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ボランティアレポート「それでも協力隊生活にイエスと言う」

2026.01.29

名前:榎本 大祐
隊次:2024年度1次隊
職種:小学校教育
配属先:カゾンバ小学校
出身地:福岡県

マラウイで小学校教育隊員として活動している榎本です。今回は、ある出来事を通して考え続けていることについて、書いてみたいと思います。

私は小学校に配属されており、その日もいつも通り学校へ向かいました。学校に到着すると、1年以上活動してきたからこそ分かる、普段とは異なる空気をすぐに感じました。女性教員は全員、チテンジと呼ばれる布を巻いた正装をしており、子どもたちは校庭に集められ、静かに校長の話を聞いていました。
私に気づいた同僚が、この学校の生徒が亡くなったことを教えてくれました。その生徒はSTD6の子どもで、私は1年目も2年目もSTD5とSTD6の算数を担当していたため、1年以上授業で関わってきた子でした。そして最後に、その死が自死であったことも伝えられました。
状況をすぐには理解できない私に、同僚はこれからの流れを説明してくれました。これから教員と子どもたちで彼の家へ向かうこと、病院に安置されている彼を待つこと、そして葬儀は両親の実家がある別の場所で行われるため、出発までの間、近隣の人々と共に祈りを捧げるのだということでした。
彼の家へは、教員を先頭に子どもたちが列を作り、祈りの歌を歌いながら向かいました。家の周囲にはすでに多くの村人が集まっており、彼が戻ってくるまで、祈りの歌は途切れることなく捧げられ続けました。叫びにも近い歌声、清らかな歌声、静かな歌声。それぞれに異なる思いを込めた彼らの祈りとリズムは、空高くに届くようでした。

私はその歌声を聞きながら、様々なことを考えていました。なぜ彼は自ら命を絶つ選択をしてしまったのか。同僚からは、親子関係に悩んでいたのかもしれないと聞きましたが、真偽は分かりません。どのようなことで苦しんでいたのか、相談できる相手はいたのか。日本であれば、学校がセーフティネットになる場合もあり、他にも助けの道が考えられます。しかし、ここではそれが非常に難しいのが現実です。もし制度や環境が違っていたら――。考えては消え、また考えては消える、その繰り返しでした。
私にも、できることがあったのではないかと思いました。もっと関係を築けていたらよかったのではないか。日本のことや、世界の広さについてもっと話してあげられたのではないか。せめて算数の授業で、あれほど怒らず、もっと楽しい授業ができていたら。こうした考えが傲慢であることは分かっていながらも、自分を責めずにはいられませんでした。そして最後には、「祈ることしかできないのだろうか」という思いに行き着きました。

この国の人々は、非常に信仰心が厚いです。日曜日には多くの人が教会に行き、何かを尋ねると「神がそう決めたからだ」という言葉が返ってくることも少なくありません。私は、世界で最も貧しい国の一つと呼ばれるマラウイに来た当初、この宗教観を十分に理解できていませんでした。宗教を否定するつもりはありませんでしたが、もっと現実的で生活の役に立つ行動や考え方の方が、彼らのためになるのではないかと感じていたからです。
しかし、今回の出来事を通して、この国の教育や社会システムの難しさが、改めて自分の中で浮き彫りになりました。日本のように、一人ひとりの子どもと丁寧に向き合い、時間をかけて話し合うことは、現実的には非常に困難です。子どもの数の多さ、教員不足、学校設備や制度の不備など、理由を挙げればきりがありません。そのような状況の中では、「自分が何とかすれば解決できる」という発想自体が、現実的ではないのかもしれないとも思いました。ただ祈ることしかできないと感じる場面があることも、事実です。
また、この国では、日本であれば治療できる病気で命を落とす人がいます。特に小さな子どもたちの死は、決して珍しいものではありません。それは悲しい現実である一方で、彼らはそれを生活の一部として受け入れているのかもしれません。これは考え方や文化、宗教観の違いであり、優劣をつけられるものではないと、今は感じています。1年半この国で生活してきて、ようやくほんの少しだけ、彼らの価値観を理解できたように思いました。同時に、これまで十分に理解できていなかった自分自身にも気づかされました。

彼のために祈りを捧げた翌日から、学校生活は何事もなかったかのように再開されました。昨日の出来事が嘘だったかのように、日常は戻ってきました。しかし、私の心は簡単には切り替わりませんでした。これまで身近な人の死をあまり経験してこなかったこともあり、協力隊員として、また一人の教師として、多くのことを考えさせられました。
私は、この国の人々のために、特に子どもたちの力になりたいという思いでマラウイに来ました。活動を続ける中で、制度や社会を大きく変えることの難しさを実感しても、せめて目の前の子どもたちのためには全力を尽くそうと考えてきました。その中の一人を、私は失ってしまいました。
私は何をしているのだろうか、何のためにここに来たのだろうかと自問しました。おこがましいと思いながらも、自責の念に駆られずにはいられませんでした。
答えの見えない日々の中で、何かを探すように本を読んでいたとき、次の言葉に出会いました。
「人生に何かを期待するのではなく、人生が私たちに何を期待しているのかを問うべきである」
これは、ナチスの強制収容所に収容されていた精神科医ヴィクトール・E・フランクルの著書『夜と霧』において語られている考え方です。フランクルは、人生の意味を問い続けるのではなく、人生の側から自分が何を求められているのかを引き受ける姿勢によって、過酷な収容所生活を生き抜きました。私はこの考え方を、自分の協力隊生活に重ねて考えるようになりました。
つまり、「協力隊生活に何かを期待するのではなく、協力隊生活が私に何を期待しているのか」という問いです。
自分の活動や生活に意味があるのかと考え始めると、深い沼にはまり込んでしまいます。極端に言えば、何の意味もないのではないかと感じ、投げ出してしまいたくなることもあるかもしれません。そうではなく、この生活が私に何を求めているのか、日々の活動の中で問い続けていくことが大切なのだと思いました。つらい出来事に直面したとき、そこから何を引き受け、どう行動するのか。その問いの中にこそ、価値があるのではないかと感じています。

今回の出来事は、私にとって非常につらい経験でした。自責の念に押しつぶされ、活動を投げ出すこともできたかもしれません。それでも私は、この状況の中で何が期待されているのかを、自分なりに行動で示していきたいと考えています。共に働く先生方のために、そして未来に希望を持つ子どもたちのために。

最後に、再びフランクルの言葉を借りて、この文章を締めくくります。
「それでも協力隊生活にイエスと言う」

そして今も、彼が安らかに眠ってくれることを、心から祈っています。

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