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ラオスJICA海外協力隊派遣60周年メッセージVol7 梅谷 菜穂さん(ボリカムサイ県/コミュニティ開発/2018年派遣)  

2025.07.07

ラオスへのJICA海外協力隊派遣は、2025年に60周年を迎えました。60周年記念のメッセージ企画Vol7は、梅谷元隊員をご紹介します。梅谷さんは、ラオス中部のボリカムサイ県で、特産品の製品開発や販路拡大を通して地元生産者の支援活動を行いました。現在はラオスの布を使用したアパレルブランドを日本で展開しています。
梅谷さんのメッセージ、ぜひご覧ください。

【不安と希望の中で】

ナムサン川から流れ込む、メコンの穏やかな水面。
田んぼ広がる風景の隣で賑わう、小さいけれど人々の声が溢れる市場。
山を越えるとたどり着く、絣模様が印象的な布を織る村の人びと。
協力隊と聞いて私が思い浮かぶ、任地の風景だ。

 現在もラオスに関わっているが、協力隊としてラオスで過ごした2年間は、その時にしかない瞬間の連続だった。 私がラオスに協力隊として渡航し、任地に赴任したのは2018年2月のことだった。 首都ビエンチャンから約150km、車で3時間。中部ボリカムサイ県の県都、パクサン。 赴任したその日、ゲストハウスに滞在していたら、急に停電した。その後任地で過ごしていても停電することはほとんどなかったので、今思うと珍しいことだったのだろう。ゲストハウスのオーナーの女性がろうそくとサリー(とうもろこし)を持ってきてくれた。 暗闇の不安の中、ろうそくのぽっと灯る光が、その後の希望を予感させてくれているようだった。

【タイ・ムーイ族と結んだ縁】

 私の活動は、県産業商業局の職員とともに、県内の村を訪ね、手仕事をする生産者グループを支援することだった。ボリカムサイ県は、調べても情報があまり出てこない場所だ。 一体何があるのか、どんな人がいるのか、まずは村の人たちに話を聞きたいと思い、カウンターパートと、様々な村に足を運んだ。転機になったのは、県都パクサンから200km近く離れたカムクード郡(ラクサオ)という地域へ調査に行った時のことだった。

 ベトナム国境に近い山あいに位置するその町は、美しい岩山の風景に囲まれた、空気が澄んだような場所だった。その町で、ひときわカラフルで美しい絣布を織るタイ・ムーイ族の人たちに出会った。 そこで生産者グループリーダーをしている女性は、まっすぐとした瞳をしていて、笑顔がぱっと明るい、印象的な人だった。彼女はバイク事故により働けなくなった夫と、養子である娘と3人暮らしだった。一家の大黒柱として、そして織物グループのリーダーとしての懸命な姿がそこにあった。直観的に、この人と活動したい、と思った。

織物生産グループをカウンターパートとともに訪ねた時の様子

 彼女が住む場所は私が住んでいた県都から遠い場所だったうえ、当時スマートフォンを彼女は持っていなかったので、ふだんは電話でやりとりをした。ラオス語にまだ慣れない時期はジェスチャーも筆談もできない電話での会話に苦労したが、彼女ともっとコミュニケーションをとりたくて、ラオス語で周りの人と話し、少しずつわかることが増えるのが楽しくなった。 ラオスの豊かな手仕事と、それをつくり続ける人たちと関わる活動をする中で、ラオスの「人」と「暮らし」の魅力に引き込まれた。布織物、竹編み製品、木製品など、一見「もの」に視点を置いてしまうが、それをつくり、伝えている人たちの想いに触れると、主役は人であり、「もの」は人と人、世代と世代をつないでくれている存在なのだと感じた。だから、関わる「人」とのつながりを大切にしたいと思った。

 ラクサオの織物生産グループリーダーの女性との活動も少しずつ進み、その地域ではすでに失われていた草木染めを復活させ、タイ・ムーイ族伝統柄の、天然染色の柔らかい色の布が生まれた。 その過程で、村で過ごす中で学んだことがたくさんある。自然とともに生きること、動物のいのちをいただくことへの感謝、小さなアルミ製のテーブルを囲んでみんなでご飯を食べる喜び、家族がみんな一緒にいられることの尊さ。彼女から教えてもらったことだ。 この暮らしの中でつくるから、穏やかな呼吸の中でしか生まれない、柔らかい美しい布が生まれるのだと思った。 これからもラオスに、そしてこの人と関わっていきたいと、協力隊の任期が終わったとき、強く思った。

生産者の女性の家でご飯を一緒に食べているところ

ラクサオの絣の布を使って製品づくりワークショップを実施

【糸は繋がり、紡がれてゆく】

 しかし、任期終了後まもなく、世界でコロナが蔓延した。当初は彼女自身で首都やタイに売る機会をつくり、布を広め続けていたが、すぐにそれは難しくなった。私も日本から布を購入したりもしたが、継続的でないとそれは意味をなさないことを実感した。 彼女は織りをやめ、近隣の国へ出稼ぎに行った。布とはまったく関係のない仕事だ。彼女から織りをしていた時の感覚がなくなってしまったらどうしよう、と思った。 でも、電話するたびに「また織りがしたい。こんな布やバッグをつくりたいっていうアイディアがあるんだ」と話してくれた。コロナが少しずつおさまり、私は再びラオスへ行けるようになったが、ラオスにいない彼女にはなかなか会うことができなかった。

 2023年の暮れ。「2024年の春に、娘の結婚式があるから、ナホも来てよ」彼女がそう連絡をくれた。首都ビエンチャンからバスで8時間ほど。懐かしいボリカムサイ県の山あいの景色。彼女も、出稼ぎ先から一時帰国していた。隊員時代以来4年ぶりに再会をし、娘の結婚式をともに祝福することができた。 もう会うことはできないのではないかと思ったときもあったが、生きていれば会えるんだと思った。一緒に過ごした時間のことを、彼女はちゃんと覚えていてくれた。

任期終了後、生産者の女性の娘の結婚式に参加したところ

 一方、ラオスで関わった人の中には、亡くなった人もいる。それをSNSで知る悲しさ。あの時が最後だったなんてと、落胆することも何度もあった。 でも、自分の中に、その人の存在は確かに残り続けている。 協力隊活動とはなんだろうと考える。 細い糸を長く長く紡いでいく、まさにラオスの手仕事のような、温かさと強さの集積だ。 隊員1人ひとりの中で浮かぶ任地の風景と出会った人びと、ラオスの人びとの記憶に残る、隊員たちの姿。 ともに生きた瞬間がそこにあったこと。ラオスの各地に、60年分の記憶が散りばめられている。そのうちのひとつとなれているなら、そして次に繋げられているなら、嬉しいと思う。


【編集後記】

 ラオスには絹や葛など、とても豊かな布製品と、その製作や加工などの手仕事に携わる多くの生産者がいます。現在も布や製品の一つ一つを手作りする生産者も多く、決して効率的とは言えませんが、手仕事の様子を目の当たりにすると、いつもその丹念さに感嘆します。 日本ではまだまだマイナーな国という印象を持たれるラオスですが、とても素敵な魅力とポテンシャルを秘めていることを、改めて教えてくれるエピソードでした。

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