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ラオスJICA海外協力隊派遣60周年メッセージVol6    永谷 紫織さん(サラワン県/助産師/2014年派遣)  

2025.06.03

ラオスへのJICA海外協力隊派遣は、2025年に60周年を迎えました。60周年記念のメッセージ企画Vol6は、永谷元隊員をご紹介します。永谷さんは、ラオス南部のサラワン県で助産師として活動していました。保健医療分野も、JICAが長年ラオスで協力を継続している重要な分野の一つです。ぜひご覧ください。

【高床式の家がもたらした縁】

 私が青年海外協力隊員としてラオス・サラワン県に赴任したのは、2014年。助産師として、サラワン県病院で助産ケアや母子保健サービスの質の向上に取り組むという要請内容でした。

 赴任直後、私は住まいを探しました。そして唯一紹介されたのが、空港跡地に隣接する素朴な「高床式」住居。大家さんは当時、サラワン県保健局長でした。慣れない高床式住居への不安、空き地に隣接する立地に対する安全面での心配、そして保健局長と同じ敷地内に住むことへの緊張感……。当初は躊躇しましたが、カウンターパートに「ここなら安心」と強く勧められて契約することに。これが後に、私の運命を左右する縁と絆へと繋がるとは、そのときは知る由もありませんでした。

当時住んでいた高床の家

 大家さん夫妻には、私とほぼ同世代の娘さんが3人いました。特に、県の計画投資局で働く長女モナとはすぐに打ち解けました。私のラオ語が本当に未熟で、簡単な会話さえままならない日々が続きましたが、モナは根気よく相手をしてくれました。友人の結婚式やお寺の托鉢、市場での買い物にも一緒に行き、ラオスの文化を惜しみなく教えてくれました。モナが作る「ケーンノマイ(筍のスープ)」が格別で、仕事の悩みも忘れさせてくれるほどでした。

モナが作ってくれたケーンノマイ

【ラオスとの絆が“結ばれた”、出産立ち合いのエピソード】

 そんな彼女が結婚し、妊娠。次第に大きくなるお腹をさすりながら、「しおりがいる県病院で産むから、出産は取り上げてね」と言ってくれました。その言葉を聞いたとき、私は家族として受け入れられ、信頼されていることを感じ、胸が熱くなったのを覚えています。

 出産の日、モナは早朝から夜まで陣痛に耐えました。しかし、お産は思うように進まず、次第に赤ちゃんの心拍が落ち始め、産科医が帝王切開を決断。私が出産を取り上げることは叶いませんでしたが、手術に立ち会い、モナから頼まれて臍の緒を切らせてもらいました。

 ラオスには「赤ちゃんは、臍の緒を切った人に似て育つ」という言い伝えがあるそうです。大家さん家族は「しおりのように優しくて頑張り屋になる」と喜び、生まれた赤ちゃんには「オリ」と名付けたのです。

 あれから8年。今、オリはサラワンで小学生になりました。私は任期満了後、大学院などを経て、JICAのラオス保健分野の技術協力プロジェクトに従事し、現在はJICA本部の地域部でラオス・カンボジアの保健分野を担当しています。

 共に歩んだ日々が織り成す「縁」と「絆」に導かれた、私の第二の故郷ラオス。モナとオリ、そして大好きな家族・友人たちみんなの未来が、より明るく、より幸せなものでありますように。私はこれからも、ラオスとともに歩みます。

昨年夏、モナ・オリ親子と久々に再会

【編集後記】

 雨期と乾期がはっきりしているラオスでは、伝統的に高床式住居が建てられていました。都市部ではほとんど見かけなくなりましたが、地方では今もこの形の住居が見られます。強い雨が降ると地面が沼のようになるので、雨が降る前に農機具や家畜の赤ちゃん、大事な物などを高い所に避難させるそうです。この高床式住居と、出産立ち合いの経験がラオスとの絆を強く結んでくれたエピソードでした。ラオスの子どもたちの未来への思いが、深く心に刺さりました。

 永谷さんのように協力隊を終えた後、任国での経験を活かしてステップアップし、引き続き国際協力分野で活躍する方もたくさんいます。

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