ラオスJICA海外協力隊派遣60周年メッセージVol4 加藤 友章さん(サイニャブリ県/コミュニティ開発/2018年派遣)
2025.04.11
私とラオスとのはじめての接点は、大学卒業後、就職して3年目のゴールデンウィークに行ったタイ、ラオス旅である。
タイからの寝台列車でラオスへ陸路入国し、首都ビエンチャンのゲストハウスで1泊した。宿泊するゲストハウスの前に、日本人と思しき人がいたので、旅行者だと思い、声をかけた。その方は「青年海外協力隊」だった。
はじめてのラオス旅行の時のパトゥーサイ
ちょうど、その方の友人が旅行でラオスに来ており、他の協力隊員も集めて会食をするとのことで、誘ってくれた。せっかくなので参加をしてみた。4人の協力隊員と2人組の旅行者。そんなメンバーでメコン側沿いのレストランでラオス料理を食べた。旅行者のうちの1人は、フィリピンに赴任予定の協力隊候補生で、思いがけず「青年海外協力隊」に囲まれた会食となった。当時の私は、新卒3年目。仕事に対する価値観、将来のキャリアに悩んでおり、転職活動をしていた。図々しくも、その場にいる協力隊の方々にキャリアについての悩みなど、たくさん聞いてもらったのを覚えている。一方、苦悩はありつつも、イキイキと活動の話をする協力隊員たちがとても印象的で、唐突に「青年海外協力隊」が自分の中で選択肢の1つに浮上した。その時の会食が無ければ、協力隊にも、ラオスにも縁が無かったのだろうと思う。その旅から帰国1年後に決心がつき、協力隊に応募した。何かの縁か、希望通りのラオスに赴任することになった。
実際に赴任してからの協力隊活動は、終始苦悩の連続だった。当時、任地のサイニャブリ県の県都には、他の協力隊員もおらず、中国人、タイ人、ベトナム人以外の外国人在住者を見ることはまず無かった。ラオス語以外に通じる言葉がない。そんな中で、カウンターパートとの活動がうまくいかない、手工芸品生産者との意思疎通ができない、ラオスらしくキンビア(飲み会)ばかり。今思えば、典型的な「これぞ、青年海外協力隊の悩み!」ともいえるような状況だった。とはいえ、その時の私にとっては、何もできていないという気持ち、そして身近に、気軽に愚痴を吐露する日本人がいない苦しさはあった。それでも、前任の方が注力していた県都から北にバスで3時間の場所に位置するホンサー郡タイルー族の織物生産者さんの村に足繁く通い、できることを少しずつ試していった。
赴任から1年半ほど経ったある日、いつものようにタイルー族の村を訪問していた。その村では、普段はお酒もあまり飲まず、21時くらいには就寝する。だが、どういう経緯か忘れたが、深夜まで生産者の旦那さんとお酒を交わす機会があった。少しの酔いと眠気ではっきりとは覚えていないのだが、タイルー族の伝統の話や彼らの織りについて話を聞いていた。途中、ふと旦那さんから協力隊の任期満了後はどうするのか、と聞かれた。本当は特に深い意味もなく、聞いてくれたのかもしれない。しかし、任期が残り半年を切っていた私にとって背筋が伸びる思いがした。これまで漠然と何かの形で関係を継続させていきたいと考えていた。そして、この夜「伝統を未来へ繋ぎたい」という彼らの想いも聞いた。「協力隊の任期満了した後も一緒に協力してほしい」と言われた。その言葉によって「やりたい」という曖昧な感情から「やらねば」という決意に変わった。まさにラオスとの絆が結ばれた瞬間である。
ホンサ―郡の織物生産者と食事の写真、右端が加藤さん
2020年3月、コロナ禍の影響により突如帰国を余儀なくされた。その年の6月までの任期だった私は3ヶ月を残して、そのまま日本での任期満了となった。寂しさは感じつつも、それほどネガティブな感情は強くなかった。必ず、ラオスとの関係を継続させると決心していたからである。そして、ラオスでの協力隊活動中に、同じ志を持つラオスの協力隊員であり、共に事業を立ち上げる妻と出会ったことも、その決意をさせる力となった。 2021年1月、いまだコロナ禍が続く中、ラオスの手織り布を活用したアパレルブランドを事業として立ち上げ、活動をはじめた。はじめは、コロナ禍でラオスに渡航できないので、遠隔で小物製品を輸入して販売する形でスタートした。2022年3月からは、現地でのものづくり体制をはじめ、少しずつ事業を前に進めている。ラオスの村の丁寧な暮らしを大切にし、事業の経済性やスピード感のバランスを取るには、ゆっくりと丁寧にラオスの方々との関係性をつくる必要があると考えている。
生産者と交流している最近の写真、右端が加藤さん
さて、話は戻るのだが、私が協力隊と出会ったラオス旅で「青年海外協力隊」という言葉を聞いたとき、すんなり言葉が入ってきたというか、既知の感覚があった。振り返ってみると、高校2年生のときに、広島のJICA中国を訪問し、協力隊OVの体験談を聞いていたのだ。高校生2年生以来「青年海外協力隊」という言葉を殆ど聞いた覚えが無いのにも関わらず、その言葉は頭の奥底にしっかりと残っていたのだ。 私にとっての「青年海外協力隊」を考えてみると、その時々は、繋がりを意識していなかったとしても、偶然か必然か、ひとつひとつの点が、確かに繋がって”いま”をカタチ創っている。
高校生の時のJICA中国(広島県)訪問の写真、中央で挨拶をしているのが加藤さん
【編集後記】
JICA海外協力隊は、以前は「青年海外協力隊」の呼称で馴染みがありました。 現在の協力隊募集のキャッチコピーは「人生なんて、きっかけひとつ」。加藤元隊員のメッセージは、まさに人生のきっかけはどこに転がっているか分からないなと感じさせます。きっかけを見つけるのもまた、協力隊の2年間の醍醐味なのかも知れません。
※OV会とは
帰国したJICA海外協力隊によって結成され、開発途上国での貴重な経験や様々な気付きを日本社会に還元するために、各地域において国際理解教育、地域の活性化、在日外国人のための支援やJICA海外協力隊事業の啓発、自然災害発生時の復旧・復興支援など様々な活動を行っています。 国別、県別、分野別など様々なOV会があります。
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