
永井専門家:JICAは看護師の免許制度・国家試験の導入に関わり、現在は免許更新のための継続教育制度の構築に協力していますが、ラオスの医療従事者を取り巻く制度のなかで一番進んでいます。保健省は、看護師・助産師の制度を参考にして、医師、歯科医師、薬剤師の制度を作っており、国全体の医療従事者の制度として根付いていっています。これは大きなインパクトであると考えています。
看護師国家試験合格者には免許を付与
ただ、公的医療施設の正職員のポストが減少しており、既存のスタッフの忙しさは増し、ポストが空くまで待っていたボランティア看護師も、何年もボランティアのまま勤務する状態も顕著になってきました。このような環境では、看護師等の医療職が魅力的な職業ではなくなっていくことを懸念しています。継続教育制度づくりとともに、看護師が憧れの職業だと考えてもらえるようにもしていきたいです。
美弥子所長:次に市村専門家に伺います。南部での保健医療サービスの質の改善及び財務管理という幅広い課題に対し、実際にはどのようなことに取り組まれていますか。また、対象4県の基幹病院としてチャンパサック県立病院に対し、現在、無償資金協力で病棟建設する予定です。技術協力との連携を踏まえ、どのような期待があるか教えてください。
市村専門家:まずは保健省が定めた5G1Sの質基準について、対象27病院の皆さんに理解を深めてもらうことから始めました。その上で、どこが達成していて、どこに課題があるのかという病院の「現在地」を知ることが大切です。課題を把握し、改善するための活動を導入し、実際に取り組んでいくこと、このサイクルを継続的に行うことが、質の改善には必要となります。質基準のうち、患者安全については保健省からの指針がなく、病院のスタッフ間でも理解にバラツキがみられました。そのため、患者安全に対する共通理解を得ることからはじめ、患者安全活動を少しずつ広げています。
患者さんにどのように安全に薬を渡すかについて啓発動画を作成
そして、活動の中で得られた様々なデータや実際の課題を保健省や保健政策アドバイザーに共有することで、現場での課題を中央での議論につなげていくことができることも、JICAの協力の強みだと考えています。
チャンパサック県病院は、170万人の人口を擁する南部地域で1番大きく、基幹病院となっています。他県からも治療や診断が難しいケースが集まり、またここでの取組が他の病院に共有される、頼りになる存在です。無償資金協力により南部の中核病院として設備や機能が充実していくことは大切なことで、周辺への波及効果もあると考えています。
美弥子所長:さて、冒頭紹介しましたが、11月18日から22日、長崎でヘルスシステムリサーチフォーラム2024が開催されました。ラオスから参加したカウンターパートの皆さんが、素晴らしい発表をされたとお聞きしました。
宮野専門家: 「保健政策と実践の狭間で:ラオスの保健医療施設におけるサービスの質向上の取り組み」というタイトルで、ラオスを事例として取り上げたパネルディスカッションを企画しました。我々のカウンターパートたちが、ラオスの保健政策やその実施上の様々な課題や、それらに対する彼らの取り組みを発表したところ、他国の参加者から多くの質問・コメントがあり、「自国の状況と似ている」といった共有や、「こういう取り組みをしてみては?」といったアドバイスの声も多く聞かれました。
永井専門家:ラオスの人はとても謙虚で、英語への自信のなさもあいまって、国際会議では物静かになりがちです。しかし今回、いろいろな国から来た専門家や研究者の前で、英語で堂々と自分たちの取り組みを発表し、参加者とよい議論ができたことが、大きな自信となったようです。他国にも同じ課題があること、それぞれに努力していることがわかったことも、大きな成果だと考えています。
・パヌシット・ノパバン医師(保健省保健人材カウンシル事務局)
今回が初めての国際学会での発表でとても緊張しましたが、他の参加者と意見交換をすることができ、自分自身の成長に繋がりました。ラオスの病院の問題解決に向けて、どのような努力をして挑戦をしていくべきかについても一緒に考えることができました。今回の経験を、ラオスの保健関係の目標達成のために役立てていきます。
・ナロンサック・スーサダー医師(チャンパサック県病院)
プレゼンテーションの後、他国の参加者から質問・意見がありました。医療サービスの質を、どうすれば継続的に向上させていけるかについて、参加者と意見交換ができたのは大きな収穫でした。現在、職員の能力向上のため、病院の評価システムをしっかりすることが必要だと考えており、この点についてもアドバイスをもらうことができました。今回の経験を帰国後に活かしていきます。
※インタビュアー:JICA人間開発部グローバルヘルスチーム インターン 神谷・山形
パヌシット医師、ナロンサック医師を含め5名のカウンターパートがフォーラムに参加しました。
美弥子所長:最後に、ラオスの保健分野、特にJICAの強みである人材育成における期待や展望を教えてください。
宮野専門家:医療従事者だけでなく、保健政策を立案し、実施・評価していく人材も不足していることが大きな課題です。エビデンスを集めて、評価し、それをもとに政策を立案や改定をしていける人材の育成が必要です。
隣国のタイでJICAは長年にわたって同様の人材育成に取り組んできており、アセットがあります。ラオスの人々は、タイ語を問題なく理解できる人が多いので、タイでの関連分野で育成された人材との技術交流を仕掛けたりしています。こうした取り組みをJICAタイ事務所等と連携しながら進め、地域協力を強化していける体制をJICAがリードできると良いなと思っています。
永井専門家:長年のJICA協力を経験し、今のプロジェクトをひっぱってくれている方々も高齢化してきています。次の世代へのリーダーシップの継承が、今後とても重要になってくると思います。 全体的な人材不足のため、中堅世代は目の前の業務で手一杯で、大きな視点で考える余裕がありません。しかし彼らにこそ、この国の人々の健康のために、どのような人材が求められているか、そのために自分たちが何をすべきかということを考えてもらいたい。
また、JICAの強みは、保健分野だけでなく、いろいろな分野をカバーし、多様なスキームを持っていることです。保健の課題は教育の課題とよく似ていますし、経済やインフラの改善は、保健の課題解決にも直結します。JICAには、分野横断的な協力・連携のより一層の強化を期待したいです。
市村専門家:プロジェクトを活動を通じて、2つの強みを感じています。1つは、継続した協力。本プロジェクトは、南部地域を対象とした3つ目のプロジェクトで、これまでの関係者が、本プロジェクトでもコアになって活動しています。同じ地域での積み重ねがレガシーとなり、関係者からの信頼も大きな力となっています。2つ目は、青年海外協力隊や無償資金協力との連携です。南部の病院でも協力隊員が長年に渡り活動をしており、協力隊が実施した研修が今でも引き継がれています。無償資金協力で整備された医療施設もあって、プロジェクト活動がスムーズに進むという側面があります。院内でどのような研修があるか調査した際、カウンターパートから昔の隊員から教わったKYTは継続している、と聞きました。KYTとは、危険(K)予知(Y)トレーニングなんですよ。
美弥子所長:多くの課題がある中でも、長年の積み重ね、信頼、そして現場の声をエビデンスとして政策に反映する、JICAとしての強みを最大限に発揮して、ラオスの人々の健康のため、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジを目指していきたいと思います。
本日は、どうもありがとうございました。
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