【ボランティア通信】3年越しのタンザニア
2023.05.17
後藤 敬介
派遣期間:2023年2月~2025年1月
職種:機械工学
配属先:ダルエスサラーム職業訓練校
任地:ダルエスサラーム
出身:宮崎県
カウンターパートと共に
コロナ禍以前は、メーカーで機械部品の設計開発に携わっていましたが、言語や文化、生活習慣が大きく異なる環境で生活してみたいと思い、JICA海外協力隊に応募しました。しかし福島県二本松市での派遣前訓練を終える直前にコロナで派遣延期が決まり、再開未定となりました。時間が経つにつれて協力隊を辞退して再就職する同期も増えていく中、私も身の振り方に大変迷いました。ただ頭の片隅に残ったJICA海外協力隊への思いが捨てきれず、仕事をしながらも辞退せずに待つことを選択しました。
待機期間中は、これまで経験のない仕事をしてみようと、レタス農家での収穫や、地元宮崎県のIT企業でのアルバイトなどを経て、最終的にはワイヤレス給電を手掛けるスタートアップ企業で派遣再開直前まで働かせてもらいました。
レタス農業でのアルバイト
派遣再開の見通しが全く立たない状況の中、もちろん心穏やかに過ごせない時期もありました。ただ今振り返ると、コロナ禍だったからこそできた貴重な経験、人との出会いがありました。待機期間中に、お世話になった方の一人に「JICA海外協力隊じゃないけど、ある意味これも異文化体験だよね」と言われましたが、本当にその通りだと思いました。どの職場も、これまでの私のバックグラウンドからすれば畑違いの場所でしたが、様々な業種の人たちと出会えたことが今後の人生の糧となると確信しています。
実習の様子
派遣延期となってから約3年後の2023年2月にようやくタンザニアの地を踏むことができました。今回、私がタンザニア派遣再開の第1号かつ一名のみの派遣であったこともあり、様々な方に温かく迎え入れていただき大変嬉しい反面、とても身の引き締まる思いでした。また4月には、コロナ禍以前にタンザニアで活動していた3名の先輩隊員を迎え入れることができ心強い限りです。
首座都市ダルエスサラームにある配属先は、電気や木工、車両整備、服飾など10種類以上のコースがある大きな職業訓練学校です。その中で私は現地のタンザニアの10名の先生方と機械コースの講師として、学生約150名に対して日々指導しています。
元々私の専門は「機械部品を設計して図面を書くこと」ですが、ここではその前段階にあたる「工作機械を使って機械部品を加工すること」が主となります。私自身知らないことが多く、先生に教えてもらいながら日々勉強しています。現場を見て驚いたのは何でも自分たちで作ってしまうことです。日本の感覚では、機械や工具が壊れたら、真っ先にスペアパーツや新しい工具を買うことを考えますが、ここではそのお金がありません。でも精密な部品でなければ、自分たちで無理やりにでも作ってしまうからすごいです。ただ一方で、基本的にmm以下の精度の精密な加工ができていなかったり、図面を見て加工する習慣がなかったり、改善できる点はたくさんありそうです。これからの活動の中で、自分の経験の中から役立ちそうなものを一つでも多く還元していきたいです。
赴任して3か月が経ちましたが、今の目標は簡単な議論ができるレベルのスワヒリ語を身につけることです。理由は二つあります。一つ目は英語が分からない学生が一定数おり、彼らの理解度を高める必要があるためです。同僚の先生たちも黒板への板書こそ英語ですが、口頭での説明はスワヒリ語の方が多く、ここではそれが必須だと感じています。また私が英語で話す時よりもつたないスワヒリ語で話す方が、より受け入れられているような雰囲気も感じます。二つ目の理由は、現場の人間関係や潜在的な問題をより早く知り現場の改善に繋げるためです。毎日、私の周りではスワヒリ語で様々な会話が飛び交っていますが、何の話題なのかすらまだ見当がつかないことが多いです。そういった彼らの立ち話を横で聞き取れれば入ってくる情報量が全く違ってきますし、その中には英語で話す際には出てこないような現場改善のためのヒントがたくさん隠れていると思っています。スワヒリ語のレベルを上げて、先生方と共により良い現場を作っていきたいです。
最後に、コロナ禍によって志半ばで断念せざるを得なかった元同期や先輩隊員の分までしっかり活動したいと思います。また活動が終了する2年後には以前のようにたくさんのJICA海外協力隊が戻っていることを願っています。
同期スワヒリ語クラス(投稿者は一番右)
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