日常生活の舞台裏 法律をつくり、使い方を広める ラオス

コンビニでお茶とおにぎりを買う。そんな日常的なことも、実は民法で売買契約として定められた"法律行為"だ。
私たちを守る法律を、より使いやすく、分かりやすくするために、ラオスでは日本が協力してさまざまなプロジェクトが動いている。

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ラオス国立大学の施設に隣接する国立司法研修所(右)。将来の法律家や裁判所の職員などが、ここで研修を受けている

社会の見えない屋台骨 "今"を踏まえた法律づくり

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ビエンチャン

民法は個人間の関係について定める基本的な法律だ。日本の民法には、買い物はもちろん、うっかり友達の持ち物を壊してしまったときの賠償や、家族が亡くなったときの遺産相続などの規定が含まれている。「日本の民法は一つの法典として体系化されていますが、ラオスではこれまで、契約や家族関係など、各分野の法律が別個につくられているだけでした」と、ラオス司法省のナロンリット・ノーラシンさんは説明する。「それを整理し、足りない部分は補って、一冊の法典としてまとめるのが、今進めている民法典の草案作成です」

ラオスの民法は、規定が不十分だったり、複数の法律の間で矛盾があったり、時には法律が古すぎて現在の生活に対応できなかったり、といった問題を抱えていた。「今の社会に貢献できるように、法律を変えていくことが必要です。法律家にとって明快で、一般市民でも分かりやすいものになるよう心掛けています」とナロンリットさんは話す。

日本は1998年、法務省が協力した大学・大学院の法律教育の質的改善活動を皮切りに、ラオスの法律関係者と意見交換を始めた。2003年には法律教科書や解説書の作成が始まり、その延長上に民法典起草がある。最初の協力から20年近く、日本の法律家とやり取りを続けてきたナロンリットさんは、「日本とラオス、双方の専門家がプロジェクトに参加し、ラオスの専門家が日本の専門家から考え方を学んでいます。出来上がった法案を渡されるのではなく、私たちが考え、自分たちで答えを出す作業を支えてもらうことで、ラオスの法曹界の人材育成にもつながります」と日本の支援を評価する。

同じく、98年から日本の協力に携わっている司法省のケッサナ・ポンマチャンさんは、「アジアの中で、法律の専門家が豊富で、法案の起草も支援してくれる日本は貴重な存在です。民法は市場経済を支える礎。ラオスの伝統を踏まえた上で、今後の経済発展にふさわしい法律をつくっていかなくてはなりません」と語る。

「これまで、ラオスの担保法では、質と抵当の概念が整理されていませんでした。私が執筆を担当したパートでは、海外の法律を参考に、こうした定義や用語、規定の整理を行っています。文章に起こしたときに、しっくり来ないことがありますが、そういうときに相談できる日本の専門家は心強い存在です」と話すのは、司法省のカンパイ・サイニャウォンさんだ。同じく司法省のラッサミー・シーサムットさんは「これからの経済発展に向けて、経済関連法などの整備も必要です。ただ法律をつくるのではなく、使われる法律にしていかなくてはと肝に銘じています」と語る。

「今回の民法典は、約600条からなる民事法の集大成です。しかし、民法典をつくっただけで終わるわけではありません」と、中部高等人民裁判所のソムサック・タイブンラック所長は話す。「現在、今後の経済発展で重要性が増す経済紛争解決法のハンドブックがほぼ完成し、新しく労働法のハンドブック作成に取り掛かっています。こうした書籍作りを通して法の理解が進み、実務が統一されていくことが、法の支配を確立するためには重要なのです」

労働法ハンドブック作成チームを支援する弁護士の棚橋玲子専門家は「ラオスは社会主義の国で、労働者の権利が強く、労働組合も党の下部組織として地位を保っていますが、労働法が職場で厳格に運用されているとは言えないのが課題です」と話す。「今回のチームには労働社会福祉省や労働組合のメンバーも参加しており、使用者が守らなければならない労働者の利益を分かりやすく解説できるように試行錯誤しています」

制度づくりにとどまらず運用できる人材を重視

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プロジェクトには、日本人の専門家とコーディネーター、現地スタッフが力を合わせて取り組んでいる

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日本のプロジェクトでこれまで作り上げてきたラオスの法律解説書。実務家にも好評だ

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刑事訴訟に関するQ&A集のためのミーティング。裁判官、警察、検察、弁護士、大学教授が、それぞれの立場からの意見を持ち寄り、すり合わせている

日本の法整備支援では、専門家が現地に年単位で駐在して、現地の法律家たちと密に話し合い、相互理解を深めながら法案や書籍などを作成していくスタイルをとっている。2010年からラオスに滞在する弁護士の石岡修専門家は、「私たちの支援の目的は、書籍そのものではなく、書籍を作れる人材の育成です。ラオスの法律家たちが、自分たちで考え、納得した上で、法律や書籍をつくっていけるようになることが、本当のゴールなんです」と説明する。

雨期も半ばの7月、降り続く雨の中を、ビエンチャンから北に車で2時間。観光地ナムグムダムに程近いターラートの町で、ワークショップが開かれていた。この日の話題は「刑事訴訟におけるラオ語を話せない被疑者の権利」だ。

