世界とつながる教室 ICTで魅せる授業を!世界の中でたくましく生きる力を育てる 河内長野市立天見小学校

情報の波の中で生きる現代の子どもたち。
大阪府河内長野市の教育メディアセンターでは、テレビ会議システムを使った各国との交流など、ICTを活用した授業を展開し、子どもたちの情報活用能力や学力、さらには生きる力の育成を目指している。

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ペルーで活動する青年海外協力隊を講師に迎え、テレビ会議システムを使ったリアルタイムの授業を実施。画面脇のボードは梅田さんのお手製だ

山間の小学校が世界とつながる

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ペルーの辻埜さんからの「聞こえていますか」の質問に、ジェスチャーを交えて笑顔で答える子どもたち

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「パラオには日本人の名前を持つ人がいる」など、遠隔授業での発見と驚きをまとめた児童

大阪府にある河内長野市立天見小学校は、カーブの続く山間の国道沿いに建っていた。校舎とグラウンドの間は橋で結ばれ、その下からは天見川のせせらぎが聞こえてくる。同校を訪れたのは、山の木々が淡く色付き始めた昨年11月上旬。全校生徒65人の小さな小学校が、テレビ会議システムを使った遠隔授業でペルーやパラオとつながると聞いて訪ねたのだ。

さっそく遠隔授業の第一部が始まった。総勢20人の5・6年生に画面の向こうから笑顔で手を振るのは、JICAの青年海外協力隊・理科教育隊員としてペルーの国立地球物理研究所に派遣中の辻埜太一さんと、千葉県から遠隔授業に参加した船橋市立田喜野井小学校の5年生たちだ。

両校の児童からの学校紹介が終わると、今度は辻埜さんが、「日本は今、何時ですか」と子どもたちに問い掛ける。「朝の10時!」−「こちらは皆さんより14時間前の夜8時ですよ」。地球の反対側とのやり取りとは思えないほど、音声も映像も鮮明だ。

辻埜さんが写真を使いながらクイズ形式でペルーの文化を紹介し始める。当初、子どもたちは画面越しの会話に緊張気味だったが、次第に机から身を乗り出し、授業にのめり込んでいった。山岸大輔くんは、「ペルーではスペイン語が話されていて、"さようなら"は"チャオ"と言うんだと覚えました」と話してくれた。

続いて第二部は、同じく青年海外協力隊で、小学校教育隊員としてパラオで活動中の水谷文絵里さんによる遠隔授業だ。教室に設置されたカメラの前にスタンバイするのは、先ほどまでの児童よりも一回り体格の小さい3・4年生。

「私が活動している小学校は、目の前が海です。休み時間は午前中に1回と給食の時間だけです」−「いいなあ!こっちは山しかない。パラオの小学校では掃除の時間もないの?」

「パラオで驚いたことは、信号が一つもないことです」−「えー!なんで無いんだろう」

初めて聞くパラオの話に、率直に驚きを表現する子どもたち。授業が終わるころには、手元のプリント用紙が新たな発見と感想でいっぱいに埋め尽くされた。

世界を知り、たくましく育つ

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パラオで活動する水谷さんによる遠隔授業。授業の終盤は、子どもたちもマイクを握り、多くの質問を投げ掛けた

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遠隔授業のバックオフィスであるメディアセンターで作業する梅田さん。ICTに強い理由を尋ねると、「実家が電器屋だったからですかね」と飾らない答え。センターの発展と魅力ある授業の拡大を誰よりも願っている

日本から遠く離れたペルーやパラオ、加えて、国内他県の学校とがつながった今回の遠隔授業。その実現を支えるのは、河内長野市立教育メディアセンターだ。

河内長野市は、教育委員会の下部組織として2002年にメディアセンターを設置した。目的は、市内の小中学校に設置されているコンピューターを有効活用して分かりやすい授業を展開すること、また、授業を通して情報を選択したり、活用したりする能力を養うことだ。

「膨大な情報の中で生きる現代の子どもたちにとって、ICTのスキルを身に付けることは重要です。でも、通信機器などの環境面が十分に整っていない上、ICTを専門として教えられる教員も不足しています。そのため、河内長野市では、当センターを設置して情報通信機器を市内で共有し、その活用支援を行っているのです」。そう説明するのは、同センター長の梅田昌二さんだ。

メディアセンター設立の立役者である梅田さんは、小学校教員を定年退職した今も、ICTに精通した人材としてセンターの運営を実質一人で担っている。遠隔授業の実施にあたっては、協力隊への講師依頼から、現地回線の設定支援、当日の会場設営に至るまで全てをこなし、昨年は2学期だけで、100回以上の遠隔授業と交流授業を市内外の学校で実現した。河内長野市では今後、市とJICAの協力体制を強化することで、これまで梅田さん個人の能力と熱意に依存してきた遠隔授業の展開拡大を目指す。

ICTを活用した授業を始めたきっかけについて、梅田さんは、「1997年、政府の指針で小中学校に初めてコンピューターが導入され、私の勤務先にも20台設置されました。でも、あまり使われていなかったんです。活用しようと思い、既存の教材ソフトを使って算数の授業をしてみると、子どもたちは目を輝かせて取り組み、授業を楽しみにするようになりました」と振り返る。その後、インターネットの普及を背景に海外に目を向け、翻訳ソフトを使って各国の学校とメールで交流を始め、テレビ会議にも挑戦するようになったという。

「初めてJICA関係者と連携して遠隔授業を実施したのは2005年。ボツワナから帰国した元青年海外協力隊員が協力してくれました。今、開発途上国ともテレビ会議システムを利用して交流ができるようになったのは、ブロードバンド、つまり、高速大容量回線が世界に普及したおかげです」。そう話す梅田さんは現在、協力隊との連携で実施する遠隔授業の他にも、国際音楽交流会や日豪語学協働学習、企業と連携して行う手作り電池教室などをテレビ会議システムを使って実施している。

梅田さんがICTを活用した授業で目指すものは、国際交流の一歩先にある。「島国の日本では教育も閉鎖的で、子どもたちの視野は狭くなりがちです。地域や世界へと開かれた学習環境を与えることで、例えば、途上国の現状を目の当たりにし、自分が抱えている悩みが実は小さいものだと気付いたり、英語で自己主張できるようになったりします。苦しいことに向き合い、打ち勝つ術を身に付け、たくましく生きる力を磨いてほしいと思います」。そのための教材や授業を開発することが私の目標です、と語る梅田さんの目は、まっすぐ子どもたちの未来に向けられていた。