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ラオスJICA海外協力隊派遣60周年メッセージVol3,   關本 政夫さん(首都ビエンチャン/農林統計/1996年派遣)

2025.04.01

ラオスへのJICA海外協力隊派遣は、2025年に60周年を迎えました。これを記念したメッセージ企画として協力隊経験者や関係者からの寄稿をご紹介していきます。Vol3となる今回は、ラオスOV会*前会長の關本元隊員をご紹介します。ぜひご覧ください。

【ラオスでの活動を振り返って】

 私は農林統計隊員として首都ビエンチャン農林局に配属されました。配属当初はどんな課題があるのか、また、何から進めてよいかわからず、片言のラオス語で職員の方とコミュニケーションを行うことから始めました。2~3か月経過した頃から、ラオス語が徐々に理解できるようになり、職員の方の困りごとがわかるようになってきました。私がラオスに赴任した1997年当時は、ラオスにインターネット環境がなく、また、コンピュータも整備されていなかったため、首都ビエンチャンの村々から集計した各種データは手書きメモで保管されたものを手計算でまとめ、それらをタイピングして管理や報告している状況でした。私は隊員支援費を活用してコンピュータを購入し、コンピュータでデータ管理するところから始めました。データはEXCELで管理するようにしましたが、ラオスでは小数点とカンマの扱いが日本とは違い、例えば千キログラムを1.000Kgと入力することから、コンピュータでは1Kgと認識してしまい、桁が合わずに統計データがおかしくなることが何度も発生しました。

派遣当時のビエンチャン市内。

見えずらいですが、パトゥーサイ(私の派遣時は記念碑をアヌサワリーと呼んでいました)の右に職場がありました。

 また、JICAラオス事務所から(当時は)バイクを貸与いただくことができたので、職場の方と村々に赴き、米などの収穫量調査や家畜の頭数調査、田畑の面積調査などを行いました。当時は舗装された道路が少なかったため、中心地から離れた郡や村へ行くのに片道2~3時間かかることがありました。また、雨季は泥だらけになりながら移動し、調査したことを覚えています。

カウンターパートと米の単収および収穫量調査を行った時の様子

 隊員活動を続ける中で、職場の方と業務終了後に食事をする機会が多くなったり、パーティーや結婚式などのイベントに招待いただくことが増え、現地の方との交流が増えてきたことをとてもうれしく思いました。

 2年間の活動で統計隊員として大きな成果が出せたとは言えませんが、ラオス人と親睦を深めることができたのは隊員活動の大きな成果と考えています。

バーシ(お祝いの儀式)に招待された時の様子

【編集後記】
・JICA海外協力隊の長期派遣隊員は日本で約2か月、現地で約1か月の語学訓練を受けた後に配属先での活動を開始しますが、それでも外国語の習得は容易ではありません。片言でも恐れずに話しかけたり、現地の人々と飲食を共にしたりすることが、語学習得の近道であるというのは今と変わらないですね。
・ラオスの方々との親睦を深めてこられた、これまでの隊員一人ひとりの活動が、ラオスと日本の信頼の架け橋を強いものにしてきたのだと改めて感じます。


※OV会とは
 帰国したJICA海外協力隊によって結成され、開発途上国での貴重な経験や様々な気付きを日本社会に還元するために、各地域において国際理解教育、地域の活性化、在日外国人のための支援やJICA海外協力隊事業の啓発、自然災害発生時の復旧・復興支援など様々な活動を行っています。
 国別、県別、分野別など様々なOV会があります。

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