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日本で見つけた新しい希望と夢 ~母国シリアと日本をつなぐ1人として~

JICAでは、将来のシリア復興への貢献や、シリアと日本の架け橋となる人材の育成を目的に、シリア難民に対する人材育成事業「シリア平和への架け橋・人材育成プログラム(JISR)」を実施しています。

6月20日の世界難民の日にあわせて、6月18日(日)に「日本で見つけた新しい希望と夢~母国シリアと日本をつなぐ1人として~」と題したトークイベントを開催しました。
本イベントでは、JISR生として日本で学び、その後民間企業に就職、活躍されているアナス・ヒジャゼィさん(JISR第3期修了生、アクセンチュア株式会社)の他、自らの会社でJISR生を含むシリア人ITエンジニアを採用し、ともに働かれている坂下裕基さん(株式会社BonZuttner代表)、プロボノ(注1)としてJISR生の就労支援に携わり、アナスさんの就活もサポートした松尾優香さん(株式会社LIFULL)にご登壇いただき、お話を伺いました。

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いつか行ってみたかった日本へー留学のきっかけ(アナスさん)

シリア出身のアナスさんが来日したのは2019年です。2011年に始まったシリア内戦の影響で、故郷であるホムスが攻撃され近所全体が崩壊してしまったため、2012年に大学を卒業後、レバノンに移り、働きながら修士課程の進学先を検討していました。
ドイツ、アメリカ、日本といった奨学金プログラムがあるなかで、アナスさんはなぜ日本を選んだのでしょうか。アナスさんは、「日本にはいつか行ってみたいと思っていた」と2つのストーリーを教えてくれました。1つ目は、お父様から「良いものが欲しければ、日本製を買いなさい」と教えられてきたことから、品質がよく、他国に比べて高価ではない日本製品を以前から素晴らしいと思っていたこと。2つ目は、日本のアニメや漫画(一例でスラムダンクやナルトをあげてくれました)に夢中になり、大学では日本人の先生から日本語を教わり、尺八の弾き方、書道、茶道など日本の伝統文化にも触れたことです。このように来日前から日本に好感を持っていたアナスさんは、ご友人からJISRプログラムを勧められ、応募に至りました。

ビジネスという架け橋―JISR生の採用と活躍(坂下さん)

株式会社BonZuttnerの代表取締役である坂下裕基さんが難民支援に携わるようになったのは、2015年に世界中に大きな衝撃を与えた、トルコからギリシャへ渡る船が転覆し、シリア出身のクルド人の男の子の遺体が浜に打ち上げられた写真がきっかけだったとのことです。以降、NPO団体での難民支援等に携わるとともに、現在は経営者としても活躍されています。坂下さんが代表を務める株式会社BonZuttnerでは、 日本国内の企業から請け負ったITシステムの開発をシリア人ITエンジニアに委託して、仕事の機会と活躍の場を広げるビジネスを展開しています。
株式会社BonZuttnerでは 、現在、JISR第2期修了生が執行役員として活躍しています。事業を開始した当初、JISR第2期研修員の協力のもとで、シリアや隣国のシリア人のエンジニアをFacebookで募集しました。しかし、協力者だったJISR生本人から、この事業に関わりたいという熱烈な申し出があり、話し合った結果、まずはインターン生として受け入れることになりました。その後、そのJISR第2期修了生は無事に入社し、執行役員にまでなりました。苦手だった日本語も真剣に勉強するようになり、日本の商慣習への理解やシリア人の後輩エンジニアの育成にも熱心とのことです。坂下さんは日々変化していく彼の姿を頼もしく思っていると、嬉しそうに話してくれました。

「知り合うこと」でわかったこと―JISR生の経験と努力(松尾さん)

株式会社LIFULLに勤める松尾優香さんは、大学の授業で初めて難民問題に触れたものの、社会人になってからは「難民」と聞いても、どこか遠い国の出来事と感じる自分がいたと言います。そんな中、会社の先輩経由でJISRのプロボノ活動を知り、元々誰かをサポートすることが好きだった松尾さんは、何か力になれるのではと思い、参加を決めました。
松尾さんは、もう1名のメンバーと2名体制でアナスさんの就労支援を担当していました。週に1、2度、オンラインで面談を行い、進捗状況の確認、応募先企業の選定、応募書類内容のブラッシュアップなどを行っていました。思わず「難民」の背景があることを忘れてしまいそうなほど、ポジティブで謙虚なアナスさんに、サポートする側の松尾さんたちが逆に勇気と元気をもらっていたと言います。しかし、就活選考のためにアナスさんが書いた「人生のグラフ」を確認したとき、アナスさんの内戦での経験や傷ついてきた過去を改めて知り、積み重なる努力によって今のポジティブなアナスさんがあることを実感したそうです。