ラオスでは、警察での取り調べや裁判は、原則として公用語であるラオ語で行われる。しかし、国内の少数民族や外国人など、ラオ語が分からない人が犯罪の被疑者となった場合は、通訳をつけて取り調べなどを行うとされている。一般的なラオス人の場合も、弁護士や代理人を立てることができる。では、通訳や弁護士、代理人を手配してから到着するまでの間に、被疑者に対して取り調べを始めることは適法なのか。ラオスを代表する裁判官、検事、警察、弁護士、法律学者が集まって議論を重ねた。

「被疑者を逮捕したら、24時間以内に仮勾留するかどうかを決めなければなりません。通訳や代理人が来るまで取り調べができないとしたら、この時間制限を守ることはできるでしょうか。実務を踏まえて、議論してみませんか」議論を聞いていた須田大専門家が、そう提案した。

須田さんの日本での仕事は検事、つまり刑事訴訟のスペシャリストだ。経験を基に、明確な答えを出すことは簡単だが、それをしないのには理由がある。「ラオスの法律家は立場によって法律の解釈が異なる一方、法律制定時の理念を振り返る習慣がないことが多いのです。ですから、自分たちでその法律がつくられた狙いを考えてもらえるように、水を向ける役割に徹しています」と須田さんは話す。

このワークショップの目的は、刑事訴訟に関するQ&A集の作成だ。現場で犯罪の取り締まりや取り調べを行う警察官や、法律の専門家を目指す人たちを対象に、刑事訴訟の手続きで重要なポイントを一問一答形式で解説する。刑事訴訟法については、手続きの進め方を一目で確認できるフローチャートや、さまざまな手続きを解説したハンドブックが2010年に完成し、警察学校や裁判所など、刑事訴訟に関わる現場で好評だ。それを受けて作るQ&A集では、これまで参加していなかった警察や弁護士の関係者も招いて、より幅広い視点でコンセンサスをつくり、刑事訴訟法を理解する助けとなる書籍の作成を目指している。

須田さんは、「刑事手続きの現場では、警察や検事と弁護士は対立する立場にあるので、当初は衝突を懸念しました。しかし、ふたを開けてみれば、それぞれの立場や実務の経験を共有して、垣根のない議論が行われています」と、ラオスの法律家たちの寛容で前向きな姿勢を強調した。

2010年から刑事訴訟法の書籍作りに関わってきた3人の法律家に話を聞いた。中部高等人民裁判所判事で刑事部長のシーワン・ブンタラーさんは、裁判所の一般職員に刑事訴訟法を教えていたことがある。「以前は刑事訴訟法で参照できるのは法典そのものしかなく、教科書や資料集といったものがありませんでした。チャートやハンドブックは職員の法律理解の大きな助けになっています」と語るシーワンさん。今回作成しているQ&A集によって、弁護士や地方の警官などの法律理解を深め、意図しない違法捜査を減らすことができると見ている。

最高人民検察院のスパシット・ローワンサイさんは、「ハンドブックは、現在、法律学校や検察院の研修所でも活用しています。以前はこうした書籍がなく、ノウハウも持ち合わせていなかったので、作成には大変苦労しましたが、出来上がったハンドブックを地方の検察組織まで普及させたところ、大きな効果がありました。現在作成しているQ&A集や、今後のさまざまな資料作成も、ぜひ成功させたいものです」と話す。

一方、ラオス国立大学法政治学部で刑事法学科長を務めるセンタヴィー・インタヴォン教授は、「チャートを活用することで、現場の実務家が刑事訴訟の手続きを正しく理解できるようになりました。Q&A集は、チャートやハンドブックの普及活動の中で、現場の職員が見つけた疑問に答えるものでもあります」と説明する。「日本は、ただ書籍を制作するだけでなく、書籍を制作できるラオス側の人材を育てるように配慮してくれています。いずれ私たちだけになっても、法曹界を発展させていけるはずです」

公正な社会に向けて若手法律家を育てる

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夕方になるとメコン川沿いで開かれるナイトマーケットは、多くの人でにぎわう。さらなる発展を目指すラオス経済の舞台裏で、日本の法律家たちが活躍している

若手法曹の育成に向けて、昨年から始動したのが、国立司法研修所だ。「これまで、法律専門職の志望者が法律家の道を選んだ後に机を並べて学ぶ機会がありませんでした。そこで、国立司法研修所では、法学部の卒業生を対象に4カ月の実習を含む1年間の研修を行っています。実務能力が身に付くだけでなく、他の法律家の立場について理解が深まり、協力して国民のために尽くすことができるようになるでしょう」と、民法典の起草に関わり、教育研修改善ワーキンググループのメンバーも務めるブンクワン・タヴィサック最高人民裁判所官房局長は話す。

今後は教員の育成や授業内容の改定などに取り組んでいく。「質の高い法律家がいることで、法治国家としての体制がより整い、社会の公正と国民の利益を保証することができます。法の支配の確立は、ビジネスがしやすい環境づくりでもあり、経済発展には欠かせない条件なのです」と同研修所のセンパチャン・ウォンポートーン副所長は語る。

東南アジア諸国連合(ASEAN)の一員として、近隣各国と共にさらなる発展を目指すラオス。それらを裏から支えるべく、今日も法律家たちが議論を重ねている。