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パネルディスカッションの様子

日本が「ホーム」になるまで

アナスさんは、シリアが戦火に見舞われていた頃、「この世界は絶望だ」と思っていました。隣国レバノンに逃れてからも、日常生活でも法律においてもシリア人に対する差別があり、安心して住むことができる「ホーム」とは程遠いものだったと言います。
「日本をホームと感じられたのはいつですか?」という会場からの質問に対して、「日本でも来日後すぐには感じられなかったけれど、日本人は優しく、差別をしないこと、また自分の話を聞いて、個人として尊重してくれていると感じたこと等から、約1年後には日本をホームだと思えるようになった」と答えてくれました。
アナスさんが日本で一番好きな場所は、日本の友人に連れられて訪れた瀬戸内海の小豆島だそうです。海に囲まれ、柑橘類やオリーブ畑が広がる小豆島は、その景色や、歩いていると気軽に声をかけてくれたり、食べきれないほどたくさんの料理をご馳走してくれたりする島の人の温かさが、故郷シリアにとてもよく似ていると懐かしむような笑顔で話してくれました。
ただし、ここまで決して楽しいことばかりではありませんでした。来日後しばらくして、新型コロナウイルス感染症が蔓延したことから、大学の授業も含め全てのやり取りがオンラインになり、友人に会えず、新しい友人を作ることもできませんでした。さらに、日本語の学習に加えて、勉学と就職活動を両立しなければならない日々は困難の連続だったと振り返ります。それでも、日本国外での就業経験のあるアナスさんは、ご自身で優先度を見定め、順を追って取り組むなどの工夫をし、また時には友人との会話でリフレッシュしながら、乗り越えることができました。
努力を続けたアナスさんは、ついに学業を修め、就職の内定を5社から得ました。その中でも、自分の視野を広げ、将来の夢の実現に近づけると感じたアクセンチュア株式会社を選んだとのことです。日本語で会話がスムーズに行えるほど、確かな日本語力が身についたアナスさん。最近新しく学んだ日本語を質問したところ、『包括的な社会』だそうです。これには会場からも感嘆の声が聞かれました。

私たちにできること

アナスさんのような難民/難民の背景がある方々に対して、私たち日本人は何ができるのでしょうか。坂下さんからは、寄付やボランティア、松尾さんのようにプロボノでの協力、そして今回のようなイベントに参加してテーマに触れること、をあげていただきました。
松尾さんは、「知ることと知り合うこと」が大切であるとご自身の経験を基に伝えていただきました。「知ること」は、内戦などのニュースで語られる情報だけではなく、彼らの文化や言葉、食べ物などを「知ること」であり、それにより自分の中のアンテナが立っていくとのこと。そして、実際に「知り合うこと」により、ニュースや地図を見たときに、ただの情報ではなく、その人の顔が浮かぶようになるとお話しいただきました。「知ることと知り合うこと」により、他人事ではなく身近な存在として感じられるようになるため、それが、私たちにできる第一歩であり、大切なことだと話してくれました。これは、松尾さんご自身がJISR生の支援を通して実感されたことで、アナスさんと知り合い、就労サポートを通じて、抽象的で教科書的な理解に留まっていた「難民」についての認識が、生身の経験として捉えられるようになったそうです。

シリアと日本の架け橋にーアナスさんの将来の夢

最後に、アナスさんに将来の夢を聞きました。アナスさんの日本での夢は、難民や難民の背景がある方のサポートグループをつくることです。一番大事なことは、日本にいる様々な国の難民やその背景を持つ方について、自分事として感じてもらうことであり、その問題に企業や社会人、JICAなどと一緒に取り組みたいと熱意を込めて伝えてくれました。
また、将来的にはシリアに戻りたいと考えているアナスさん。シリアでの夢を聞いたところ、「日本は原爆により、シリアよりもひどい破壊を経験しました。それでも復興したのは奇跡です。そして、その後、戦争を起こしていません。シリアが平和を取り戻したとしても、経済的な問題はすぐには解決されず、戦争が繰り返される恐れがあるため、日本の戦後復興の経験や平和の考え方をシリア人に伝え、シリアの人々の教育や社会づくりに貢献していきたいです。」と力強い言葉で語ってくれました。
アナスさんは、在学時から今回のようなトークイベントを通して、ご自身の経験を伝える活動を様々な場所で精力的に行ってきました。2023年2月にシリア北部等を襲った「トルコ・シリア地震」の後は、被害に遭ったシリアの方々を支援するため、他のJISR修了生や日本在住のシリアの方々、同じ思いを持つ日本人の方々と協力し、募金活動も行っています。
学業、日本語、就職活動、仕事、支援活動と、頑張り続けるアナスさんに、会場から、「頑張り続けられたのはなぜですか?」と質問をいただきました。アナスさんは、周りの支援と親の期待があることを一番に挙げた後、自身にとって経験を伝えることは大変なことではなく、楽しいことであり、息抜きになっていると話してくれました。また、「世界を変えたいという強い思いと、何も行動せずに文句を言うことはできない」と考えていること、そして自分は1人ではなく、お母様が常に隣にいるからだと答えてくれました。アナスさんのお母様はアナスさんが来日後にご逝去されており、アナスさんにとって非常に辛い出来事だったとのことですが、お母様は常に隣にいる、自分は一人ではないと感じられることが、日々の仕事と様々な活動の支えになっていると言われていました。

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トルコ・シリア大地震への支援について発表するアナスさん

最後に

今回のイベントでは、登壇者からの心に響くお話が、会場を優しく温かい雰囲気に包んでくれたように感じます。
特に印象的だったのは、アナスさんが日本の環境だからこそ、世界平和のために前向きに進むことができるとお話しされていたことです。日本の経験がこのような形で活かされることを嬉しく思うとともに、アナスさんが今後益々、シリアと日本の架け橋としてご活躍されることを期待しています。
多くの日本人にとって、まだまだ遠い存在かもしれない、難民や難民の背景を持つ方々。今回のイベントをきっかけに「知ること」と「知り合うこと」の輪が少しずつ広がっていくことを願っています。

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イベント登壇者(左から坂下さん、アナスさん、松尾さん)